筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い⑦(体育4・小林哲春/都立昭和、体育4・榊原慎太郎/島田)

2023年08月20日 20時30分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第7回は小林哲春(体育4・都立昭和)と榊原慎太郎(体育4・島田)です。

 

 

是非ご覧ください!

 

 

 

 

こんにちは。

筑波大学硬式野球部4年の小林哲春です。

 

「ラストシーズンに懸ける想い」も12人目となり、人によってはそろそろ全員分読むのを諦めている頃でしょう。自分が下級生の頃はそうでした。先輩方すみません。自分と投稿日が同じである「熱い男榊原君」に負けないような熱い想いを綴ろうと思うので、ぜひご覧ください。

 

 

部員のみなさんは自分に対して、年明けの駅伝でMVP賞を取ったり、スタッフなのにウエイトの時一番声を出していたり、1時間ぶっ続けでバッティングピッチャーをしたりと「脳筋」というイメージがあるかもしれません。9割正解です。高校時代から垣間見え始めた脳筋さは、大学で賢いみんなに囲まれ開花しました。ここからは野球人生を振り返りながら筋肉で考え、筋肉で文を書いていきたいと思います。

 

 

 

高校2年生の夏休み。チームで遠投を1番飛ばしたことをきっかけにピッチャーを始めました。それまではピッチャーとは無縁でした。

 

当時はサイドスローでピッチャーをやっていましたが、常に肩と肘に痛みを抱えながらプレーしており、試合の日の朝は起きることが怖くて苦痛な日々を送っていました。オーバースローで投げると痛みは軽減したものの、チーム事情やサイドスローでの成績が良いこともあり、なかなか転向できず、最後はボロボロの状態で不完全燃焼のまま引退しました。高校時代の最速は128キロでした。

 

ただ、痛みを感じるということはその分投げ方が悪く、しっかりと力の伝達ができれば140キロ出るのではないかというあてのない自信だけはありました。この不完全燃焼と将来の自分への期待が筑波大学で大学野球をやるという原動力になりました。

 

 

大学野球はコロナ禍で迎え、部活が無い時期の1人での練習や再開後の筑波のトレーニングにより8月の初ブルペンでいきなり140キロを投げてしまいました。130キロもまともに投げたことがなかった自分にとって140キロは雲の上の存在であり、そこに到達したことがたまらなく嬉しく、ワクワクの大学野球生活がスタートしました。ここでの球速爆上げ法は長くなるので割愛しますが興味のある人はぜひ直接聞いてください。

 

しかし、150人の部員と素晴らしい投手ばかりの同級生の中で、Aチームからは程遠く当然のごとくBチームからのスタートでした。

 

 

そんな中、1年生の12月。気温5度を下回る極寒の中、ブルペンで140キロ越えを連発。これをきっかけに年明けからAチームに呼ばれることができました。止まらぬワクワクと緊張感の中、ここからが自分の本格的な大学野球の始まり

 

 

 

と思いきや、1ヶ月も経たないうちに腰を疲労骨折してしまいました。

 

 

そこから約1年間復帰できず、野球人生の中で1番つらい経験となりました。かなり追い込まれていたのか、プライベートを含めこの時期の記憶だけがあまり思い出せません。

 

その後、復帰し始めでスタッフミーティングを迎えました。約半数がスタッフになっていく中で、怪我とAチームでの経験を活かし、学生コーチになる方がチームは強くなるのではないかと思い、現在の投手コーチになりました。プロや社会人、独立など上でも野球をやりたいという思いで始めた大学野球でしたが、その夢はここで途絶えてしまいました。今でも怪我をしていなかったら、選手を続けていたらどこまで自分は成長できたのかを考える時があります。

 

 

でも、そんなの考えたところで何にもなりません。だから、選んだ道を正解にすべく、自分にしかできないことを模索してきました。ライブ配信課にもデータ活用局にも部内企画課にも入りました。

 

 

投手コーチとしては、コロナで制限も多かった中、Aキャンプに3回も行くことができ、ヘッドコーチではないのに運よく昨年の秋リーグにも今年の春リーグにもベンチに入ることができました。選手時代には味わえなかった最前線で戦うことができてとても嬉しく楽しかったです。

 

同期のピッチャーへ。選手を続けた人の活躍している姿や必死に練習する姿、スタッフのチームを第一に考えどんどん新しいことに挑戦していく姿。それが自分を奮い立たせてくれました。ありがとう。

 

 

 

最後に。

 

「本気で優勝したい」「本気で日本一を獲りたい」です。

 

 

1.2年生の頃はコロナもあり、リーグ下位を争っているチームでしたが、昨年の秋リーグでは2位、今年の春リーグでは3位と、自分にはこの秋リーグで優勝するための順位であったようにしか思えません。

 

今年のチームは本気で優勝したいと思える、本気で優勝できると思う、本気で優勝のために何でもしたいと思えるチームです。

 

筑波の野球部が、みんなが大好きです。勉強頑張って筑波に入って良かった。

 

あとは結果だけ。

 

 

そのためにも自分はピッチャーとして投げまくります。バントピッチャー1時間耐久や週2000球もこなしてきました。選手時代よりも圧倒的に投球数が多く、きつい時もありますがなんやかんや楽しくて投げています。Aチームでなくても、下級生でも大歓迎です。自主練で投げてほしい人がいたら投げるので気軽に声かけてください。

 

鉄腕ならぬ哲腕でラストシーズン突っ走りたいと思います。

 

体育専門学群4年 小林哲春

東京都立昭和高校

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。
筑波大学硬式野球部4年榊原慎太郎です。

 

平素より多大なるご支援ありがとうございます。

決して読みやすい文章ではありませんが最後まで読んでいただけると幸いです。

 


あと少しで秋リーグが開幕します。泣いても笑っても最後のリーグです。優勝したいです。


野球部のみんなからしたら本当に思ってんのかよと思うかもしれませんが、本当に優勝したいです。優勝して全国に出たくて筑波に入ってきました。


4年生がもっと1つの方向に向かえば優勝できると本気で思っています。

 

全員で優勝に向かっていこう。

 

1.2.3年生のみんな本気で優勝目指して4年生についてきて欲しい。理由はなんでもいいから一緒に優勝目指していこう。

 

甲子園に出たことがあるわけでもないし何かの大会で優勝したことがあるわけでもありませんが「勝つ」これは何にも代え難い素晴らしいものだと思います。だからリーグ戦はもちろん、オープン戦も紅白戦でも勝ちたいと思ってます。勝ってみんなと喜びを共有したいです。

話は変わりますが、僕は、必死に喰らいついて泥臭く生きることが好きです。理由はかっこいいからです。僕はこんな自分が好きです。チャンスがある限り諦めたくないです。あの時やっておけばという後悔はしないように人生を生きたいです。

 

今までの人生でそんな人たちとしか出会ってこなかったからということもあると思います。僕は今までの人生で僕と関わってくれた人に本当に感謝しかないです。ありがとうございます。

 

それともう1つ、間違いなくこの自分に育ったのは両親のおかげだと思っています。
高校の時から少しずつ気付いていたけど恥ずかしくて言えなかったありがとうという言葉、今では普通に言えるくらいに成長しました。2人のもとに生まれて良かったと思ってます。ありがとう。今までずっと野球でどこかに旅行に行ったり出掛けたりすることがあまり出来ていなかったので家族みんなで出掛けて思い出を増やしたいです。30周年ライブ以来行っていないサザンオールスターズのライブに家族で行こう。

 

僕には弟もいます。弟は大学2年生で今も野球をやっています。いつも弟の代は強くて羨ましい気持ちが強かったです。そんな弟の活躍には嬉しい気持ちと自分も頑張ろうという刺激を貰い続けています。ぜひ、日本一になってください。

 

先ほども述べましたが、僕は泥臭く一球に喰らいつき我武者羅に野球をやりたいです。

 

僕は去年はCチーム、今年はBチームのヘッドコーチです。スタッフになってから「必死」「執念」「勝負」というようなことを選手のみんなに伝えてきました。

 

ですが、去年のCチームの時はもちろん、春先くらいまで全く伝わりませんでした。Cチームの時はやれると思って本気で4:15からメニューを組みました。初日で遅刻し、その後1週間に1回のペースで遅刻して信頼なんてものは無くなりました。大変申し訳ありませんでした。

春先はみんなが何をやっていいかわからないし、やらされてるような練習をやっている日がほとんどだったと思います。

そんな日々を送っている時はこんな野球をみんなとやりたかったわけじゃないのになんでこんな風になるんだとずっと思っていました。

みんなもきっと、いつもより野球に来るのが億劫だったと思います。申し訳なかったとめちゃくちゃ思っています。ですが、何が変わったのかわかりませんが、最近のBチームは僕が伝えたかったことをみんながわかってくれて少しずつできるようになってきている気がして嬉しいです。

Bのみんなが好きです。このチームで勝ちたい。この文章を読んでくれた関甲新に行く選手、スタッフ、みんなで絶対に優勝しよう。

 

今津、竹本、岸、夏目
今まで下のチームにいることが多く、たまにAの試合に行っても弾き返されてまたBでの日々を送ることが多くて苦しかったことがほとんどだと思うけど、いつも練習では助けてくれてありがとう。残された最後のチャンスを掴んで絶対にリーグに出てほしい。バッピ、ノックやらせてください。

 

いつも慕ってくれてる後輩
Bで試合して勝って喜ぶことも嬉しいけどやっぱりリーグに出てプレーするのが1番。みんながリーグに出てる場面を見たいです。練習するか迷ったらやろう。付き合うし、付き合わせてくれ。


最後は勝って泣いて胴上げされたい。


最後になりますが、秋リーグ1.2.3.4年生全員で優勝を掴みにいこう。

体育専門学群4年 榊原慎太郎

静岡県立島田高校

 

 

 

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い⑥(体育4・桐本貫太/新潟、体育4・河本逸聖/岡山城東)

2023年08月19日 20時30分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第6回は桐本貫太(体育4・新潟)と河本逸聖(体育4・岡山城東)です。

 

 

是非ご覧ください!

 

 

 

こんにちは。4年の桐本貫太です。

 

一井君からブログの依頼が来て早1か月、熟考に熟考を重ねた結果、普通の文章が出来上がってしまいました。興味のある方はぜひ最後まで読んでいってください。

まずは、自分のことについて紹介します。

 

僕は母の故郷である山梨の病院で爆誕しました。そこからは東京、鹿児島、福岡に2年ずつ住んだあと、新潟に引っ越し、高校卒業まで過ごしました。ちなみに現在実家は広島にあります。

 

見ての通り、たくさん引っ越しをしている経験があるので、人間関係を構築する能力が鍛えられ、とても社交的で明るい好青年に育ちませんでした。 

もともと人見知りで、今でも本当に気を許した友人か、お酒が入っているとき以外は、何しゃべるか考えてから話すような人間です。

 

好きなものは漫画とお笑いとあと、野球です。周りにはお笑い好きと豪語していますが、小学生レベルの下ネタとダジャレに1人だけ大笑いし、自分のお笑いレベルの低さに落胆しています。

 

好きな言葉は「迷ったら難しい方を選べ」です。

 

これを実際に体現するというのはかなり難しいことだと思いますが、最近では自炊した後の食器を今洗うか、明日の自分に託すかで迷ったときは今洗うようにしています。これは余談ですが、自主練行くか迷ったときも行くようにしています。

 

もちろん、この程度のレベルでは満足していません。練習後の水筒もすぐに洗うようにします。

 

 

さて、本題に入りますが、僕の人生の中心にはいつも野球がありました。

 

ただ、小中高のエピソードを書いても何の伏線にもならないので、やはりここは大学に入ってからのことを振り返ってみようかなと思います。

 

正直、大学での野球は目を覆いたくなるようなことばかりでした。

 

1年生の頃から期待はされていたものの、怪我と不調の繰り返しで全く結果が出ず、悔しい思いをしてきました。

 

そんな自分が嫌で、3年生以降は高校以前の友達とは会わないようにしているくらいです。人生上手くいってないやつが同窓会を欠席するみたいな感じです。あ、名誉のため、言っておきますが、友達はそんな僕を馬鹿にするような人たちではありません。会ったら気にせずいつも通り接してくれる大好きな人たちばかりです。

 

 

そして、さらに悔しいことに選手をあきらめざるを得ない状況になってしまいました。

 

しかし、目標は変わらずリーグ優勝、日本一です。そこに対してできること目一杯やって、少しでも勝ちに貢献できるように頑張っていきます。

 

また、僕の言葉が多くの人たちに届くせっかくの機会なので感謝の気持ちを書かせてください。子供のころから母に言われて親戚に書いていたお礼のお手紙は気持ちがこもらず、書くのが面倒でしたが、今回は心をこめて書きます。

 

 

お父さん、僕の夢を信じ、応援し、最大限の協力をしてくれてありがとう。まだまだこれからです。

 

お母さん、いつも気にかけて、心配してくれて、そして応援してくれてありがとう。ちょっと素直になれなくて、不愛想な返事をしてしまいますが、いつも感謝しています。

 

SMITのみなさん。やっかいなケガをもった僕を見捨てず、4年間も診てくれてありがとうございます。時にいらいらが態度に出てしまうこともあり、ご迷惑をおかけしました。野球をやめずにやってこれたのはみなさんの力がとても大きかったと思います。

 

そして、同期のみんな。スタッフミーティングで選手として選んでくれたのに、結果が出せない中、それでも対等に扱ってくれてありがとう。正直、こんな性格なので、時間が過ぎればすぎるほど肩身が狭くなる思いでしたが、みんなが普通に接してくれることがとてもありがたかった。特に投手スタッフのみんな。感謝しかありません。

 

大学野球最後のリーグ戦、手段は問わず、チームのリーグ優勝、日本一に最大限貢献していきます。

 

 

最後に、

 

父母会の前日、父に「筑波に入ってよかったか?」と聞かれました。当然ですよね、大学野球を始めてもう4年目だというのに、一度も良い報告がないんですから。

 

確かに、筑波大での4年間はつらいことの方が多かったように思えます。

 

しかしまだ、「この経験をしてよかった」といつか思える選択肢が残されています。

 

それは今後の自分の行動次第なのですが。ブログで森口ヘッドの「勝っても負けても官軍」を読むと僕の言いたいことが伝わるかと思います。

 

 

また、それが無くても僕は筑波大硬式野球部に入部してたくさんの尊敬できる仲間に会えました。この出会いは間違いなく僕にとっての財産です。

 

 

いけない、いけない、視界がぼやけてきました。改めて質問に答えましょう。

 

 

お父さん、俺、筑波大で野球やっててよかったよ。

 

体育専門学群4年 桐本貫太

新潟県立新潟高等学校

 

 

 

 

こんにちは。4年外野手の河本逸聖です。

 

日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援のほどありがとうございます。



大学野球を振り返ってみると、常に大きなケガとの戦いでした。
 

1年生の3月に右肩のインピンジメントを発症して離脱、二ヶ月に一度注射を打つ生活が始まりました。

 

3年生の5月には右膝の内側側副靭帯損傷で1か月半の離脱、9月には左膝の後十字靭帯を損傷しました。

 

この影響で足が遅くなり、走り方もおかしいです。(元からあまり速くないという意見をたまに頂きますが、そのような意見は受け付けておりません。)

 
そして現在は、春リーグ東海大学との第3戦で帰塁の際に右肩を完全脱臼してしまい2か月野球ができていません。そろそろ3か月に突入します。
 


大学野球ラストシーズンの前に一番大きなケガをしてしまいました。
 


脱臼をして病院の先生からもう選手として続けていくことは難しい、何なら運動自体厳しいかもしれないと伝えられた時は、頭が真っ白になりました。


 
病院からの帰り道、公園のベンチに座って父に電話をして号泣したことを覚えています。


 
野球ができなくなる悲しさ、応援を裏切る形になってしまった申し訳なさ、運動ができないのに体育教師になることに対する将来への不安、様々な感情が入り混じっていました。


 
それでも現在は復帰を目指してリハビリをしながら練習に参加しています。
 

一度は選手をやめてサポートに回ることを考えました。しかし監督さんや森口(4年野手ヘッド)からお前の気持ちを尊重するという言葉をかけていただき、選手復帰を目指すことを決めました。

 
本当に感謝しかありません。


 
わずかな望みにかけてくれていること、まともに練習参加できないのにAチームに置いていてくれること、感謝してもしきれません。


 
他にも毎日リハビリに付き合ってくれるトレーナーのみんな、事あるごとに声をかけてくれる航大(3年外野手)と真也(3年外野手)、何を考えているのかわからないけどどんな時も普段通り接してくれる耕平(4年内野手)、野球以外でお世話になりすぎている絃(4年投手ヘッド)、ほんとうにありがとう。


 
いつも感謝を伝えられていない両親へ。ここまで野球を続けさせてくれてありがとう。もう少しだけ応援してください。
 


最後に野球部のみんなへ。

 

 
僕は卒業後、地元へ戻って体育教師になります。

 
筑波大学でみんなと出会い、みんなと経験してきたことは素晴らしかったと生徒に伝えるつもりです。

 
大学野球ラストシーズンの結果が中途半端だったなんて話はしたくないです。

 
リーグ優勝してビールかけしましょう。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

体育専門学群4年 河本逸聖

岡山城東高校

 

 

 

 

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い⑤(体育4・岸夕輝/帯広柏葉、体育4・北爪魁/高崎)

2023年08月18日 20時30分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第5回は岸夕輝(体育4・帯広柏葉)と北爪魁(体育4・高崎)です。

 

 

是非ご覧ください!

 

 

 

こんにちは。4年の岸夕輝です。

 

僕から後輩に伝えたいことは一つだけです。

「怪我には気をつけよう」

 

野球に怪我はつきものなので、練習中や試合中の怪我は仕方ないと思います。僕が気をつけて欲しいのは、オフの日に遊んで怪我をすることです。

 

去年の3月頃のオフでした。どうしてもバスケがしたくなった僕は、公園にバスケをしに行きました。前日に買ったボールでドリブルしたりシュートしたり、とても楽しかったです。

 

しかし、楽しい時間というのはあっという間に終わってしまうものです。レイアップの着地に失敗し、全治1ヶ月半から2ヶ月の捻挫をしてしまいました。

 

森口に怒られました。怖かったです。

 

今では良い思い出ですが。

 

みなさんオフの日の怪我には気をつけましょう。

みんなに一番伝えたいことは書けましたが、これだけだとさすがに短過ぎるので、自分の野球人生を少し振り返りたいと思います。

 

野球は小学2年の時に始めました。小学校も中学校もキツい練習はほとんどなく、ただただ楽しく野球をやっていた記憶があります。高校では打って変わって、休日は朝から晩まで、オフの日でも朝練と昼練はやるというそれなりにキツい環境でした。そんな高校時代の自分達の代の戦績は秋春夏全て二回戦敗退。不完全燃焼に終わったため、大学でも野球を続けようと決意しました。

 

そんなような理由で始めた大学野球が、もうラストシーズンを迎えようとしています。本当にあっという間でした。花畑の公園でサッカーをしていたのがついこの間のように感じます。

 

 

今日までを振り返ってブログに書けそうなことは、地域貢献局局長として野球教室を開催してきたことです。今でこそ野球教室を通して、野球を好きになってもらいたい、筑波のファンを増やしたいという思いがありますが、局長に就任したのはそういったことがしたかったからではなく、もっと別の理由がありました。

 

僕は入学してからほとんどの時間をBチームで過ごしていますが、3年の夏から秋にかけてはC チームにいました。リーグ戦で活躍する同期やスタッフとしてチームを支えている同期がいる中で、自分はCにいて全くチームに貢献することができていない。

 

ひたすら情けなさを感じる毎日でした。

 

正直、その時は情けない自分を見られるのが嫌でAチームの人に会うことすら苦痛でした。そんな状況を打破したい、部の中で自分の居場所を見つけたい。そのような思いで就任したのが地域貢献局局長です。

 

 

最初は全く手応えがありませんでしたが、今回のサマーフェスを終えて、僕のやってきた活動がわずかながらチームにとってプラスになっていると実感することができました。

 

 

いよいよラストシーズンです。局長としての仕事は全うできたので、選手としてリーグ優勝にどうにか貢献できるように足掻いていきたいと思います。

 

大学では苦しいことのほうが圧倒的に多かったですが、たくさんの貴重な経験をし、成長することができたと思います。ただ、リーグ優勝の経験がまだできていません。4年生にとっては、この秋がリーグ優勝を経験するラストチャンスです。全員で一丸となってリーグ優勝しましょう。

 

 

リーグ優勝して飲むビールの味を想像するだけでワクワクします。

 

たぶん、真夏の野球場でファイターズを応援しながら飲むビールの味を超えてくる唯一の存在だと思います。みんなで美味しいビールが飲みたいです。

 

 

最後にもう一度確認です。

 

 

オフの日のバスケには気をつけましょう。

体育専門学群4年 岸夕輝

帯広柏葉高校

 

 

 

 

こんにちは、4年投手の北爪です。

 

日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援のほど誠にありがとうございます。

 

文章を書くことは苦手なので稚拙な文章となっていますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

普段、自分の事を振り返ることもないので、このブログを機に簡単に振り返ろうと思います。

 

野球をやっていた父と兄の影響で小学1年の時に野球を始めました。本格的にピッチャーを始めたのは小学5年の時でした。

 

この時に出会った指導者の方がいなかったら、今の自分はありませんでした。ピッチングの基礎をガチガチに固めることができました。本当に感謝してます。

 

中学では部員が5人しかいなかったので、合同チームで活動していました。

 

そ、地獄の高校3年間を迎えることになります。男子校、意味わからん勉強と課題の量、オフのない部活、よく耐え抜いた3年間であり、この3年間が自分を強くしてくれました。最後の夏大で敗れ、悔いが残った気持ちから筑波大学の進学を決めました。

 

 

筑波大学での4年間を振り返ると、たくさんの経験をさせてもらった4年間だったと思います。

 

コロナ禍であったこともあり、筑波に来たのは6月末でした。オリエンテーションの日に平砂3号棟の前で竹本と今津に初めて会い、盛大に陰キャを発動してしまったことは今でも覚えています。

 

1ヶ月ほどでAチームに参加させていただき、ものすごく怖く、レベルの高い先輩方と練習したのは貴重な経験でした。合流初日にラントレで熱中症になったり、言葉遣いがなってなくて怒られたり、午後にPFをやりこんだり、懐かしい思い出ばかりです。

 

この時は4年間やっていけるのか不安になりました。

 

2年になって春リーグで先発させてもらい、デビュー戦で初回ヒット、ホームラン、ヒットと3者連続で安打をゆるしたことは忘れません。また、秋リーグでは入れ替え戦を経験し、今までにないくらい緊張しました。

 

 

他にも、トライアウトでの大炎上、人生初のキャンプ、関東大会出場など、たくさんの経験をさせてもらいました。

 

正直ここまで「勝ちたい」「負けたくない」と思ったことは小中高ではなかったです。

 

身近にいる意識・レベルの高いチームメイトの存在、絶対に負けられないリーグという存在があったからこそ強く思えました。

 

この4年間は身の回りの環境に恵まれ、自分のレベルを向上させることができました。

 

そんな気持ちとは裏腹に成功よりも失敗を多くしてきました。何回サヨナラを経験したことか。本当に野球は残酷であり、心が折れる瞬間はたくさんありました。

 

 

それでもマウンドに上がり続けることができたのは、多くの人の支えがあったからです。

 

リーグ戦に来て応援してくれる両親、「次は頼んだぞ」と声をかけてくれる同期、励ましのLINEを送ってくださる波戸さん、スタンドから応援してくれる部員のみんな

 

感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!

 

次は自分がその恩を返す番です。見ててください!

 

 

後輩ピッチャーへ

 

まずは1年間自分たち4年についてきてくれてありがとう。

 

いろいろと思うところはあったと思うけど、みんなの協力で1年間乗り越えることができました。

 

自分が伝えたいことは2つです。

 

1つ目は、継続することです。

 

フォームをすぐ変えたり、いろんなトレーニングに手をつけたりするのは、あるあるな事だと思います。なんでもいいので1つ継続してみてください。「継続は力なり」という言葉通り、それで自分のレベルが上がります。

 

2つ目は、責任感を持つことです。

 

これは3年生向けです。次チームからは最高学年です。結果でも振る舞いでもチームを引っ張ることになります。まだまだ自分の事でいっぱいだと思うけど、少しずつ全体を見るようにしていこう。レベルの高い投手陣ではなく、勝てる投手陣を作ってください。

 

そして、「リーグ優勝」「日本一」に向けて、最後にもう一度力を貸してください。

 

 

最後に

 

ラストシーズンを迎えるにあたり、最高の同期・後輩と最高の瞬間を分かち合いたいです。

 

1試合1試合、1球1球気持ちを込めて投げます。

 

絶対優勝しよう!

体育専門学群4年 北爪魁

群馬県立高崎高校

 

 

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い④(体育4・大高正寛/星稜、体育4・小野坂尚起/高松西)

2023年08月17日 20時30分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第2回は、大高正寛(体育4・星稜)と小野坂尚起(体育4・高松西)です。

 

 

是非ご覧ください。

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

筑波大学硬式野球部4年 大高正寛です。

 

平素から筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただき大変感謝しております。

 

 

 

昨年のブログで生い立ちを述べてしまったので、少し違う観点からこれまでの人生を振り返りたいと思います。拙い文章で恐縮ですが、ぜひご拝読ください。

 

 

大学野球ラストシーズンと共に14年間の野球人生にも一区切りつけることにしました。

 

 

私が野球をしていて好きな時は、試合に勝つこと、ヒットを打てた場面が挙げられるのですが、その次に来るのは、素振りをしている時間です。

 

野球を始めた頃は、素振りをするのが大嫌いでした。なぜ素振りをしないといけないのかわからないし、振りすぎると手のひらがボロボロになって痛い思いをするし、いいこと全くないやん。と思っていました。

 

考え方が変わったのは中学二年生の時です。

 

中学一年生の秋から、4番を任されていたのですが、春と夏の全国大会へ勝ち進むことができませんでした。

 

 

当時、体重管理表に素振りの回数を記入していたのですが、たくさん振って200回程度だったので、それを正直に書き、コーチに提出したところ、お叱りの文章が返ってきました。簡潔には「チームの4番を任されている奴がそんな素振りの回数じゃ勝てるはずがない。過去の先輩方は、毎日1000回、1500回振って大事な場面で一本出してくれていたぞ」と。

 

 

全国大会へ行けなかったこと、自身も大事な場面で一本打てなかったことが悔しくて、一度騙されたと思って、1000回素振りを行ってみました。それまでは200回振れば満足していたので、200回を越えたぐらいで疲れと、手のひらの痛みとで辞めようかなとも思いましたが、その後は無我夢中でバットを振り続けました。

 

 

終わった時は、とてつもない達成感とやればできるやんという少しばかりの自信と、1000回という数字がすごく身近に感じられるようになりました。どれだけ無理だと思うことでもそれは自分の可能性に蓋をしているだけで、自分の考え方の外に出てみれば、見える世界もまた変わってくるのだと改めて感じることができたのは私の人生の大きな転機だったと思います。

 

大体2時間前後あれば1000回振れるので、やりたくなった方はぜひ!

 

高校に入学してからも挫折の毎日を送りました。

 

努力では太刀打ちできないような先輩方や同期に出会い、レベルの高さ、自分の未熟さを痛感しました。自分が憧れていたチームはこうでないと!と少しワクワク感があったのは覚えているかもしれません。

 

ただ毎日不安でした。野球を行っていて初めて自分には居場所がないんだと、このまま何もしなければ腐って終わってしまうと、練習をしなければ周りに置いていかれる気しかしなかったので、とにかく毎日練習が終われば室内で打ち込みをして、家に帰ってもバットを振って、必死でした。そしてバッティングについて、惜しみなく教えてくれる仲間がいたからこそ、打撃技術も考え方も成長できたと思っています。

 

最後の最後で甲子園で準優勝できた経験は、一生の財産です。

 

 

大学でも野球を続けることができ、素振りも継続して行っている中で素振り仲間もできました。その人と夜な夜な誰もいない場所でバットを振っていたのですが、最近は一緒にできていないので、もしこのブログをみてくれていたらまた一緒にしたいなと思っています。そして昨年の秋ついに手首に限界がきました。人生初めての骨折がバットの振りすぎという診断で、ましてや手首のとても小さい骨になるとは想像もつきませんでした。ですが、初めて自分の身体が限界を教えてくれたのかなとも思いました。

 

 

野球の少し嫌いなところは、どれだけ努力してもそれが結果となって返ってくる保証はないということ。それでも素振りをしている時間が好きなのは、毎日自分を見つめ直すことができ、自分と対話できているからです。

 

良かった日も悪かった日も自分と会話して、何が良かったか悪かったかを見つめ直して、また次の日にフラットな気持ちで迎えることができる。

 

そしてもう一つは、自分はこれだけやってきたんだという自信が湧いてくること。毎回試合で打席に入るのは不安しかないですが、そんな不安を払拭してくれているのは、自分の中ではそれまでの過程が自信をくれていました。これまでで何回バットを振ったのか想像がつきませんが、野球というスポーツに熱中することができて、辛く苦しい毎日でしたが、とても充実していました。

 

 

野球を続けてきた中で一番感謝を伝えたいのは家族です。小学生の時に、野球をしたい!クラブチームに入りたい!と言って野球に打ち込めるようになってから家族には、野球中心の生活をさせてしまい、本当に迷惑ばかりかけてしまったと思います。

 

大学に入り、初めて実家を離れて生活してみて、家族の支えがどれほど大きいものか身を持って実感することができました。

 

これまで支えてくれて本当にありがとう。

 

野球を続けさせてくれてありがとう。

 

 

そして、14年間で先輩、同期、後輩関わらずチームメイトだった皆さん、指導者の皆様方にも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

皆さんの支えがなければここまで野球を続けることができませんでした。野球の技術的な部分を始め、人間的にも大きく成長することができたのは、野球を通じて出会えた皆さんのおかげだと思っています。

 

恵まれた仲間と本気で語って、本気で夢を追いかけることができ、最高に楽しかったです!

 

本当にありがとうございました。

 

 

ラストシーズンに懸ける想いですが、リーグ優勝という経験したことのない新しい景色をみたい。そして、もう一度全国大会の決勝の景色を、日本一の景色をみたい!というのが一番の想いです。

 

こうしてもう一度リーグ優勝、日本一をかけて全力で勝負ができることに感謝して最後のリーグ戦に臨んでいきます。

 

私は小学校、中学校、高校とラストシーズンにはとにかく強かったので、この大学野球でもラストシーズンに強い男の活躍をぜひ楽しみにしてほしいと思います!

 

 

神宮に行って、一番長い秋を過ごしましょう!

体育専門学群4年 大高正寛

星稜高校

 

 

 

 

こんばんは。
筑波大学硬式野球部4年、ヘッドトレーナーをしています小野坂尚起と申します。

 

今は訳あって自宅で待機しています。チームがええ感じの中、この文章を書いています。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

私は香川県で生まれ育ちました。

 

初対面の人に出身地のことを言うと、「うどんの?」と言われます。ちょっと仲良くなってきたら「うどんしかない?」に変わります。何と言われようがうどんは美味しいし、地元は良いところです。

 

「うどん処しんせい」といううどん屋さんがおすすめです。最近は野球部に香川出身の人が増えて、すごく嬉しいです。

 

 

私は小学4年生のときに野球を始めました。

 

自分が入ったのが遅かったこともあり、ライトとレフトしかポジションの空きがありませんでした。右も左も分からないまま選んだ気がします。

 

ただチームは強かったので、試合にはずっと勝って、四国大会は3回くらい優勝していました。

 

この頃の口癖は「大丈夫」だったそうです。この前の夏帰省のとき、祖母に言われました。

 

「大丈夫」が口癖の小学生は想像できません。

 

 

その後も中学・高校と伸び伸びと野球をしていました。

 

高校のとき、開脚でどうしても胸を地面につけたかった私は友達3人に乗ってもらった結果、両脚を同時に肉離れしたりもしました。しかし、このおかげで奇跡的に自分が何をすべきかの選択肢が狭まり、体重を増やした結果、今があると思います。

 

この頃はとにかく目の前のことに夢中でした。

 

 

 

いろんな縁があり、筑波大学に合格しました。

 

その頃の私は何か決断をすることが自分の可能性を狭めるのではないかと考えていたので、もし受かったら野球部に入ろうと考えていました。

 

入学後、いろんな人に出会いました。

 

特に怪我はなかったものの、選手としては全く結果が出ず、2年の冬からはトレーナーになりました。

 

トレーナーになってからは、チームに所属している実感が強くなり、野球部のことが好きになった気がします。
練習後にチームメイトの練習に付き合ったり、ずっとバッピしたり、食事を見たり、夜まで走った後にコンビニに行ったり、と何事も断らなかった結果、いろんなことをしましたが、悪い気は全くなかったです。

 

むしろ、勝ったときの喜びがさらに増えた気がします。

 

そんな私のラストシーズンにかける想いは、

「優勝したい」です。

 


このチームでリーグ優勝・日本一を達成したいと強く思います。
チャンスで誰かが打ったとき、ピンチで守りきったとき、試合に勝ったとき、どれも心が奮えているのを実感します。その度に元気を貰い、頑張ろうという気持ちになります。

 

このいい経験ができるのもあと3ヶ月です。

 

私の好きな言葉の中に「而今」という言葉があります。

 

「このいま」という意味です。

 

このいまの中に時間があり、一瞬一瞬の積み重ねの先に未来があります。

 

「一行三昧」という言葉も好きです。

 

真っ直ぐな心を持ってひとつのことに全力を尽くすという意味です。

 

 

このチームにはいろんな人がいて、それぞれがいろんな想いを持っています。
1人1人にとっての一瞬だったり、想いだったりは違うかもしれません。
だからこそ、目の前の一瞬を積み重ねてみんなで共に優勝しよう!!

 

 

拙い文章にも関わらず、最後までありがとうございました。
秋リーグも温かいご声援をよろしくお願いいたします。

 

体育専門学群4年 小野坂尚起

香川県立高松西高校

 

 

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い③(体育4・今津寛春/旭川東、体育4・大貝龍輝/西宮東)

2023年08月16日 20時15分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第2回は、今津寛春(体育4・旭川東)と大貝龍輝(体育4・西宮東)です。

 

 

是非ご覧ください。

 

 

 

皆さんこんにちは。筑波大学硬式野球部4年、桐の葉隊長(筑波大学宣揚歌「桐の葉」を一切の恥じらい・プライドを捨ててバカでかい声で輪の中心で歌う重役)の今津寛春です。

 

平素より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援をいただきありがとうございます。

広報局長として、SNSを介してではありますが支援者の方々からの温かいご声援は身に染みて感じております。

 

ついこの前までは執筆を依頼する側だったこのブログもとうとう自分が書く側になったかと考えると新鮮な気持ちになります。

 

 

ついさっき、寮で夕食を食べながら信じられないくらいデカい声で話す西浦やおそらく自分で前髪を切ったであろうオン眉寮長西尾、物静か(良く言えば)な北爪と寮飯を食べ、三戸と洋画を見ました。

 

そんな何気ない些細な日常にもカウントダウンが始まっていると考えると少しだけ寂しいですが、素直に今の思いを綴っていきたいと思います。僕なりに、一生懸命、気持ちを込めて書きました。是非ご一読ください。

 

 

 

生まれは北海道旭川市、北の大地で育ちました。

 

ラーメン、ジンギスカン、海産物をはじめとした食。ペンギンやホッキョクグマのダイナミックな行動展示が魅力の旭山動物園。そして真冬の凍てつくような寒さとは裏腹な心温かい人。是非北海道旅行の際には旭川市へお越しください。

 

野球は父の影響ではじめ、小中高は主将を務めました。

 

波乱万丈な小中高の野球人生も振り返りたいところではありますが、短編小説くらいの文量になってしまうので、大学野球人生を中心に振り返ります。

 

僕の大学野球人生は新人練中、当時のコーチの方に大雨の中お叱りをいただき、自転車のハンドルを握り締めて号泣したあの日から始まりました。

 

自転車から降りながら挨拶をしてしまったからです。

 

巻き込んでしまった方々すみませんでした。

 

2年生になって初めてAチームに上がった日は、バントが下手すぎて練習から出されました。一学年上の濱内主将につきっきりでバントを教えていただきました。ありがとうございました。

 

3年生以降は長らくBチームで過ごしました。お母さんがJKみたいな生島はじめ同期が次々とリーグ戦デビューをしていく中、情けない気持ちだったと同時に、正直、どこかに野球と向き合うことから逃げていた自分がいることもまた事実でした。

 

 

そんな自分ですが、地域貢献や筑波大学スポーツの活性化を目指して、3年秋に4年ぶりに行われた秋リーグホームゲームを統括させていただきました。企画に際して色々と大変なことはありましたが、当日牛久球場一塁側スタンドがフーチャーブルーに染まったあの風景、そして全員で勝利の喜びを分かち合ったあの瞬間を僕は一生忘れません。

 

スポーツには人を勇気付ける力があると思ったと同時に、応援の力はすごいなと、そして僕を含めた企画班のメンバーが次はこの声援を背にグランドに立ちたい、と思ったことも事実です。

 

そして今、立教大学さんをお招きして企画した「つくばベースボールフェスティバル」が終わり、帰ってきて追記しているのですが(一井マジでごめんなさい。)、筑波大学硬式野球部の活動、特に地域貢献やホームゲーム等の取り組みには大きな意味があると思います。

 

野球教室や試合の応援で子供たちが目を輝かせる姿、学生主体で、地域の方々と一緒に作り上げる企画。この取り組みをきっかけに、いつか来てくれた子供達が筑波大学硬式野球部に入部してくれる、そうでなくても、持って帰った「TSUKUBA BASEBALL」のTシャツを着て野球の練習をしている、野球がもっと好きになる。それだけでも大きな意味があるのではないでしょうか。

 

もちろん勝つことに執着することも非常に大事ではあり、莫大なお金を生む活動ではないですが、少しでも地域や子供たちの未来の可能性、選択肢を少しでも広げられる、そういった使命を持てる活動であるし、これからも規模を大きくして行ってほしいと思います。

 

そして来てくれた方々の応援は必ず力になり、リーグ戦で、関東大会で、全国大会で、苦しいときに必ず背中を押してくれます。ベンチメンバー、部員だけでなく、応援してくださる方々の応援を背に戦っていこう。山辺お疲れ様でした。

 

とは言ってもこのブログを書いている4年生の夏、自分はまだBチームです。ベンチには数回入りましたがまだリーグ戦には出ることができていません。

 

ですが、そんな自分も今、このチームで優勝したいと心から思っています。

 

 

同期へ

私生活を削って本気で優勝を目指す仲間、そして辛い時に支え合える仲間、1日に2回二郎系ラーメン(俺の生きる道、是非行ってみてください。)を食べに行ける仲間と出会えて良かったです。心からみんなと優勝がしたいです。優勝しよう。日本一になろう。

 

後輩へ

4年間、上手くいかないことだらけだと思うけどそんな時ほど矢印を自分に向けてみてください。活路が開けるはずです。もう少し、一緒に頑張ろう。

 

まずは関甲信、榊原を胴上げしよう。

 

そしてリーグ優勝して、西浦、森口、鈴こうを胴上げして、人生で一番うまいビールを飲もう。

最後に両親、家族へ。

 

いつも支えてくれてありがとう。

 

僕の選択に口出しもせず、温かく見守ってくれたおかげでここまで成長することができました。

 

野球を通して沢山の失敗をして、沢山のことを学びました。

 

それも全て挑戦することを許してくれたからだと思います。いつか二人を越えられるようにこれからも頑張ります。

 

 

妹、2人の弟、いつも刺激をもらっています。これからも支え合っていきましょう。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

体育専門学群4年 今津寛春 

北海道立旭川東高校

 

 

 

 

こんにちは!

4年外野手の大貝龍輝です。

平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援をいただき誠にありがとうございます。

 

 

とうとう下級生の頃から読んできたこの「ラストシーズンに懸ける思い」を自分が書く時が来たのかと少し感慨深く思っています。

 

拙い文章ではありますが、どうぞ最後まで読んでいただけると幸いです。

小学4年生から始めた野球人生があと数ヶ月で終わろうとしています。

 

感想は同郷の先輩である仲井さんと同じく

 

「マジで嬉しい」です。

 

しかし、しょうもない三振をしたり消極的なプレーをするとベンチで父親に蹴り飛ばされ、泣きながら野球をしていた小学生時代、死ぬほど走らされた中学野球、一生の仲間と出会うことのできた高校野球、そしてこの大学野球、数えれば13年間と長く見えますが、本当に一瞬だったように感じます。それだけ充実してたってことだと思います。

 

 

特に西宮東高校で過ごした3年間は本当にきつかったけど楽しかったです。

 

なぜか驚かれることがあるのですが、高校時代はキャプテンでした。

 

ビシバシ厳しいこと言ったりしてました。

 

だらけた雰囲気が漂えば一丁前に集合させて怒ったりなんかもしてました。

 

けど中身は全く今と変わらないので、たまにボロが出る時がありました。そんな時に喝を入れてくださった、東監督、藤光部長には本当に頭が上がりません。恩師と言われて真っ先に頭に浮かぶのはこのお二方です。

 

 

さて、ここからは大学4年間を少し振り返りたいと思います。

 

4/1に集められ、数日後にはコロナの影響で活動停止になりました。この2ヶ月ほどの活動停止期間はほぼ毎日公園で西浦、生島、大高と4人で自主練をしてました。この自主練(テニスボール野球)のおかげで活動再開後の実戦で球速や変化のキレに驚くことはなかったです。ありがとう、まさのスライダー。

 

その後活動再開、そして冬にはOP戦も始まりました。

 

僕は代打要員としてAチームに帯同し自分でも意味がわからないくらい打ちまくりました。ラストシーズンを控えた今思うとここが僕のピークでした。

 

初めてのリーグ戦の思い出は緊張で嗚咽しまくっている自分を西浦がケラケラ笑っていたことです。

 

そんなこんなで結果はトータルすると代打で4打数ノーヒットでした。でもこの時は打てなかったことが悔しいだけでチームの勝敗に何か思いがあったかと言われるとなかったと思います。

 

その後は、Bチームにいることが多くなり、たまにAチームに呼ばれても結果を残せない日々が続きました。仲の良い同期には何回辞めたいって言ったかわかりません。

 

そんな中でも腐らずにここまでやってこれたのは先輩のスタッフの方々や同期、そして何より家族の存在が大きかったと思います。

 

ヘッドだった傳谷さん、各自25分の寺原さんなどBスタッフの方々、1日に2食二郎を食べに行ったり、カラオケに行ったり、スマブラをしたり、チャリ旅をしたり、飲み会をしたりとここには書ききれないようなたくさんの思い出がある同期、そしてほぼ毎日ビデオ通話をかけてきて他愛もない会話をしてくれた両親と可愛い弟のこうちゃん。本当に全ての人に感謝です。

 

 

ラストシーズンを控えた今、自分はモチベーター(にぎやかし)の役割を担っています。(一応代打も) 

 

仕事内容は、どんなにチームが苦しい状況、しんどい状況でも明るく前を向いて声を出し、チームを引っ張ることです。

 

多分昔の自分なら少し斜に構えて「なんやそれ」って言ってたと思います。でも今は違います。

 

それも立派な役割、レフトやライトと変わらない10人目のレギュラーなんだという監督さんからのお言葉の通り全身全霊をかけてチームをにぎやかしてます。160人の代表としてベンチに入れるならば、どんな役割でもチームに貢献してやろうと思っています。それが同期や後輩たちへの恩返しだと思っています。

 

そしてあわよくばチャンスがもらえたら自分のバットでチームを勝たせて、声だけじゃなくてバットでもにぎやかしたいです。以上がラストシーズンの意気込みになります。

 

そして家族へ

 

お父さん、お母さん、ここまで野球を続けさせてくれてありがとう。

 

まずは野球で少しでも楽しんでもらえるようにあと少し頑張ります。

 

そして社会人になったら少しずつ恩返ししていきます。

 

こうちゃんはこんなに優秀な兄と比べられて色々と大変だと思うけど、野球に限ってはそんなことないと思うから高校に行っても何があっても野球は頑張ってほしいなと思います。応援してるよ。

 

 

最後になりましたが、自分の野球人生の集大成をどんな形でもグラウンドで表現したいと思います。

 

そして同期のみんな、リーグ優勝、日本一絶対に叶えてうまい酒飲もう!!

体育専門学群4年 大貝龍輝

西宮東高等学校

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い②(体育4・石毛大地/県立相模原、体育4・井上大輝/三条)

2023年08月15日 20時30分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第2回は、石毛大地(体育4・県立相模原)と井上大輝(体育4・三条)です。

 

 

是非ご覧ください。

 

 

 

みなさんこんにちは。

筑波大学硬式野球部4年の石毛大地です。

 

 

ついに自分が「ラストシーズンに懸ける思い」を書く時期が来たのかと驚いています。

もう自分も22歳。大学入学から体重が15kg増加、体脂肪率も10%ほど上昇し、心身ともに健やかな発育を遂げています。

文章が上手くまとまらず見づらい部分も多々あると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

まずは私の人生の転機である高校時代から振り返っていければなと思います。

 

 

高校は神奈川県にある相模原高校(通称:県相)に通っていました。実家は横浜市にあるため、片道1時間半かけて通学するというだいぶハードな生活を送っていました。

 

何度寝過ごして終点の駅で駅員さんに起こされたか分かりません。野球部では名将佐相眞澄先生の指導のもと、技術面はもちろん精神面も大いに成長することが出来ました。

 

あれほど怒られることはこの先の人生でない言うほど怒られたことも今ではいい思い出です。

 

 

そして一番の思い出は、高校3年生の夏に当時3連覇中だった横浜高校に勝って創部初のベスト4に進出したことです。

 

6回終了まで5-0とリードされていましたが、その後見事に逆転し6-8で勝利しました。当時の横浜高校は現阪神の及川投手や現ENEOSの度会選手などを擁したスター軍団でした。そんな横浜高校に、グラウンドとスタンドが束になって戦い勝利した瞬間の横浜スタジアムの大歓声は今でも決して忘れません。

 

その後の準決勝は東海大相模高校に11-2で負けてしまいましたが...。

 

 

高校で野球を辞める予定でしたが、井口史哉さん(県相→筑波の4つ上の先輩、県相のレジェンドの方)に憧れたのもあって筑波大学で野球を続けたいと思うようになりました。

 

1日10時間を超える猛勉強の末、何とか現役で合格することが出来ました。

 

 

しかし大学に入学してからの最初の2年間は人生で一番辛く苦しい時期が続きました。

 

 

入学直前にコロナウイルスが蔓延して影響で大きく活動が制限されてしまいました。

 

また大学野球のレベルは非常に高く、150人を超える部員の中で存在感を出せずにいました。人見知りな性格もあってなかなか友達も出来ず、失恋も重なり人生のどん底を経験していたと思います。

 

野球でも結果が出ず、私生活も充実しない状況はとても辛いものでした。正直下級生の頃は毎日部活を辞めたいと思っていました。

 

一時は選手を辞め、学生スタッフへの転身も考えました。

 

何に対してもやる気が起きず、鬱に近い状態になっていたと思います。

 

そんな中、2年生の春リーグ終了後にAチームに上がることが出来ました。このまま終わってしまっては応援してくれている家族や友人に申し訳ないと思い、最後のチャンスだと割り切って本気で野球に取り組もうと決心しました。

 

必死にAチームに食らいついていった結果、なんとか秋のリーグ戦に出場し今後への可能性を示すことが出来ました。あの時頑張ってよかったと心から思っています。

 

 

 

その後2年生の冬には、最強タッグである東條航さんと木村匠汰さんに出会いました。

 

この出会いが自分の人生を変えたと個人的に思っています!お二人の指導によってフォームや考え方を1から見直して臨んだ3年生の春季リーグ戦では首位打者・ベストナインを獲得して一気に飛躍することが出来ました。

 

「人生何があるか分からない」というのを肌で感じました。

 

 

その後は大学日本代表選考合宿に呼んでいただくなど、数か月前の自分では想像もできないことも起こりました。日本代表には選ばれませんでしたが、大学トップレベルの選手とプレーできたことは大きな財産となりました。

 

長々と書いてしまいましたが、高校~大学の振り返りをしてみました。改めて振り返ると良いことも悪いこともあって濃い時間だったなとしみじみと思います。ほんとに人生何があるか分かりませんね。

 

 

だからこそ後輩たちもどんなに辛いことがあっても諦めずに食らいついて欲しいなと思います。その先に得られるものはきっとあるし絶対に良い経験になるはずです。

 

 

 

また自分ひとりでは決してここまで来ることは出来ず、多くの人に支えられた野球人生だったと実感しています。

 

 

いつも支えてくれる家族、帰省したら遊んでくれる地元の友達、バッピをしてくれたりノックを打ってくれたりする学生コーチ、お世話になった監督・コーチなどなど挙げればキリがないほど多くの人に助けてもらってきました。

 

 

野球人生振り返れば辛いことばかりでしたが、野球を通じて素晴らしい経験をさせていただき、多くの人と出会うことが出来ました。

 

早いもので残すは秋のシーズンのみとなってしまいました。

 

筑波が17年ぶりに優勝した瞬間を想像するだけでワクワクします。

 

「共創」のスローガンのもと優勝してみんなで新しい歴史創り上げましょう!

 

 

体育専門学群4年 石毛大地

県立相模原高校

 

 

 

 

日頃より弊部へのご支援ご声援を頂き、誠にありがとうございます。

 

筑波大学硬式野球部4年の井上大輝です。

 

拙い文章でありますが最後まで読んでいただけると幸いです。

小学3年生から始めた私の野球人生が節目を迎えようとしています。

 

私の野球人生は素晴らしい方と出会い、多くの刺激を受け、本当に恵まれたものであったと思います。

 

そして、自分が夢中になって取り組める素晴らしい環境に感謝しています。

 

 

特に、挑戦をサポートしてくれた両親、どんな時も味方でいてくれたからこそ、逃げずに弱い自分と向き合ってきました。今までどれだけの労力とお金を自分にかけてくれていたかを考えると頭が上がりませんがこれからも成長した姿を見せていけるように頑張ります。

 

 

 

私は高校野球での悔しい思いを晴らすべく、大学野球に挑戦する決断をしました。

 

 

入部してからこれまで、選手としては全く結果を残すことができませんでした。

 

また、スタッフとしてもチームに影響を与える存在になっていません。

 

 

そんな自分でもラストシーズンはこのチームの戦力となれるよう、

選手を全力でサポートしていきます。

 

 

また、自分が苦しかった時期に支えてくれた先輩方には深く感謝しています。

必ず結果で恩返しします。

 

 

自分はグラウンドに立つことはできませんが、自分のできること(バッピ以外)を精一杯してチームの勝利に貢献したいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

秋リーグも温かいご声援をよろしくお願いします。

 

体育専門学群4年 井上大輝

新潟県立三条高校

 

 

 

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ラストシーズンに懸ける想い①(応理4・阿部誠洋/土浦第一)

2023年08月14日 21時00分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

広報部局の一井です。

 

この度、4 年生がラストシーズンを迎えるにあたって、4 年生にラストシーズンに懸ける想いを綴ってもらいました。
4 年生のそれぞれの想いをぜひご覧ください。

 

第1回となる今回は阿部誠洋(応理4・土浦第一)です。

 

 

こんにちは。

4年投手コーチの阿部誠洋です。

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただきありがとうございます。

 

初めての長文投稿で、文章がまとまっていない部分もあるかもしれませんが、どうぞ暖かい目でご覧ください。

 

コロナで思い描いたスタートとは違った大学生活が始まり、あっという間にこの「ラストシーズンに懸ける思い」を書く時期が訪れました。名前の順での投稿なので、注目が集まる1番最初になってしまったことは、面白いことも言えないし深いことも言えない理系陰キャラの自分にとって大きなプレッシャーになっています、、

 

 

いきなりですが、このチームでは2年生の時にスタッフになるかどうかを話すミーティングがあります。

 

入学した頃は、自分はスタッフになるなら辞めるとずっと思っていたのに、スタッフになりました。この時なぜ学生コーチになったかと言えば、正直これといった明確な理由がある訳ではなかったです。周りのみんなの後押しがあったことと指導者ってどんな視点で見えてるんだろうという興味、これだけだったと思います。

 

 

そのため、この場では学生コーチになった理由などを書かれることが多いと思いますが、自分はこの2年で変わったことを書きたいと思います。そのために大学に入る少し前からの話をさせてください。

 

中学の頃、人1倍努力しそれなりに良い経験が出来たので、高校に入っても同じように活躍出来ると思っていました。

 

そんな思いとは対称に、上手くなるどころか、頑張れば頑張るほどどんどん下手になっていきました。秋、春と試合を壊し、夏大には1度も出ることなく高校野球を引退します。

 

引退してからは、思い通りに上手くいかなかったことが受け入れられず、辛くなる時間が増えました。筑波大学で野球を続けることを決めたのは、いい環境で自分が上手くなればこの辛さから解放されるからかなと思ったからでした。

 

大学に入ってからは、周りのレベルの高さに圧倒されながらも、選手としては自分の中で大きく成長したと思います。ですが、辛くなるが無くなることはありませんでした。

 

 

チームに貢献するってことをあまり考えてこなかったので、学生コーチになってからは、とりあえず全力でやろうとしました。

 

トレーニングを1から考え直したり、フォームについて学んだりして、色々とメニュー増やしたり新しいことをしようとしたりしていたので、篤樹と飯長(見てるかな?)には大きな負担をかけました。すみません。

 

 

知識があれば、すぐに選手が成長できるだろうと思っていたのですが、なかなか上手くいきません。

 

そのため、どうしたら選手が成長できるか少し時間が出来たら11人について考えるようになりました。ピッチャーだけでもかなりの人数がいるので、課題はそれぞれですし、それぞれの性格や考え方に合わせて伝え方にも工夫がいることを知りました。

 

伝え方を工夫していく中で、前の自分だったらどう受け止めるか考えるようになり、そのため、高校時代の自分を振り返る機会が増えていきます。

 

 

色んな性格の選手を見ていく中で、高校時代の自分は監督やチームメイトからどのように見られていたのか、少しずつですが理解できるようになっていき、同時に高校時代の自分を受け入れられるようになっていきました。

 

 

他者に関心を持てば自分を見つめるきっかけになること。自分のことしか考えられないし、周りが見えなくなっている自分には気がつけませんでしたが、学生コーチとしての時間が教えてくれました。

 

 

学生コーチという選択肢を取ったことは、今では自分にとって「大正解」だったと思います。自分におきたこの変化と、なにより選手のみんなが成長した姿を見せてくれることに本気で喜びを感じること、これらはこの先なかなかできる経験ではないと思うからです。

 

 

ここまでご覧いただきありがとうございました。

 

最後に、今まで野球ができたこと、たくさん応援してもらえたことに感謝して最後まで駆け抜けます。

 

後輩のみんな、僕ら4年にもう少しだけ力を貸してください!

「リーグ優勝」「日本一」

掴み取りましょう!

 

理工学群応用理工学類  阿部誠洋

茨城県立土浦第一高等学校

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