群馬県前橋市、
博徒の父から生まれ、15歳で他国の博打打ちを追っ払い、
ひょんな殺傷をして、しばらく他国を流浪。
いっぱしになって、侠客同士の揉め事を、
ひょいひょいと、丸く収める度胸と頭の切れは、
侠客一家から、莫大な信頼を得て、
もらい受ける、縄張りは、200とも言われ、
『関東一の親分』と崇められ一目を置かれた。
その大前田栄五郎は、三夜沢赤城神社に献塔していた。
前橋市大前田町、栄五郎のお墓から車で10分ばかり。
ひょんな殺傷をして、しばらく他国を流浪。
いっぱしになって、侠客同士の揉め事を、
ひょいひょいと、丸く収める度胸と頭の切れは、
侠客一家から、莫大な信頼を得て、
もらい受ける、縄張りは、200とも言われ、
『関東一の親分』と崇められ一目を置かれた。
その大前田栄五郎は、三夜沢赤城神社に献塔していた。
前橋市大前田町、栄五郎のお墓から車で10分ばかり。
👇夜明け前、宿を出て着いたときは、日が登り始めた時刻。
大前田町の住民が1600年代、寄進したという、
杉の木に囲まれて、まるっきり黒い景色。
やめた・・ひとまず不動大滝へ移動です。
写真は、陽が当たる午後3時ごろ。
👇それでも暗い。
👇十六葉一重菊が施されている。
👇八本の鰹木
平安時代から歴史があると知るのですが、
赤城神社として成立したのは13、14世紀と、
あるのですが、
ほとんどの記録は・・らしい・・の表現です。
赤城神社として成立したのは13、14世紀と、
あるのですが、
ほとんどの記録は・・らしい・・の表現です。
ながら、400年以上の杉の木の杜、
シンプルな建物の周りを散策は、気がしまります。
シンプルな建物の周りを散策は、気がしまります。
👇本殿前の四脚門。
👇本殿。
👇写真では見ずらいのですが、
小さい祠が、あちらこちらに。
小さい祠が、あちらこちらに。
👇この日2月12日は、防寒服が要らないくらいの陽気で、
参拝者が沢山いました。
参拝者が沢山いました。
階段途中で、参拝の人たちがペットボトルを抱えて来る
私はこの後、数年前の冬
赤城山の黒檜山の尾根を歩き
山頂で暗くなり、ライトの灯りに気づき
2時間ばかり道路に車を止め
私の下山を待っていてくれた
赤城バイブルキャンプの
赤城山の黒檜山の尾根を歩き
山頂で暗くなり、ライトの灯りに気づき
2時間ばかり道路に車を止め
私の下山を待っていてくれた
赤城バイブルキャンプの
カナダ人の女性に会うのに、大沼へ
けど1100メートル辺りの道から
夜になればアイスバーン
夜になればアイスバーン
Uターン禁止の道でしたが、
やむなく、途中で引き返しました。
やむなく、途中で引き返しました。
亦、いつかです。
飾りもなく、人目を引くというわけではないのですが、厳かを感じます。
この雰囲気は、どこから醸し出されるのかと、
しばし、佇んでいました。
椅子があったら、ずっとここに居たかもしれない気持ち落ち着く、静けさでした。
無になって歩いてみたい神社境内です。
四脚門も初めてみました。歴史を感じます。
貴重な写真を有難うございます。
神社の石段での、あどけない様子、いい写真でした。
山の写真で見る、たかさんと雄さんでは無いので・・違った‼
画像の雰囲気は、似てるかな、と思います。
Xさんの写真、4日の梅ですか?
判らなかった。今晩帰ったらもう一度突き止めて?
みましょう。
黒いマスクの女性、居るはずのない私が居るのかと思ってしまいました。
実物は違うのでしょうがお写真で見るとどことなく・・・
今までの私のブログに数枚X氏のカメラで写したものを載せましたがお分かりでしたでしょうか?
木枯らしに生きていく人々、群馬県人の気性を、
見続けた、三夜沢の赤城神社、
質素な造りに、気品さえ漂わせ、赤城山の麓に隠れるようにひっそりと・・・
神秘でした。
私も感じます、神秘です。
極寒の時期に杉の木で囲まれた、神秘的なお寺へ
行かれたのですね。少し暖かった日で良かった。
赤城おろし・空っ風・などに例えられる地。
どこをトッテモ私には、神秘的に見えます。
うす暗い、杉林の中で人々に心の糧を与えていますね。群馬県・・素晴らしい場所が沢山あって驚きです。いつも有難うございます。(*^^*)