成田文男と言えば、オリオンズ時代しか思い浮かばない程の投手です。同球団の先輩、小野正一、坂井勝二と同じく引退後の活動を殆ど知られておらず、当然マスコミに登場する事も、まずないと思います。彼の名前が登場するのは、歴代の投手を、通算勝利や通算奪三振数順に紹介する記事に限られている様な気がします。つまり極端に言えば、主に避けて通れない場合のみの紹介に留まっています。理由は多分、上記の2選手と同じく、彼の現役時代の八百長疑惑でしょう。賭博常習の暴力団幹部との黒い交遊で、謹慎も経験しています。当時から彼の投球には疑惑を持ってはいましたが、変な意味、その後のマスコミの扱い方を見ると、何故か納得してしまうものです。しかし投球は素晴らしく、球速も150kmには到達してはいないでしょうが、抜群の切れ、伸びがあり特にスライダーは後に登場する伊藤智仁に次ぐ程の、威力を誇っていたと思います。昭和42に東京球場のネット裏で、その試合に、200勝がかかっており先発した梶本隆夫との投げ合いを見ましたが入団3年目でその年14勝を挙げた成田文男の方に、よりボールの勢い、切れを感じたものでした。
1965年から1978年迄、阪神タイガースで活躍した、右投左打の外野手です。高校時代は投手として甲子園に出場しています。甲子園で彼の投げる試合を、実際に見ていますが、投手としての魅力は乏しい選手だったかと思います。試合前のブルペンで投げる彼の投球を見て、かなりの球数を投げているのに、いつまで経っても力を入れない投球に感じました。しかし実際は私の勘違いで既に彼は、ブルペンで力を入れた投球をしていた様です。試合で投げる彼の姿を見て、納得出来ました。つまりその程度のレベルの投手であり、プロ入り後は外野手として活躍した選手です。左打席でどっしりと構えるフォームは、強打を期待させましたが、スイングスピードに今一つ欠け、変化球にも脆さを弱冠見せていました。従って規定打席到達が3回であり、最高打率が0.283という数字もやむを得ない結果なのでしょう。守備に関しては、実際に見ていて信じられなかったのですが、あまりにも有名な1973年のセンターでの転倒によるエラーがありますが、決して守備力の弱い選手ではなかったかと思います。総体的にはもう一皮剥けなかった選手といえるのでしょう。
通算成績 1092試合 686安打 0.241 80本塁打 295打点
通算成績 1092試合 686安打 0.241 80本塁打 295打点
今回は前回私が選んだ、歴代ゴールデングラブの選手の打順を考えてみました。
1,イチロー
2、辻発彦
3,城島健司
4、松原誠
5、クリートボイヤー
6,新庄剛志
7,飯田哲也
8,大橋穣
9,松坂大輔
ゴールデングラブの選手という事で、矢張り脚の速い選手は多いのですが、全体的に長打力不足は否めないでしょう。30本塁打以上のシーズンの記録を持つのは3,4番の城島健司と松原誠の2人しかいません。打順別に見ていきますと一番の天才打者イチローは世界一の安打製造機であり、2番の辻発彦は何でもできる器用さを十分に持っており、巧く走者を進められると思います。3番の城島健司の見事な内角の裁き方、4番の松原誠の右中間へも大きな打球を放てる打撃は素晴らしいものがあります。5番ボイヤーの安定した打撃、6番新庄剛志の意外性溢れる打撃も面白く、長打は少ないながらも、鋭い打球を放つ身体能力抜群の飯田哲也の7番は油断ならないでしょう。8番大橋穣の打撃はあまり期待出来ないながらも、9番松坂大輔の非凡な打撃センスは結構面白い結果を残す可能性があるかと思います。全体的に打撃には物足りなさはあるものの、守備力が当然素晴らしいだけに結構面白いチーム力になるかとは思います。
1,イチロー
2、辻発彦
3,城島健司
4、松原誠
5、クリートボイヤー
6,新庄剛志
7,飯田哲也
8,大橋穣
9,松坂大輔
ゴールデングラブの選手という事で、矢張り脚の速い選手は多いのですが、全体的に長打力不足は否めないでしょう。30本塁打以上のシーズンの記録を持つのは3,4番の城島健司と松原誠の2人しかいません。打順別に見ていきますと一番の天才打者イチローは世界一の安打製造機であり、2番の辻発彦は何でもできる器用さを十分に持っており、巧く走者を進められると思います。3番の城島健司の見事な内角の裁き方、4番の松原誠の右中間へも大きな打球を放てる打撃は素晴らしいものがあります。5番ボイヤーの安定した打撃、6番新庄剛志の意外性溢れる打撃も面白く、長打は少ないながらも、鋭い打球を放つ身体能力抜群の飯田哲也の7番は油断ならないでしょう。8番大橋穣の打撃はあまり期待出来ないながらも、9番松坂大輔の非凡な打撃センスは結構面白い結果を残す可能性があるかと思います。全体的に打撃には物足りなさはあるものの、守備力が当然素晴らしいだけに結構面白いチーム力になるかとは思います。
今回は打撃は全く無視して,守備の名手歴代ゴールデングラブの選手を選んで見たいと思います。リアルタイムで見た選手という事で,昭和32、33年以降の選手になります。
1,松坂大輔
2,城島健司
3,松原誠
4,辻発彦
5,クリートボイヤー
6,大橋穣
7,飯田哲也
8,新庄剛志
9,イチロー
まずは投手ですが、他に池永正明、堀内恒夫も優れていましたが、投球から守備体制への早さを買い松坂大輔にしました。捕手は強肩の古田敦也も考えましたが、捕球後の素早さもあり城島健司を選びました。一塁は守備の苦手な選手が多く,名手は少ないものですが,股関節のが異常に柔らかく、どんな送球でも脚を十分に広げて捕球する松原誠の守備は本当に絵になるものでした。二塁は守備勘の良さ、肩の強さ等辻発彦の守備は群を抜いているでしょう。三塁は結構迷いましたが、名手の噂の高い三宅秀史や,中西太の全盛期のプレイは,残念ながら見ていた記憶がありません。実際に十分にプレイを見た選手では、最も安定した守備を見せていたクリートボイヤーの安定感が抜群かと思います。遊撃の守備は大橋穣以外には考えられないでしょう。外野手はいい選手が多く、かなり迷いましたが俊足を活かした守備範囲の広さと肩の強さに最もポイントを置き,上記の3人を選びましたが他にも田口壮,山本浩ニ、秋山幸ニ、羽生田忠克、屋敷要、平野謙、ライトル、簑田浩二、前田智徳等優れた選手も数多くいるものです。
1,松坂大輔
2,城島健司
3,松原誠
4,辻発彦
5,クリートボイヤー
6,大橋穣
7,飯田哲也
8,新庄剛志
9,イチロー
まずは投手ですが、他に池永正明、堀内恒夫も優れていましたが、投球から守備体制への早さを買い松坂大輔にしました。捕手は強肩の古田敦也も考えましたが、捕球後の素早さもあり城島健司を選びました。一塁は守備の苦手な選手が多く,名手は少ないものですが,股関節のが異常に柔らかく、どんな送球でも脚を十分に広げて捕球する松原誠の守備は本当に絵になるものでした。二塁は守備勘の良さ、肩の強さ等辻発彦の守備は群を抜いているでしょう。三塁は結構迷いましたが、名手の噂の高い三宅秀史や,中西太の全盛期のプレイは,残念ながら見ていた記憶がありません。実際に十分にプレイを見た選手では、最も安定した守備を見せていたクリートボイヤーの安定感が抜群かと思います。遊撃の守備は大橋穣以外には考えられないでしょう。外野手はいい選手が多く、かなり迷いましたが俊足を活かした守備範囲の広さと肩の強さに最もポイントを置き,上記の3人を選びましたが他にも田口壮,山本浩ニ、秋山幸ニ、羽生田忠克、屋敷要、平野謙、ライトル、簑田浩二、前田智徳等優れた選手も数多くいるものです。
今回は自分が選んだ歴代ベスト9で、打線を組んでみたいと思います。個々の最も力のあった時期を考えて,打順を考えたつもりです。
1,イチロー 2、長嶋茂雄 3,張本勲 4,王貞治 5門田博光 6,城島健司 7,大橋穣 8,高木守道 9,福本豊
上記の打順で最も打撃力に劣るのは大橋穣ですが、敢えて7番に置いたのは、彼の所で打線が切れたとしても、俊足及び小技に長ける8,9番から1番のイチローまで又チャンスが作れるからです。2番と3番の人選で多少悩みましたが、矢張り打撃力に優れる張本勲の方が3番には最適でしょう。以上がベスト9の打順ですが、打撃だけのベスト9を選んだとしたら、当然もっと凄い打線が組めるかと思いますが、総合力ではこのメンバー、この打順が最適だと思います。
1,イチロー 2、長嶋茂雄 3,張本勲 4,王貞治 5門田博光 6,城島健司 7,大橋穣 8,高木守道 9,福本豊
上記の打順で最も打撃力に劣るのは大橋穣ですが、敢えて7番に置いたのは、彼の所で打線が切れたとしても、俊足及び小技に長ける8,9番から1番のイチローまで又チャンスが作れるからです。2番と3番の人選で多少悩みましたが、矢張り打撃力に優れる張本勲の方が3番には最適でしょう。以上がベスト9の打順ですが、打撃だけのベスト9を選んだとしたら、当然もっと凄い打線が組めるかと思いますが、総合力ではこのメンバー、この打順が最適だと思います。
今回は主にライトを守っている選手です。このポジションは,攻守走全てに超一流のレベルを誇るイチロー以外考えられないかと思います。イチローはその俊足を活かし,広い守備範囲を要求されるセンターでとも考えましたが、コントロール抜群の超強肩をより活かせるライトで選びました。彼は私の知り得る限り史上最高のプレイヤーであり、今後彼を凌ぐプレイヤーは多分現れないかとさえ思います。日本で7年連続ゴールデングラブ賞を受賞、メジャーでも8年連続ゴールドグラブ賞を受賞していますが、彼の守備力を考えたら、至極当然の結果かと思います。では他の優れた選手を紹介したいと思いますが、矢張りこのポジションは俊足の選手というより強肩の選手が目立ちます。古くは森徹、葛城隆雄,江島功、ライトル,ウイリアムス、等の強肩は非常に印象に残っていますがイチローやウイリアムスを除くと、脚力にはあまり恵まれず,従って守備範囲の広くない選手が結構多かったかと思います。
最近よく目にするのが,日米合算記録です。先日もヤンキースの松井秀喜が通算445本塁打を放ち,日米合算記録で長嶋茂雄を抜いたと大きく紹介されていました。しかし昨日、オリックスのタフィーローズが日本での通算445本塁打を放ったのですが、スポーツニッポンの紙面を見る限り、日本での成績のみを紹介しています。スポーツニッポン以外の紙面を今日見た訳ではないのですが、日本人選手のみ日米合算記録を取り上げ、来日した外国人選手に関しては日本時代のみの成績を紹介する例は、スポーツ紙に限らず雑誌にも多く見られる気がします。矢張り合算して紹介するなら、日米,更に言えば韓国,台湾等全て同等にするべきかと思います。因みにタフィーローズ選手はメジャーで通算13本塁打を放っており、日米合算では昨年,長嶋茂雄を抜いている訳ですが,多分大きく報道されてはいなかったと思います。レベルも試合数も異なる国の記録を合算する事に,意義があるのでしょうか?私には非常に疑問が残ります。もしどうしても合算するのであれば、国籍に関係なしに全ての選手に適用すべきかと思います。しかし張本勲が常に述べている様に、彼の通算3085安打は日本記録であり、多分数日後に破るであろうイチローの記録はあくまで日米合算での参考記録にすぎないと言う意見は、彼にしては珍しく的を射た発言だと思います。例えばメジャーで首位打者を獲得し,日本でもロッテオリオンズで活躍したフリオフランコ選手の場合、日米合算で2872安打を記録していますが、日米合算の安打数は前述の二人、及び野村克也に次ぐ4位に該当するのですが、多分この形での紹介はなかったと思います。合算記録に決してケチをつける訳ではないのですが、矢張り土俵の違う数字を足す事自体に問題がある様な気がしてなりません。
1971年から1991年まで、阪急ブレーブス、オリックスブレーブス、ダイエーホークスで活躍した右腕投手です。その投球フォームはスマートさとは程遠く、テークバックの小さい感じの担ぐ様な、スリークォーターよりやや低い位置から投げており、非常に癖球というか、現在で言うとツーシーム系なのでしょうか、いやらしさの残る,比較的重い球であり、本当に綺麗な回転の球はなかった様に記憶しています。球速に関しては,良くて中の上でしょうか?決して速いタイプの投手ではなかったと思います。微妙に動く感じのスライダー系や、シュート系を巧く活用して打者にゴロを打たせるのが巧い投手でした。しかし圧倒的な球威がない為、三振を奪う技術には優れず、通算奪三振率は3.86と、結構低いものでした。それもあり、安定した成績を続ける事は出来ませんでした。完全試合を達成したり、酒好きのイメージも浸透していたり、大半の投手生活を、非常に地味な球団である阪急ブレーブスで過ごした割には、それなりにその存在を知られている投手と言えるのでしょう。ある意味実績の割に,地味な投手の多いブレーブスでは稀有な存在の投手だったかと思います。
通算成績 429試合 130勝112敗 防御率 4.28 870奪三振
通算成績 429試合 130勝112敗 防御率 4.28 870奪三振
1987年から1998年迄、阪神タイガース、中日ドラゴンズに在籍した左腕投手です。公称186cmと長身の左腕でしたが、その利点を巧く生かしているとは思えませんでした。投球フォームは、非常に腰の捻りが甘く、スリークォーターよりやや低い位置から投じていましたが、悲しいかな球の伸び、切れ、重さ、速さ全てにおいて不満足なものでした。又変化球もとりたてて優れている球種はありませんでした。更に彼の最大の欠点は、コントロール不足です。投げる際、もの凄く頭のブレが大きく、ストライクを取るコントロールもなく、当然の如くコースを突く細かなコントロールには著しく欠けていました。左腕投手には制球不足の投手も多く、かっての金田正一、小野正一や最近の石井一久等、入団当初はそうでしたが、彼等には類稀な球速がありました。しかし球速には恵まれず、制球にも難のある猪俣隆には、好成績を望むのは酷なのでしょう。1993年に自身唯一の二桁の勝利を挙げられた事自体を、稀なケースと解釈した方がいいかと思うレベルの投手だったと思います。
通算成績 191試合 43勝63敗 防御率 3.68 623奪三振
通算成績 191試合 43勝63敗 防御率 3.68 623奪三振
1968年から1985年迄、広島カープ、中日ドラゴンズ。日本ハムファイターズ、西武ライオンズで活躍した右投右打の選手です。広島カープ時代は3塁を守る事も多かったですが、外野手レフトとしてのイメージが強い選手です。公称176cm,82kgのがっしりとした体躯からバットをやや投手寄りに傾け、投球を思いっきり引き付けての打法は、非常に迫力があり、本当に闘争心を感じさせる打者でした。しかしバットを傾け、引き付ける打法はやや投手の球威に負ける傾向も強く、シーズン最高でも18本塁打と、一度たりとも20本塁打に達した年はありませんでした。彼が最も活躍した年は1975年でしょう、シーズンの最終打席でヒットが出れば首位打者の場面で、あろうことか阪神タイガースの米田哲也投手から死球を受け、死球を受けた本人が当たっていないという珍しいアピールは未だに鮮明に記憶に残っているものです。生涯唯一の3割であり、当然唯一の首位打者のチャンスを死球により失った彼の悔しさは、その前後の年の数字を見る限り十分に解るものです。
通算成績 1531試合 1058安打 0.259 155本塁打 517打点
通算成績 1531試合 1058安打 0.259 155本塁打 517打点