大学時代の後輩で同じサークル仲間が三重県からやって来た。私よりも三つ下でもあり、あまり在学中に交流した記憶はない。この3年間ほど手紙でのやりとりがあって、今回の弘前への旅が実現した。
彼は理由はわからないが、一度ならず二度も死の間際まで行きかけた経験者だ。一度は脳卒中、もう一度は胃癌宣告で胃を全摘OPをしたのである。まだ完全に回復したわけではないだろうし、体力などを思うと受け入れる側の不安も多い。
昨日は30℃の真夏日、私のFMラジオ放送番組が終えて、弘前駅に迎えに行った。果たして顔を分かるだろうかと不安が残った。それらしいおじさんが居たので声をかけると、人違いだった。そして結局電話をかけて会うことが出来た。すっかり頭の髪も白くなって、病気のせいか老け込んだなあというのが正直な印象だった。関西弁風の言葉はいつもスタッフの一人が大阪なので、なれているつもりだが、彼の声はかすれもあり、早口でまくしたてるので聞き取りづらい。
とりあえず、あうんの宿舎に案内して荷物をいったんしまって、我が家での夕食に誘った。彼は断酒会に入っているということもあって、私も喉から手が出るくらいにビール恋しさを腹って、氷水で何とか我慢していた。彼はそれでも普通食を食べられるくらいには回復しているらしく、ゆっくりさへ食べれば何ともないらしい。
家内も急遽ステーキのメニューを変更して、天ぷらとザル蕎麦にしていた。
昨年七月に大学のOB会をお子なた時の写真をパソコンで見ながら、懐かしそうに彼は目を輝かせていた。彼は昨年はベッドの人だったからだ。学生時代の思い出の夏合宿を語り合いながら、昨年なくなった私の同期Kのことを何度も知らないで過ごしていたことを彼は悔やんでいた。信じられない出来事のようであった。彼とKの結びつきはそれほどに親密だったからだろう。
これから彼は2週間あうんで、自分を見つめなおすことになるのだろう。「無理をしないでゆったりと、自分の体と相談しながら、障害の人たちの雰囲気を感じてくれ」と、伝えて彼を宿舎まで送ったのであった。
彼は理由はわからないが、一度ならず二度も死の間際まで行きかけた経験者だ。一度は脳卒中、もう一度は胃癌宣告で胃を全摘OPをしたのである。まだ完全に回復したわけではないだろうし、体力などを思うと受け入れる側の不安も多い。
昨日は30℃の真夏日、私のFMラジオ放送番組が終えて、弘前駅に迎えに行った。果たして顔を分かるだろうかと不安が残った。それらしいおじさんが居たので声をかけると、人違いだった。そして結局電話をかけて会うことが出来た。すっかり頭の髪も白くなって、病気のせいか老け込んだなあというのが正直な印象だった。関西弁風の言葉はいつもスタッフの一人が大阪なので、なれているつもりだが、彼の声はかすれもあり、早口でまくしたてるので聞き取りづらい。
とりあえず、あうんの宿舎に案内して荷物をいったんしまって、我が家での夕食に誘った。彼は断酒会に入っているということもあって、私も喉から手が出るくらいにビール恋しさを腹って、氷水で何とか我慢していた。彼はそれでも普通食を食べられるくらいには回復しているらしく、ゆっくりさへ食べれば何ともないらしい。
家内も急遽ステーキのメニューを変更して、天ぷらとザル蕎麦にしていた。
昨年七月に大学のOB会をお子なた時の写真をパソコンで見ながら、懐かしそうに彼は目を輝かせていた。彼は昨年はベッドの人だったからだ。学生時代の思い出の夏合宿を語り合いながら、昨年なくなった私の同期Kのことを何度も知らないで過ごしていたことを彼は悔やんでいた。信じられない出来事のようであった。彼とKの結びつきはそれほどに親密だったからだろう。
これから彼は2週間あうんで、自分を見つめなおすことになるのだろう。「無理をしないでゆったりと、自分の体と相談しながら、障害の人たちの雰囲気を感じてくれ」と、伝えて彼を宿舎まで送ったのであった。