夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

農場は出会いの場

2007-07-15 18:28:25 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 週末の朝、後輩T君と二人で農場に出かけた。農場には一家族3人とエレキ・ゲッカル・アサヤンという新たなウーファーがニンジン畑の草取りをしていた。きょうの畑は親子連れの参加でとてもにぎやか。ウーファー3人と親子連れの会話はオーナーも参加して、まるで畑の中の情報交換会だった。
 10時過ぎに胡桃林のベンチで休憩時間になってもそれは続いていた。Sさん親子はスウェーデンでの生活が長かったらしく、話題も豊富だった。「スウェーデンで結婚をしようと思ったら、子育て、家事もこなせないと相手にされない」と、Sさんは語った。
 オーナー夫人が畑の中の一角にあるラズベリーの木から赤く熟した実を摘んで来てテーブルに並べた。ラズベリーはさわやかな甘酸っぱい味を口の中に広げ、美味しかった。
 畑でSさんが公衆衛生学を教える教官であるらしいことや、そのために各国の公衆衛生学の権威と出会う機会を持っていること。沖縄県と青森県の共通項として、どういうわけか年収の低さが全国最下位を争っていること。更には肥満が多いのが共通項だと話していたのが耳に残った。スウェーデンでは、どうやら肥満は少ないらしいことや、ゴミの少なさなども日本と違う点だということだった。
 午前中の草取りがきょうの稼動人数で、どんどん成果があって、あっという間に進みお昼になった。
 それまでSさん夫妻とは会話をしないでいたが、Sさんがオーナーから聞いたのか「新潟県ですって?」と聞いてきた。すると彼もなんと長岡市の出身であり、割と身近な情報が交換できる人だったことが分かった。
 親子連れがもう一組加わって、にぎやかなお昼となった。お昼はお握りと野菜と鶏肉などの煮込みだった。そしてこの農場から出土した縄文土器を子ども達にも見てもらおうと、オーナー夫人が家宝の箱を持ってきて開くと、喚声が上がった。きょうは子ども達が二人小学4年生と2年生二人も居ることがあって、いつものお昼寝なしで、私が持参したボンゴや打楽器を鳴らして遊んだ。お昼がにぎやかに終え、みんなで午後の作業に移動した。サツマイモ畑の除草も、きょうはみんなで様々な話題を交換しながら、手は休めずに進み、枝豆の畑での土寄せも4時には終了した。
 子ども達にと、オーナーが土器のたくさん出る沢のがけっぷちの場所に案内して、ウーファーのエレキとアサヤンが土を掘り返した。すると土器がたくさん出始め、子ども達の喚声が上がった。「子ども達の夏休みの宿題に役立ちそうだ」とお母さんが話し、子ども達も真剣に土を掘り返して探し、発見した土器を大切そうに手に握っていた。
 こうして二家族とお別れして、農場の一日は終えた。
 きょうはピアノがハウスに入ったお祝いの「ピアノ祭」をすることになっていて、汗を流すためにみんなで近くにある温泉に行くことになった。間もなくウーファーの別れが近づいていて、エレキは岩手県、ゲッカルはあうんで泊り込んでのペンキ塗りの生活が始まるのだった。アサヤンがその二人に代わってウーファーとして農場に残ることになった。
 来週の頭には前に農場に1ヶ月間居たウインターがまた戻って来て、あうんの夏休みの子ども達のケアのアルバイトに付くことになっている。そういう意味でもこの夜のピアノ祭りは、さながら歓送迎会という感じでもあった。しらとり農場のオーナー夫妻が感謝のチェロとピアノのセッションで「カントリーロード」を披露し、「手伝ってくださってありがとう」とお礼を述べた。そしてみんなで大いに飲んでは語り、そして打楽器などを使っての全員参加のセッションは二度と再現の出来そうもない豊かなセッションになった。後から参加したあうんスタッフのマッチャンが得意のお好み焼きを作って、またまたみんなの胃袋は膨らんだ。
 こうして深夜になった宴会も終え、寝るためにハウスの外に出て夜空を見上げると、満天の星空がそこには広がっていた。