雪華文図大小鐔 洛北居一乗
雪華文図大小鐔 銘 洛北居一乗作
江戸時代末期の名工、後藤一乗が得意とした雪華文図鐔。六角形に成長した雪(水)の結晶を、美しい文様として表現し、これに金の平象嵌の手法で輝く様子を加え、拡大鏡で覗き込んだ早朝の雪の様子を想わせる構成としている。
雪の表現は、古くは雪輪文と呼ばれる、家紋としても良く知られているフワフワとした質感を出入りの複雑な形状で表わしたものが知られている。もちろん風景の一部として木や岩に積もったその様子を銀地で描き表わした例、江戸末期の東龍斎派では幾つかご覧いただいたが、雪洞から見た風景では銀布目象嵌を用いてぼかしたような描写の例もある。また、東龍斎派が好んだように、六角形ながら花のような表現もある。
一乗の大小鐔については、過去に古美術誌『目の眼』に解説したことがある。以下にその全文を再掲載するので、参考にされたい。
江戸時代末期の古河藩主土井利位(一七八九~一八四八)は雪の結晶を研究し、その図鑑『雪華図説』を制作したことで余りにも有名。雪の結晶は顕微鏡がなければ見えないと思われがちではあるが、実は大きく発達した結晶は肉眼でも充分に観察できる。虫眼鏡があれば尚のこと、鏡下には、六方向に突き出した枝や細い枝がその先に分かれ出ているもの、先端が繋がって総体に六角形となり複雑な文様が表面に現われたものなども観察される。
顕微鏡など拡大鏡の発達は、雪の結晶ばかりではなく微小世界の観察から、微細な生き物を主題とした精密絵画の活性化を促している。金工世界では、菊花や秋草に遊ぶ鈴虫や蟋蟀などを題に得た美濃彫や古金工の作品が室町時代から見られ、植物に取材した作品の中には、山椒などのような、それ自体が小さなものであるところに意味のある題材が作品化されることがあり、江戸時代に花開いた微小世界の実体的な表現は、顕微鏡に頼らない時代から既に始まっており、我が国の装剣小道具の特徴の一つともなっている。
さて、雪の結晶が人々の関心を得るようになったのは、西洋では十四世紀中頃のスウェーデンの民俗学者でもあったオラウス・マグヌス大僧正にはじまると言われている。オラウスは博物学的視点から雪の結晶のスケッチを遺したが、その頃にはまだ雪の結晶は六角形としては捉えられていなかったようである。その百年ほど後のケプラーやデカルトが拡大鏡を用いて研究をはじめ、十七世紀の顕微鏡の発展とともに一気に流行するのである。
この点で言えば我が国の雪への認識と似たところがある。我が国では古くから雪輪という独特の様式化された文様が雪の表現に用いられていた。そこには雪が六角形の結晶構造を持つという意識など微塵も感じられず、ふわふわとした捉えどころのない存在と考えられているようでもあった。
写真の大小鐔は、後藤一乗(一七九一~一八七六)が得意とし、雪の結晶を花模様に見立てて装飾の要とした華麗な図様の作品。赤銅という重厚感のある素材を微細な石目地に仕上げて表面の光沢を渋く抑え、ここに打ち込み(刻印)の手法によって文様を描き施しており、その周囲には星状に金の平象嵌を散らし、雪の結晶が陽の光を反射してきらきらと輝いている様子を表現している。
雪を独特の鏨の打ち込みによって表わす描法は後藤一乗の考案とみられ、単に雪を題に得た作品のみならず、添景としての雪の描写にも、これを用いることがあった。その例が写真の小柄で、朝日とこれを受けて輝く雪の結晶を、ここでは朧銀地に高彫の表現とし、さらに雪輪の文様をも同時に用い、文学的風情をも漂わせている。
江戸時代における美意識の特徴の一つに、古典的な日本美から脱した、つまり、この世に存在する全ての物に神が宿るという東洋的な神観念による美の発露から脱し、物を物として捉え、事象を事象として認識する、リアリズムとも異なる博物学的視点の置き様になる表現(四条円山派など)がある。ここに紹介する作品の雪華文には、突き詰められた科学の目線を根底にし、古典から生まれた文様を介して自然美の再現に取り組む作者後藤一乗の、日本的なものへの飽くなき追究の姿勢が窺いとれるのである。