花菱文透図鐔 (鍔の歴史)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ce/475a79cfdf5d8788cd2ead4698675ae1.jpg)
花菱文透図鐔 貞廣
信家の生み出した鐔の風合いは流行したとみえる。ことに江戸時代後期には信家写しが盛んに行われている。写真の貞廣は、信家が出た同じ尾張国の江戸時代中期の鐔工。信家を写しているというわけではないが、下地として信家風の地造りがある。鉄地を鍛えて頑強な風合いを全面に表わし、耳は打返耳、図柄は簡潔な手法で文を陽に肉彫地透にしているのみ。鍛えた鎚の痕跡を地に活かしたもので、この地鉄が持つ魅力が、江戸時代中期の尾張鐔工にある。古くは尾張透や金山鐔がこの趣であり、透かし鐔から板鐔へと移行したものの、鉄地が示す魅力は変わりなく受け入れられ、また製作者もその感性を大事にしていた。80.7ミリ。
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花菱文透図鐔 貞廣
信家の生み出した鐔の風合いは流行したとみえる。ことに江戸時代後期には信家写しが盛んに行われている。写真の貞廣は、信家が出た同じ尾張国の江戸時代中期の鐔工。信家を写しているというわけではないが、下地として信家風の地造りがある。鉄地を鍛えて頑強な風合いを全面に表わし、耳は打返耳、図柄は簡潔な手法で文を陽に肉彫地透にしているのみ。鍛えた鎚の痕跡を地に活かしたもので、この地鉄が持つ魅力が、江戸時代中期の尾張鐔工にある。古くは尾張透や金山鐔がこの趣であり、透かし鐔から板鐔へと移行したものの、鉄地が示す魅力は変わりなく受け入れられ、また製作者もその感性を大事にしていた。80.7ミリ。
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