夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

後輩・三重県から来訪

2007-07-10 08:19:18 | つれづれなるままに
 大学時代の後輩で同じサークル仲間が三重県からやって来た。私よりも三つ下でもあり、あまり在学中に交流した記憶はない。この3年間ほど手紙でのやりとりがあって、今回の弘前への旅が実現した。
 彼は理由はわからないが、一度ならず二度も死の間際まで行きかけた経験者だ。一度は脳卒中、もう一度は胃癌宣告で胃を全摘OPをしたのである。まだ完全に回復したわけではないだろうし、体力などを思うと受け入れる側の不安も多い。
 昨日は30℃の真夏日、私のFMラジオ放送番組が終えて、弘前駅に迎えに行った。果たして顔を分かるだろうかと不安が残った。それらしいおじさんが居たので声をかけると、人違いだった。そして結局電話をかけて会うことが出来た。すっかり頭の髪も白くなって、病気のせいか老け込んだなあというのが正直な印象だった。関西弁風の言葉はいつもスタッフの一人が大阪なので、なれているつもりだが、彼の声はかすれもあり、早口でまくしたてるので聞き取りづらい。
 とりあえず、あうんの宿舎に案内して荷物をいったんしまって、我が家での夕食に誘った。彼は断酒会に入っているということもあって、私も喉から手が出るくらいにビール恋しさを腹って、氷水で何とか我慢していた。彼はそれでも普通食を食べられるくらいには回復しているらしく、ゆっくりさへ食べれば何ともないらしい。
 家内も急遽ステーキのメニューを変更して、天ぷらとザル蕎麦にしていた。
 昨年七月に大学のOB会をお子なた時の写真をパソコンで見ながら、懐かしそうに彼は目を輝かせていた。彼は昨年はベッドの人だったからだ。学生時代の思い出の夏合宿を語り合いながら、昨年なくなった私の同期Kのことを何度も知らないで過ごしていたことを彼は悔やんでいた。信じられない出来事のようであった。彼とKの結びつきはそれほどに親密だったからだろう。
 これから彼は2週間あうんで、自分を見つめなおすことになるのだろう。「無理をしないでゆったりと、自分の体と相談しながら、障害の人たちの雰囲気を感じてくれ」と、伝えて彼を宿舎まで送ったのであった。

虫たちの楽園

2007-07-10 07:12:45 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 昨日農場に久しぶりに足を運んだ。4日ぶりというのも、順調に農場が安定期に入っている証拠かもしれない。
 朝農場のハウスに顔を出すと室内から、耳慣れない楽器の音が響いていた。インドの打楽器とディジュリドウという筒状の笛だった。ウーファーの二人が演奏していた。エレキは顔なじみだが、ディジュリドウの彼は初めての対面だった。オーナーは二回目の野菜の配達を青森市にする日だということで印刷を行なっていた。やがて、オーナーのチェロも混じって三人でのセッションが始まった。農作業に汗するばかりではなく、こうして様々音楽がこの農場に身近にあることが、私の心をひきつける大切な要因でもある。
 ところでこの日の農場は30℃で、猛暑であった。長靴の先端がひりひり痛みを感じるほどの暑さだ。午前中オーナーとディジュリドウの彼が配達に出かけている間、私とエレキは長ネギの畑の畝に牛糞を3年間寝かせた肥料土を入れた。こうすることで、ネギの成長を促し、ネギに酸素を供給できるということを聞いた。この後またネギが二股から上に伸びたら土寄せをするのだという。農場で野菜も草もどんどん成長する中、昆虫たちも出産ラッシュだ。カマキリの幼生が可愛い青緑の姿を見せ、牛糞の土の肥料からは甲虫の丸々と太った幼生が、もはやその成虫と変わらない形で埋もれていた。スコップで肥料を一輪車に移す際には注意を払うのだが、うじゃうじゃ居る甲虫が何匹か犠牲になっていた。しばらくして、なにやらビニールハウスの前で人だかりがしているので見ると、肥料会社の職員二人が蛇を捕まえて騒いでいた。呼ばれたので行くと、アオダイショウの子どもだった。それでも60センチくらいはあったろうか。ネズミを食べる益虫だから沢のほうに放して欲しいと依頼して、また作業に戻った。
 やがて汗だくになった頃、お昼の時間になりハウスに戻った。きょうの岩木山は山頂から噴煙を上げているかのように、入道雲が舞い上がって見えた。
 ハウスの床板もほぼ完成に近い状態になり、白や黒に色合いが混じる床板もシックな部屋になっていい感じだ。この床板洗いを担当したのも、あうんのメンバー達の協力だ。
 この日の昼食のパスタのバジルが部屋中に流れて、お腹の虫が鳴り響いた。エレキとオーナーの奥さんの参院で昼食後楽しく会話して、少し横になろうということでそれぞれが休憩に入った。私はこの床に身体を横たえると、灼熱の屋外と違ってひんやりとした床板の体感がなんとも心地よく、うとうとと眠りに入っていた。
 オーナーが「明日は作業を草取りだけにする日だ」と語った。エレキが理由を尋ねると、シュタイナーの暦では地球と月の位置関係で、きょうの午後4時以降は農作業は野菜などの生育に良くないことがあるという。そのために、草取りくらいしか出来ないのだという。そのために、明日は青森市の実家からピアノを運びたいので、トラックを借りて欲しいといわれ、手配をした。いくら男手があるとはいえ、トラックの荷台に人手だけでピアノを運び上げるのは困難だ。リフトのついているトラックを借りれば、その作業が容易となるのだった。こうしてようやく農場にオーナー夫人のピアノがそろえば、ご夫妻のチェロとピアノ音楽が響くことになるのだ。また楽しみが増えること請け合いだ。それに、野菜も呼応して順調な生育を見せてくれる筈だ。
 この後私はFMラジオの出演のために、農場を後にした。きょうの番組では、しらとり農場とあうんの関係と活動内容について紹介するつもりだった。