稲村ケ崎図縁頭 正直
稲村ケ崎図縁頭 正直
波に関わる伝説と言えば我が国の南北朝時代。鎌倉を攻めた新田義貞が思い浮かぶ。守りの堅い鎌倉突入ができずに考えた末、稲村ケ崎の海岸を、波の引いた最中に渡るという奇策をあみだした。その際、太刀を海に投じて波の大きく引くことを龍神へ祈ったというのだ。真偽のほどは分らないが、それで鎌倉に突入できたのだから、何かしらの理由はあるはずだ。
さて、この辺りに砂鉄が多いことは良く知られている。砂浜が砂鉄で真黒に見えるところもある。相州鍛冶はこの砂鉄も利用したに違いない。大地が生み出した武器である太刀を稲村ケ崎の海に投ずるとは、義貞がそこまで考えたとは思えないのだが面白い。この縁頭に描かれている波は比較的穏やか。太刀が穏やかにしたのであろう。
稲村ケ崎図縁頭 正直
波に関わる伝説と言えば我が国の南北朝時代。鎌倉を攻めた新田義貞が思い浮かぶ。守りの堅い鎌倉突入ができずに考えた末、稲村ケ崎の海岸を、波の引いた最中に渡るという奇策をあみだした。その際、太刀を海に投じて波の大きく引くことを龍神へ祈ったというのだ。真偽のほどは分らないが、それで鎌倉に突入できたのだから、何かしらの理由はあるはずだ。
さて、この辺りに砂鉄が多いことは良く知られている。砂浜が砂鉄で真黒に見えるところもある。相州鍛冶はこの砂鉄も利用したに違いない。大地が生み出した武器である太刀を稲村ケ崎の海に投ずるとは、義貞がそこまで考えたとは思えないのだが面白い。この縁頭に描かれている波は比較的穏やか。太刀が穏やかにしたのであろう。
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