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筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い①(体育4・阿部大輝/豊田西、体育4・磯村頌吾/明和)

2022年08月10日 20時44分02秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

広報部局の寺澤です。

 

この度、4 年生がラストシーズンを迎えるにあたって、4 年生にラストシーズンに懸ける想いを綴ってもらいました。
4 年生のそれぞれの想いをぜひご覧ください。

 

第 1 回となる今回は阿部大輝(体育 4 ・豊田西)と磯村頌吾(体育 4 ・明和)です。 

 

こんにちは。
筑波大学硬式野球部 3 年の阿部大輝です。現在は学生トレーナーとして活動しています。 このブログでは、学生スタッフに転身した理由とそこで感じたことを書きたいと思います。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

まずは、私がなぜ学生トレーナーとして活動しているのかを話したいと思います。
2 年生までは選手としてリーグ戦で活躍することや、上のレベルで野球がしたいと思いながら活動していました。

 

弊部では 2 年生の秋リーグ終了後「スタッフミーティング」と呼ばれるミーティングがあり、選手から 10 名〜15 名程がスタッフに転身し、チームの運営を任せられます。

 

そこで野球部で活動している2 年生全員が残りの 2 年、どのようにチームへ関わっていくのか見つめ直し覚悟を決め、決意をします。

その機会に私がなぜ「スタッフ」として残りの 2 年間を捧げる覚悟をしたのか。

私は「イップス」を持っており、自分の思った通りにボールが投げられません。

私にとっては野球の基本であるキャッチボールがいちばん地獄の練習です。
1 年間浪人をしたこともあり、ボールを投げるという感覚が全くなくなり、新人練習の際には何回も20m 先の相手に 2 バウンドくらいのボールや、遥か上に投げました。

 

かろうじてバッティングの方には自信があり、大学 1 年生の 6 月に筑波の打線を引っ張る清水大海と共に A チームに上がらせていただきました。

 

Aチームに上がった初日の練習日の最初のメニュー、キャッチボールで大海は前チーム主将片岡さんと組んでいましたが、私はペアができずに探しているとその時の主将篠原さんが気を利かせてくれ、私と組んでくれそうな雰囲気になっていました。

 

現在も ENEOS で活躍されており、アマチュア野球界で篠原さんを知らない人はいないほどの方で、本来なら大変嬉しい事だと思いますが、私は違いました。

 

初日からイップスが発動してしまうイメージしかなかったので、先輩にお願いをして相手を交代してもらいました。

篠原さん申し訳ありません、、

 

 

副主将の皆神さんに相手をしていただきましたが、その日は川村卓監督のショートスロー講義があり、15 分くらいショートスローが続きました。
本当に地獄でした。

 

筑波では、ペッパー後にバントを 1 球行うのですが、10 メートル先の皆神さんに 2 バウンドするくらいのボールを投げました。
マジで野球を辞めたくなりました。

 

 

様々な方法でイップスの改善に努力をしましたが、 大学野球の守備のレベルなども踏まえて私があと 2 年でどこまで選手としてチームの勝利に貢献できるのかというイメージした時と、

学生トレーナーとして私が大好きなトレーニングを選手に還元したり、リーグ戦のライブ配信・ YouTube チャンネルの運営などでチームに貢献している姿を想像したときに、

 

後者の関わり方の方が自分自身の中でイメージする事ができ、筑波大学硬式野球部という組織に貢献できる部分が大きいのではないかと考え、選手を辞めて学生スタッフに転身する決断をしました。

学生スタッフになると、新たな発見が多かったです。
小学 3 年生で野球を始めてから大学 2 年生になるまで、野球をやれているのはごく普通のことで、むしろ 1 日中暑い中で練習を頑張った自分は偉いと思っていました。

 

その裏では次の日の練習のために打ち合わせをしていたり、選手より早くグラウンドに来て準備をする人がいたり、球場を使用するために夜中から並んで球場を確保したりしている人の存在が全く見えていませんでした。 そういった多くの人の支えがある中で野球を行える環境があると気づいたことは大きな発見です。

選手を外から見ていて感じることは、活躍している選手は総じて 「野球に対してかなり深い思考で練習している」 ということです。

 

「考えて練習する」と言葉で言うことは簡単ですが、本当の意味で実践している人は少ないのではないかと思います。

 

 

振り返ると私自身も「考えて練習」しているつもりだったと思います。 だからこそ、イップスが克服できませんでした。 卒論でなんとかイップスに対して答えを出したいと思っています。

 

ここでいう、「深い思考」は、 川村先生がよくおっしゃっている【自主性】と【主体性】の違いという言葉が一番合っていると感じます。

 

自主性:指示がなくてもやるべきことを率先して行うこと

主体性:目的に向かって行動を起こし、結果に対しても責任を持つこと

 

様々な選手の練習相手をしますが、活躍する選手は本当に主体性があります。

能力を持っているのに伸び悩んでいる選手は、主体性がありません。

 

少し言葉を足すと、自分のうまくいく練習ばかりを率先して長い時間やっていたり、試合や実戦で出た結果に対して、相手ベースで反省や捉え方をしています。

 

主体性がある選手は常に自分ベースで反省をして、次同じ場面になった時にはミスをしないように修正をして次の日のグランドに立っています。

 

筑波大学硬式野球部にいる 150 名の選手の能力差は大きくないと思います。 実際、大学野球日本代表になった石毛がリーグ戦で 5 割近く打つバッターになるなんて 1ミリも思っていませんでした。

 

 

しかし、色々な人からのアドバイスを真摯に受け止めて情報の取捨選択をし、自分に必要なことを考えて主体的に野球に向き合う彼の姿は学生スタッフになってから多く見てきま した。

そう言った考え方や行動が、結果に結びついているんだと思います。

 

自分自身筑波大学硬式野球部で結果を残していないにも関わらず、偉そうなことを言って 申し訳ないですが、選手をずっと見ている率直な感想です。

この話を聞いて考えや行動が変わる人が 1 人でもいたらとても嬉しいです。

 

学生スタッフに転身した経験があったことで、卒業後の進路にも影響がありました。 これまでは自分が主役で野球をやっていましたが、ここ 2 年間は誰かを支えるという立場で生活をしています。 トレーナーとして身体の動きが悪い選手に対して、一緒に改善をした選手の動きが良くなり良いプレーをした時や、どん詰まりながらも筋肉で押し込みフェンス直撃を打つ中村真也を見た時、 (秋リーグではもっと筋トレをしてホームランにしてね)

 

 

チーム全体としてトレーニングを頑張る雰囲気になってくれたことなど、 直接的にチームの勝利に貢献しているわけではないけれど、少しはその選手の良いプレーやチームに貢献できたと思える瞬間が、 自分がホームランを打った時の喜びよりも大きいと感じました。

 

 

他にも、リーグ戦のライブ配信を行った際に、5 万回程の再生をしていただき多くの人から 「コロナ禍で野球が全く見られない時に野球中継をしてくれてありがとう」 という言葉をいただきました。

これらの経験から私は自分 1 人の成功よりも、 自分の行ったことで何かの影響を受けた人が成功する姿を見る方が向いているのではないかと感じました。

 

だからこそ、
「誰かに考えを変えられるきっかけを与え、幸せになる人を増やしたい」 という軸をもとに地上波放送で様々の層の人に届けられるテレビ局に就職しようと考えま した。

 

 

学生スタッフにならなければ、人を支えることが自分の幸せにもなるという事は理解できていなかったと思います。

 

さらに、自身でコンテンツを選ぶ YouTube や SNS などと異なり、数チャンネルしかなくコンテンツが選べないからこそ、普段光が当たらない立場の人に光を当てられると考えて います。

 

自身の経験も踏まえて光が当たらない立場の人や社会の小さな声に光を当て続けて、 「自分の関わったもので誰かの考えや人生を変えられる仕事」
がしたいです。

最後に、 この秋の目標は、「リーグ優勝・日本一」

残念ながらコロナ禍になってから筑波は長い間下位争いをしています。

国立大学ということもあり推薦で入学する選手が各学年 3 人と、他大学に比べればかなり 少なく、A チームの選手も公立高校出身の選手ばかりです。 その中で密なコミュニケーションや、一体感のある応援など 150 人が束になることで上位争いをしていたチームだと感じています。

 

コロナ禍で練習を共にすることも難しくなり、感染症拡大防止の為に異なるカテゴリーのチームの選手との接触を避けるなど、新たなルールもできてしまいました。

 

そんな中現在もコロナウイルスが収束する未来も見えず、現在も第 7 波が猛威を奮ってい ます。

しかし、2022 年秋季リーグ戦が、コロナ以前のように開催できなければ筑波の応援など伝統を 3 年生以下に伝えることはできません。 どうか、新型コロナウイルスが落ち着くのを願うばかりです。

濱内キャプテン率いる私たちの代は、 「一心」というスローガンで活動しています。

このスローガンには 2 つの意味があります。

 

・心を一つに新型コロナウイルスにより、人との繋がりが希薄になったことを見直して 143 名の部員が一体感を持つ

 

・一球に心を込める
リーグ戦に出場する選手が、143 名の代表として一球に心を込めてプレーをす る

「一心」を体現することができれば、 必ずリーグ優勝、日本一を達成することができると強く思っています。

そういった組織になるために、学生トレーナーとして残りの期間、 誰かのプレーを変えるきっかけを与えられるように精進します。

体育専門学群4年 阿部大輝

豊田西高校

 

 

 

 

 

筑波大学硬式野球部の部員、そして弊部を応援してくださる関係者の皆様、こんにちは。 投手サポート兼寮長を務めております、4 年の磯村頌吾(いそむらしょうご)です。

今回のブログテーマは「ラストシーズンに懸ける想い」ということなので、まず先に僕が自覚している自分自身の性格(人間性)について読者の皆様にお伝えし、それを踏まえた上でブログテーマに則した内容を文字に起こしていきたいと思います。拙劣な文章ではあ りますが、最後までお目通しいただければ幸いです。

 

さて、唐突ですが、皆さんは自分自身の性格を一言で表すとしたら、どんな言葉がふさわしいか考えたことはありますか。僕の場合ですと「変態的利他主義者」という言葉が当てはまるのではないかと考えます。

 

これは大学 3 年次の夏から始めた就職活動をきっかけに考えるようになったことなので、この性格を自覚したのは僕自身にとってもつい最近のこ とになります。

 

 

ブリタニカ国際大百科事典による「利他主義」とは、行為の目的を他人に対する善におく倫理学上の一学説であり、一般に自己主義(自我主義)と対照されるものだそうです。僕の性格には、まさにこの「利他主義」の考え方が強く根付いていると思います。

 

就職活動 で過去20年の人生経験を振り返る中で、僕のモチベーションが特別高い時期には「人から感謝される」「人の役に立つ」などの共通点がありました。生徒会長として学校に設置さ れた意見箱に集まった生徒の声を実現する可能性を考えている時間や、修学旅行実行委員としての仕事を終えたときにクラスメイトから寄せ書きの色紙をプレゼントしてもらった瞬間などはどれも充実しており、思い出すだけでも幸せな気持ちになれるほどです。

 

 

昨年末に青桐寮で開催したクリスマスイベントでも一人ひそかに多くの困難にぶつかりました が、高いモチベーションを維持できた背景には僕の中に強い「利他主義」の精神があった からではないかと振り返ります。

 

「利他主義者」特有の行動様式が垣間見える人間は僕の周りにも一定数います。代表的な例は学生スタッフ陣です。選手のため、チームのために尽力する姿勢は尊敬に値します。 いつもありがとう。

 

 

「利他主義(者)」の性質についての説明はこれで十分かと思いますので次に進みますが、 今の読者の皆さんにとっての疑問は、なぜ僕は自分の「利他主義」の精神を「変態的」とまで強調したのかだと思います。結論から述べると、冷静になって振り返れば自分でも引いてしまうほど自己を犠牲にしているからです。

 

 

分かりやすいよう以下にいくつか具体例を挙げます。昨年秋から寮長に就任した僕は、その業務を通して自分の財布からおよそ 5000 円分の支出があります。知る人ぞ知る中村真也くん(体育 2 年、専修大松戸)の最弱王帽子は実は僕のポケットからの支出なのです(大切にしてください)。

 

また、青桐寮でのクリスマスイベントの準備期間では、翌日に紅白戦があっても明け方までパワーポイントとにらめっこをしていた日もありました(今だから言えますが、普通に何やってんだって話です...)。多方面において手厚いサポートをしてくれている家族にはこの場を借りて一言謝罪 したいと思います。

 

期待とは異なる方向に注力し、また考え方によっては自分を大切にしない人間になってしまってごめんなさい。

さて、ここまで自分の性格について長々と説明をしてしまいましたが、ここからなんとかブログテーマ「ラストシーズンに懸ける想い」に繋げていけるよう頑張りますので、もうしばらくお付き合いください。

 

 

なぜ僕がこれほどまでに他人のために自分を犠牲にできるのか(変態的であるのか)について考えたことがあります。

 

そして導き出された結論は、『僕には確固たる「自分像」がないから』ということです。「こうしたい、こうなりたい」という明確な理想や目標もなければ、ここだけは誰にも譲れないといった軸のようなものを自らの内に感じた経験もないのです。

 

正直に言って、野球(もっと言えば勝負事全般)には完全に不向きな性格です。こんな自分の性格にもっと早く気付いてしまっていたら、今頃は野球をやめてアニメの美少女キャラと結婚願望を抱くもっさり肥満陰キャになっていたと思います。

気付いたのが最近で良かったです。

 

自分自身の性格について思考を重ねる中で、自分という人間を理解はしましたが、どうも好きにはなれません。現在の交友関係の半数以上が同じ野球部員ということもあり、周りの人間からは皆、譲れない軸や熱い想いなどの「自分像」がひしひしと伝わってきます。 僕が感じるのは自分自身への劣等感と皆への憧れです。

 

そんな僕がこの筑波大学硬式野球部に所属し続ける意味はなかなか見つからず、自らの進退を決するには非常に多くの時間と労力を割きましたが、ラストシーズンを間近に控えてその答えが遂に見つかりました。それは、『行為の目的を他人に対する善におく「利他主義者」として、行為対象となる「他人」は自分の理想や憧れる存在であるべきだ』ということです。

 

 

自分には確固たる「自分像」がない。少し前の僕は、軸、夢、目標などは、野球をする者として当然もっている必要があることは理解しているが故に、それらを半ば無理やり自らの内に創造しようとしていました。しかし、僕ほどの「変態的」な「利他主義者」 にとっては、そもそも自分自身の内側のことは全く重要ではなく、善を施す対象である「他人」がどうであるかが最も大切であるという、言われてみれば当たり前のことにようやく 気が付きました。

 

 

簡単に言えば、善の施し甲斐があるかどうかです。「利他主義者」であるとはいえ、「他人」に善を施すという行為のすべてに一律の喜びを感じるわけではありませ ん。

 

読者の皆さんが仮に、見ず知らずのおじさんが落としたハンカチと、好きな異性が落としたハンカチ、同じように拾って渡し、同じように感謝の言葉をもらったとしたら、ど ちらにより大きな喜びを感じますか。つまりはそういうことです。話が逸れましたが、ここで僕が伝えたかったのは、僕(=利他主義者)からみたチームメイトの皆(=他人)は、 先程の例でいう好きな異性の側であり、その最高の存在であるということです。先にも述べた通り、僕の周りの部員は皆、僕がもっていないものを多くもっているし、そんな皆が

 

 

僕の目にはとても輝いて見えています。まさに理想、まさに憧れです。そんな人間が 100 人以上いるこの筑波大学硬式野球部で自分が善を施せるなんて、なんて恵まれた環境なんだろう。ちょっと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、これが今の僕の正直な気持ち です。

 

サポートに回った今、また、寮長としての業務も、僕が本質的にやりたいことができているので、最近は毎日がとても充実しています。今回のブログでは、ラストシーズンに向けた 4 年生の個人としての明確想いや目標を聞きたかった企画だと思いますが、あいにく僕はそれらを持ち合わせていません。でもそれでいいと思っています。僕はこれまで通り、 チームメイトの皆にとっての善を探して、少しでも力になれれば、十分な充足感や満足感を得られるのですから。ただ、欲を言えば、僕の理想であり、憧れである皆が、夢を叶えた姿を見てみたいです。自分が関わった人間がより大きな成功体験を実現することによって、「自分像」がなく、他人のために注力することしかできない自分の性格が少しでも好きになれるかもしれないので...。

 

以上が僕がもっている「ラストシーズンに懸ける想い」です。一部の読者には理解されないような内容を長々と話してしまい申し訳ありません。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ラストシーズン、より強い覚悟や想いをもった仲間に負けないよ う、僕も精一杯サポートしますので、部内外問わずこれからも「一心」に頑張って参りましょう。

体育専門学群4年 磯村頌吾

明和高校