春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

人間、文治郎・桐生天満宮(序)

2018-06-23 23:28:07 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県黒保根,医光寺に中国24史を彫った関口文治郎は、
3年前、1752年寝食を共にし師匠石原吟八郎が、
病で亡くなり、あとを受け次いで、
彫り上げた、武州(埼玉県)妻沼の聖天堂・本殿・幣殿。
その出来は、多くの宮大工棟梁たちの眼に留っていた。

それから25年経ち、文治郎47歳、
このあたり、人間臭さがにプンプン、ここで気になり始めた。
彫り物集団の頭になり、
息子、仙次郎、松次郎は文治郎の弟子になって彫師の道。

宮城村の「金剛寺」を彫ってから4年。
弟子の彫りに目を光らせ育成していた1777年、

龍舞村(太田市)の宮大工大棟梁、町田弥七郎栄信は、息子栄清を、
文治郎の屋敷を訪問させた。
上田沢の医光寺は栄信が作り、
文治郎は医光寺の欄間に24史を彫っていたよしみ。
天満宮の彫刻を、文治郎にと。

文治郎、随行者8人と、大量の味噌を持って、
天満宮の敷地で自炊を始めた。
12年間。
幣殿と本殿、埋め尽くした精巧華麗は、
関東各地、桐生天神の名を轟かせたという。

文治郎ひっせいの大作。桐生天満宮です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



         写真 2018.6.17 桐生市

 

コメント (2)
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