夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

ボランティア会議とまちづくり

2007-07-13 06:47:27 | 福祉について
 旧岩木町の社会福祉協議会が市町村合併で、弘前市の一地区社会福祉協議会となった。しかしその合併により予算が削られて、あまりにも不当な取り扱いに理事会の会長や役員からも憤懣やるかたないという声があがった。しかし、それも次第にトーンダウンし、納まるところに収まっていくようだ。
 結成後2度目の理事会が開催され、私は岩木地区の民生委員児童委員協議会の一人として役員になったことから出席している。今までは行政主導で動いてきた地域福祉活動が、今後は地区社会福祉協議会が自主的に運営していく構図がそこから見えてくる。しかし、そこには高齢者集団しか見えてこない。
 私は会議の始まる前に、会長から「敬老会のアトラクションの企画を任せるのでよろしく」と命じられ、断りきれなかった。出席予定者は75歳以上103歳までの330名の高齢者だという。市からの補助金は旧弘前市の地区社会福祉協議会の一人あたりよりも500円低い額に抑えられている。したがって、予算は期待できないので、ボランティア頼みとなる。地域のネットワークがこういう時に機能するかというよりも、そういうネットワークが活かせるのだろうかと、少し危惧する会議だった。
 その会議の後もう一つ、「弘前市ボランティア支援センター運営委員会」が定例会を18:30から21:00まで開催された。こちらも、これまで教育委員会が主宰してきたボランティア支援センターを、民営化させたいという意図を強くした審議委員会のようなものだ。ボランティアというとこれまでは社会福祉協議会がその育成に当たって来たはずだが、いつのまにか行政からの事業をこなすだけの団体になり、個人ボランティアや団体ボランティアに助成金だけを与えるだけで、育成したり、コーディネートしたり、ネットワークする力(機能)を萎えさせてきた。こうして二つのボランティアの窓口が別々に出来上がり、この両者はこれからも一緒になる気配を見せない。
 そのことを認識した上で、弘前市がボランティア支援センターをどのように位置付けるのかが一番重要な部分となっている。そして、ボランティア支援センターは弘前市の行政機関との協働の機能を果たせるように、支援センターの運営資金や事務局の場所を保証すべきだという結論に委員会では総員一致で確認してきた。
 ボランティアのあるべき姿としては「まちづくりは人づくり」という意識だろう。住みやすい町は行政だけでは生まれない。住んでいる人々が、協力し理解し合い、一人一人の得意を活かしていくことこそ、住みやすい町につながっていくことだと思う。

出荷の日々

2007-07-13 06:10:34 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 朝からきょうは曇り空で弱い雨が降り、いつ降り出してもおかしくない天候だった。岩木山も頂上から半分が見えない。これが梅雨なのかと、ふと思っている。私は農作業は少しきょうは諦め気味で、農場を訪れた。
 若者二人とオーナー夫妻は、出荷の準備でビニールハウス内で立ち働いていた。若者二人と今、農場外の仕事を依頼するためにきょうは訪れたのだ。というのも、このウーフ制度は非通貨の仕組みであることから、食事と宿舎は保証されても、交通費は保証されないので、所持金が少しずつなくなっていくことは間違いなかった。23歳の彼等が次の目的地に移動するために最低限は働かなければならない。エレキは岩手へ、ゲッカルは札幌のアイヌモシリの祭りを見に行きたいので、なんとしても交通費を稼ぎたいので何かそういう場所を探して欲しいということだった。下北に住む私の友人に紹介を依頼すると、返事が来て大間漁協が1ヶ月間のイカ漁の舟に乗り込む仕事をやらないかという電話があった。それを聞いた後で,そう云えばあうんだって仕事があったことに気づいた。それはあうんの建物のペンキ塗りの仕事だった。あうんの回廊は周囲を屋根が突き出ていて、その建物の周囲を一周できるように回廊となっている。風雨や風雪により、木の回廊は少しずつ塗装が剥げ落ちていくのだ。業者に見積もりしてもらったらあまりにも高くて、自分達でやろうということになった。しかしなかなか子ども達が滞在するときは、お気に入りの回廊は作業を中断せざるを得なかった。
 二人にその話をしたら、ぜひやらせて欲しいということになり、来周の日曜日からあうんに泊り込んでゲッカルが中心に、エレキが数日間手伝うことで話がまとまった。
 農場では今朝は出荷の準備が着々と出来、大根やスナップエンドウ、キュウリなどが箱に詰め込まれていた。あうんも規格外の野菜をたくさんいただいた。こんなことで商売になるのかという思いも混じり、オーナーの欲の無さを少し憂えていた。あうんのメンバーも一度は雨を理由に施設内作業を考えたが、降りそうもないので農場に草取りに出かけた。三重県のT君も同行して午前中を過ごしたらしい。わたしは午前中「ゆいまある」の周囲の草刈に汗を流した。
 深夜、以前農場で働いていた福島の17歳のTさん(通称キャサリン)から、メールが届いた。宮城県の自然学校で自分の得意科目を活かして楽しい日々を過ごしている様子が綴られ、彼女が生き生きと過ごしている様に喜びと安心を感じた。16日にはもうひとりそこに同行して滞在しているFさん(20歳、通称ウインター)がまたあうんの1ヶ月間の子ども達の夏休みのケア要員としてアルバイトをすることになっている。
 しらとり農場はまさに出会いの農場なのだと最近一層その思いを強くしている。