![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d3/9784ae5afe65a46e0640c698247ccfd4.jpg)
熊本大学大学院自然科学研究科(工学系)
人間環境計画学 教授の伊藤龍一氏が、
1982年から1989年までの論文の中に、
『北関東の社寺建築の造営修理に関与した彫物大工』が
人間環境計画学 教授の伊藤龍一氏が、
1982年から1989年までの論文の中に、
『北関東の社寺建築の造営修理に関与した彫物大工』が
あってその一文に、長谷川(小林)源太郎は、
高崎市の妙見寺に彫刻を施し、
高崎市の妙見寺に彫刻を施し、
刻印が認められたと記録している。
3日間の休暇を利用して、
見学に行きました。
見学に行きました。
道の端、染谷川の土手に、春👆踊子草が、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/be/88e7ed7faef9451724d3bc5bdde32d16.jpg)
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👇小雨の日です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0f/dd93b402d0c83f8537d7e8aae52ac7e4.jpg)
平安時代から、土地の人々から崇拝され、
1656年、1807年2度の類焼し
1656年、1807年2度の類焼し
再建を始めたのは1839年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f9/f6d84ff8420711123aa7002433b9c256.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/da/2367cb2d79e075f02e2bf87160423025.jpg)
小林源太郎が胴羽目に彫り、
刻印を入れたは1843年、
刻印を入れたは1843年、
妙見寺が再建されたのも、同時期となります。
彫物師。小林源太郎、1799年熊谷宿に生まれ、
親父は、小林源八、
彫物師。小林源太郎、1799年熊谷宿に生まれ、
親父は、小林源八、
源八は、花輪彫刻集団の礎を作った、石原吟八郎の子、
2代目吟八明義の弟子(関口文治郎の兄弟弟子)
2代目吟八明義の弟子(関口文治郎の兄弟弟子)
源太郎は、1821年(22歳)中之条の吾妻神社本殿を、
父親と、2代目吟八明義、清水儀兵衛と共に彫り上げ、
父親と、2代目吟八明義、清水儀兵衛と共に彫り上げ、
翌年には、埼玉県都幾川の日枝神社を手掛け、
後、長谷川家に婿入りし、長谷川源太郎となります。
後、長谷川家に婿入りし、長谷川源太郎となります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/14/0336027b8cdfe820bdc3655be5ee0dcb.jpg)
その後、どこかで彫っていたのでしょうが、
刻印で証明する、ここ妙見寺まで記録は無いのが残念。
記録にあるのは、
1835年(36歳)子持村の空恵寺本堂を
1855年(56歳)榛名神社双竜門の龍を彫り、
今は修復工事が終わってるので、
本殿行く途中見ることが出来ます。
1862年(63歳)箕郷の北野天満宮の一部に、
名を残してる。
本殿行く途中見ることが出来ます。
1862年(63歳)箕郷の北野天満宮の一部に、
名を残してる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a4/56ab253949d2379ec5291b0e0407fbfb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e4/44f1fa784a74fbb9d17ff5e12ac50a2d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/0e/8dd05be9a3480a10fc2c5dc8f15fc9cd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/08/f7fd1a1cbfbf32450e7889b086a72fc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c1/c731151235f67d427916782b00e2e87d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5b/25fd78c38a584c561c3a61748cfc9fa7.jpg)
埼玉県熊谷宿に生まれの長谷川源太郎
彼の晩年の彫刻は、多くの人たちに見られ
名は記憶されていても
彼の晩年の彫刻は、多くの人たちに見られ
名は記憶されていても
まだあるだろう彫刻
彫師の名の
記録が残ってないというのは
口にできない、悔しさがあるものです
記録が残ってないというのは
口にできない、悔しさがあるものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4c/b2f6e246c72c370176b96a54ff551acd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/28/30429c8ad37ea1e005e003684822d79d.jpg)
埼玉県熊谷と言うと、割に近くに感じます。
妙見字寺の彫刻のリアリテイには驚くばかりです。
日本の色々なお寺の中でも、これだけの彫刻が
身近に拝見出来るのは素晴らしいですね。
とよ様が資料を正確に学び実行されたことが素晴らしいです。いつも有難うございます。(*^^*)
北関東特有な、社寺への彫刻は、
関西にはなく、江戸の中期から幕末まで、
彫師はいろんなところに出かけてました。
私は群馬まで2時間弱、思い立ったら出かけられるという条件にあります。
歴史を言葉にするときの重みは、痛いくらい経験しました。
出来るだけ、自分の足で調べようとは思います。
これからも、飽きずに立ち寄りくださいますよう‼
質問にお答え・・・まこと思わせぶりたっぷりの緑のライン・・。
常夜灯、門、本堂を取る位置がここでした。
で、カメラの位置はもう川の淵、まぁ~いっかで
載せました。
道の中央ラインです。
緑のラインは、最近高速、圏央道の渋滞緩和のために、
緑色で示している箇所があります。
あやかっての色でしょうか、不明です。
今後も腑に落ちないときなど、ご指摘ください。
今後もよろしくお願いいたします。
年代を追って自分なりに想像すると面白いです。
荒波に揺られ小舟に乗っている様に見える写真ですが、何か物語があるのかな?と興味深く思いました。
(違うかも知れませんね。)
黄金色の常夜灯が灯ると、境内が厳かな情景になるのでしょうね。ちょっと足を伸ばせば行ける所にあり、楽しみですね。
1948ofでwebを開くと、1948fofsulとなって開くことが出来ません、今日は『詩の雫』を追加させていただきます。
彫刻小舟の老人は、中国二十四孝の中の一人、王祥の孝を、オマージュしたのかもしれません。
継母に嫌われた王祥が、継母が鯉を食べたいというので、
河で鯉を捕ったという・・・・
画像には、翁の手に刀があり、鯉らしき鱗が2匹、
それと、得体のしれない生物が彫られてます。
確かなことは判りませんが、勝手に二十四孝と思ってます。
群馬の社寺に彫った彫刻の多くが二十四孝です。
二十四孝、知ろうとすると私の頭、しっちゃかめっちゃかになるので、半分はパスしてます。
空気が乾燥してます、眼には十分な保湿を・・・‼
私は温めてます。
小舟の老人の彫刻の事、ありがとうございました。
目の保湿、私もしています。小豆が入った目の布カバーを、ドラッグストアーで買って、電子レンジで温めるタイプです。ドライアイに良いみたいですね。
1948ofで検索すると、『詩の雫』が出ますね。
コメント欄でポチッとすると、『1948fof』となって、記事が出ないのは、今でも変わらずです。
でも、出るのが判れば、1948ofにまた切り替えます。
一安心です。
眼は互いに、大事にいたしましょう‼