昨日の日曜日は「しらとり農場」は休業日で、縁あって農場に出入りする人たちが集合して当初は「岩木山登山」を計画していた。しかし、その登山のイメージもそれぞれがまちまちで、車で8合目まで登って、その後はリフトで頂上近くまで登れば30分程度で岩木山頂に到達するという楽なことを希望するメンバーと、せっかくだから下から歩いて極めたいというメンバーがいた。しかし岩木山の朝は厚い雲に覆われていて、登山日和とはいえない状態にあった。
私とミス・ウインターはとりあえず農場に朝向かった。するとオーナーハウスでは、朝8時過ぎの朝食会が繰り広げられているところだった。結局オーナーが「酸ケ湯に行こう」と提案して、ようやくきょう一日のスケジュールが決まると、その企画に13人が参加してきた。車は3台で、13人がそれに分乗した。10時に弘前駅周辺に着いて、待ち合わせた人たちと落ち合い、一気に車を城ケ倉大橋という八甲田山の入り口まで走らせ、その橋でいったん休憩がてら、橋の中央から見る八甲田山と東側に広がる緑のブナ林、そして真下の120メートルといわれる城ケ倉渓流の美しさに目を引かれていた。
オーナーと自然農でつながった人。六ヶ所村の「アースデイ」でつながった人」「ウーファー」そしてその意識でつながっている人たちがぞろぞろと橋を楽しそうに渡る様は、この集団の特徴を現していた。
お昼に酸ケ湯(すかゆ)に到着して、一人600円の入湯税を払って、温泉にみんなで浸かることになった。私も初めてこの混浴風呂で有名な「千人風呂」の温泉に浸かった。
硫黄の匂いが酸ケ湯の名前からも彷彿されるが、檜で創られた浴室の入り口の狭さと、ドア一枚の向こう側に広がる空間の大きさにまず驚かされた。階段を4~5段下りると、最初の浴槽があり、奥の左側には「打たせの滝」、そして右奥側には大浴槽があり、そこがまさに混浴のようであった。私はその混浴の仙人風呂に入った。乳白色で多少青みがかったお湯は、硫黄泉独特の香りで包まれているようであった。顔をそのお湯でジャブっとかぶったら、眼が沁みた。結構酸性が強い。お湯はにごっているので、湯の中の姿はまったく見えない。湯から首を出して、しばらくお湯の中で目を閉じてその温泉を楽しもうとしていた。するとしばらくして、私の右後ろの方から、数人の女性の声がし始めて、私の右側の湯の中に入る気配がした。混浴にはあまり縁のない私は少し緊張していて、数分で浴槽から上がって、打たせの滝に向かった。二人ほど先客がいて、2.5メートルほど上から落ちるお湯を腹ばいになって腰をその湯に当ててていた。私も腰が悪いので、同じ姿勢でそれを試みた。程よい湯の落下する刺激で、マッサージ効果があった。次に自転車で転落事故の後遺症のある右肩も、同じように滝に打たせた。
もう少しゆっくりお湯に入ろうかとも思ったが、何となく落ち着かず、男性専用の浴槽に再び入って、30分程度で上がってしまった。しかしこの硫黄泉の身体にまとわりつくような泉質は、私の身体を皮膜で包んでいるかのように温めていた。
日曜日の酸ケ湯温泉は、八甲田山の入場口でもあって、駐車場にはたくさんの観光客用の車がその来場者数を示していた。そしてこの千人風呂に入るためにやって来たファンが、次々とホテルの中に消えては出て行くのであった。
1時間近くたった頃か、全員がそろって食堂でそれぞれの注文の食事をした。ザル蕎麦は十割蕎麦のうたい文句ではあったが、腰があってしこしこ麺だった。私はここでは麦飯に長芋をかけた、麦飯とザル蕎麦を頼んだ。
食後一路また車は十和田湖を目指して走り、30分で奥入瀬渓流に到着した。一行を「阿修羅の流れ」で下ろして、5キロ上流の「銚子大滝」で待ち合わせた。2時間はたっぷりかかる行程で、その間私とオーナー夫人、そしてOさんの3人は、時間つぶしも兼ねて奥入瀬川を銚子大滝から下った。午後2時過ぎの奥入瀬川は巨木の桂の木やホウノ木などの広葉樹で日差しが遮られた空は、緑のカーテンのようで目に優しかった。銚子大滝の瀑布も、さながらマイナスイオンの一大イベントのようで、人々の心をとらえて離さなかった。奥入瀬渓流はその川の傍を遊歩道が整備され、時には川を超えて左に橋を渡り、また戻った。1.2キロほど下って、ようやくメンバーと合流するのにそれから40分ほど経っただろうか。
時計は既に午後4時を過ぎていた。子の口の遊覧船発着場に車を走らせ、そこで下車し、夕陽の中を就学旅行生を満載した遊覧船が舟を休み屋に向けて出発したところだった。我々一行はその人気の途絶えた岸壁で、ゲッカルの演奏する恐らくは最後のディジュリドゥのかもし出す幻想的な演奏を聞いた。
こうして午後5時になり、ひとまずここで3台の車は解散状態になって、一路農場を目指していた。この出会いは農場のこれからの活動の中にまた、どのような展開となって開かれていくのかはわからない。いずれにしても「しらとり農場」がこのような人々の縁によって成り立っていることを明確に示していることを思い、そしてまた続いていくのだろうと感じながら夕陽に染まる農場を下りた。