986年、政治に敗れた花山天皇が、
宮中を捨て剃髪し、仏の門をくぐったのは19歳。
宮中を捨て剃髪し、仏の門をくぐったのは19歳。
圓教寺をに入山し、
比叡山延暦寺で授戒した花山法皇が、
比叡山延暦寺で授戒した花山法皇が、
ここ、👆中山寺の石棺から、
観音霊場三十三カ所の宝印を見つけ、
三十三カ所巡りを始めたのが、
三十三カ所巡りを始めたのが、
西国三十三番礼所の始まり、という。
二十五番清水寺から約60分、
閉門1時間前の日差しが、柔らかかった。
閉門1時間前の日差しが、柔らかかった。
宝塚市、札所24番中山寺、
ここは、安産祈願が有名で、
皇室から庶民から、広く信仰されたという。
ここは、安産祈願が有名で、
皇室から庶民から、広く信仰されたという。
👇宝塚市内が1995年の阪神・淡路大地震が、
あった街とは思えない。
中山寺も、地震の煽りを受けた寺。
奈良時代の中山寺は、
大小多数の堂塔伽藍を備えていて、
高野山や、比叡山に匹敵するほどの規模だった・と。
大小多数の堂塔伽藍を備えていて、
高野山や、比叡山に匹敵するほどの規模だった・と。
そんな知識を蓄えたはずでしたが、
山門からの参道では、すっかり知識が跳んでました。
山門からの参道では、すっかり知識が跳んでました。
歴史の風雪に耐えた、建造物とは程遠かった。
👇華蔵院
訪れたのは5月16日
垣根にカルミア・アメリカシャクナゲが咲いていました
垣根にカルミア・アメリカシャクナゲが咲いていました
エレベーターがあり、エスカレーターがある
疲れた時は、ありがたい
本堂まで動く階段で
本堂まで動く階段で
私は18年9月16日に行って来ました。本堂に安置されている五百羅漢像を覚えています。
大震災が有りその後の復興に目を瞠りますね。
当時は青いシートで覆われた屋根がずらりと並んでいました。
その後の体調は大丈夫ですか?
お元気にお過ごしくださいね。
テレビの企画でお参りしているところを放映してました、子供が小さい頃は七五三参りなどに何かにつけて
よくお参りしてました、
お隣の清荒神さんも有名ですが西国巡礼には入って
居ないんですよね、
どうかお気を付けて次の投稿楽しみにしています、
中山寺、閉門時刻が迫ってましたが、
西日に照らされて、鮮やかな色合いでした。
五百羅漢は見学の一番でしたが、
今回は、見送りになりました。
震災当時の状況もインターネットで見ましたが、
想像できませんね。
明日また、検査がありますが、以前よりは良くなってます。
1948ofさんも、無理をしませんよう・・‼
近くにお住まいなんですね。
中山寺に花山法皇が訪れなければ、西国33観音霊場という、巡礼が始まらなかった由緒あるお寺と、
知りました。
震災後に建てられた堂宇でしたが、
震災に遭われた人々の慰霊の場としても、
後世、語り継がれるのだと思います。
少しは元気になられたのかな?
嬉しいblogです。震災を受けたのもここまで復興した
神戸。
人びとの願いが届いたのですね。
立派な中山寺を詣でる人々に、希望と勇気を与えて
いますね。
立派なお寺も仏像も、足を踏み入れると思わず拝みたくなります。
とよ様も願いを込めて病気回復されますように
御祈りいたします。
苔むした建造物で、昔を思うのとは違う、
綺麗に手入れされた、堂宇で、
生まれる子供たち、宮参りの人たちを見ていると、
これから、新たに歴史を作っていくのだと、感慨もあります。
今日はまた検査です。
2度目のMRIですが、主治医からは、
これだという、病名が聞かれません。
更に追及するのでしょうね・・?
でも体調はいいです。