倶利迦羅図二所物 (鍔の歴史)
倶利迦羅図二所物 後藤光壽
後藤宗家十一代光壽。先に紹介した乗真の同図を比較されたい。全くの同図ながら、風合いが随分と違うことは一目瞭然。赤銅地一色という点は考慮外だが、量感や肉の取りかた、鏨の切り込みの様子などの相違点を確認されたい。豪快さ、迫力は乗真に譲るが、彫口の繊細さにおいては光壽が優位であろう。
この時代、横谷宗、奈良利壽、土屋安親などが登場し、金工の技術と感性は急激に発展している。後藤家は伝統を重んじなければならず、時代に応じ、さらに先端を追求する意識もあったものの、それを抑えねばならないという葛藤があったに違いない。それでも光壽は、それまでの後藤家には見られないような写実表現からなる作品も遺している。
倶利迦羅図二所物 後藤光壽
後藤宗家十一代光壽。先に紹介した乗真の同図を比較されたい。全くの同図ながら、風合いが随分と違うことは一目瞭然。赤銅地一色という点は考慮外だが、量感や肉の取りかた、鏨の切り込みの様子などの相違点を確認されたい。豪快さ、迫力は乗真に譲るが、彫口の繊細さにおいては光壽が優位であろう。
この時代、横谷宗、奈良利壽、土屋安親などが登場し、金工の技術と感性は急激に発展している。後藤家は伝統を重んじなければならず、時代に応じ、さらに先端を追求する意識もあったものの、それを抑えねばならないという葛藤があったに違いない。それでも光壽は、それまでの後藤家には見られないような写実表現からなる作品も遺している。
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