春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

1500年のロマン

2017-11-03 14:04:32 | 榛名湖・上州


         ※小屋は遺跡が国の指定にされたセレモニーで、急きょ造ったもの。
渋川の街に、日本の真ん中の案内の、地蔵があって、
  渋川市のを分断するように吾妻川が流れている。
  上流に向かって、左の掌を額に当てると、榛名山が、

右の方には、子持山が、谷川岳の手前に見える。    

前方は、小野子山(違うかもしれない?) 

 

振り向いて右手に穂高岳が見え、

真後ろには、赤城山が見渡せる。



この四方の山囲まれた、渋川市を見下ろす高台に、
  古代人がと一緒に、住んでいたという。土地、黒井峯遺跡。
      6世紀に榛名山が爆発し、
  軽石、火山灰が降り、それまで住んでいた古代人は、
  馬とともに姿を消してしまったという。
  それから1500年。

 昭和63年発掘される前には、蕎麦の花が咲き、
  菜の花が咲いて、菜種油を採集していたという場所を、
  (今だって植えればいいのに、さぞ、きれいだろうに、さぁ!もったいない)
  掘り起こした場所は、2メートルほど軽石が堆積していたという。

  群馬はこんにゃくの生産で、名を挙げているけど、
  コンクリートブロックの生産は、日本一。
  その理由は、榛名山の爆発によるもの。
  古代人には申し訳ないけど、
  爆発がもたらした、経済だ。

 

 

 

 昭和63年発掘したとき、
  身震いするほどの、発見があつたという。
  1500年前の「杯」の破片を掘り当てた時、
  稲穂の質の高さに、関係者は驚くばかり、更に、
  稲穂は、空気にさらした瞬間、見る見る間に、
  変色したという。数分の出来事だったという。

  目撃した関係者、この夜は眠れたのだろうか?



この遺跡からの出土品。
  丸みといい、くびれといい、
  生活用品に使ったものにしては、
  もったいないほど美しい。

 

 しかもベンガラ入りのハマグリも出ている。

 

予想できた古代人と馬の人数。

 この古代に住んだ人々の生活を、浮かべ乍ら、国の保有地。
 病院を作る計画だの、なんだかの、と

 聞きながらも、今は原っぱのまま。
 犬の散歩とウォーキングの女性、
 観光に訪れた、年金生活で訪れた4人の人たちの、
 写真を撮りながら、ぐるっと廻って立ち止り、2時間。
 夕暮れまで、ほっつき歩きました。

 

古代人には欠かせない水が、高台から10分も歩けば・・・川。
  豊富に流れていたのでしょう!
  昔の水底はかなり高かったと云う吾妻川の上流。
  今も河川の土手には、玉石がごろごろしている。





近くには、金井東裏遺跡があり、甲を着たまま、火山灰地に埋もれた、
古代人が発見され、貴重な資料になるのだと・・・。


群馬・・・空から見れば白鳥が跳んでいるような県境。
渋川市・・・日本のど真ん中、古代人と馬が残る遺跡。
この当時、群馬は「車」と呼んでいた。

榛名湖に向かう126号、善地「群馬の松」=「車の松」あたり、
榛名山の水を集めた「車川」が、歴史を刻んで、今も、
木立から洩れる、夕日の輝きを映して、穏やかに流れている。

その「車川」に咲いていた花が

 

 

 

 


※記述に不手際がありましたら、ご指摘くださいますよう・・・。

コメント (6)
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