成田文男と言えば、オリオンズ時代しか思い浮かばない程の投手です。同球団の先輩、小野正一、坂井勝二と同じく引退後の活動を殆ど知られておらず、当然マスコミに登場する事も、まずないと思います。彼の名前が登場するのは、歴代の投手を、通算勝利や通算奪三振数順に紹介する記事に限られている様な気がします。つまり極端に言えば、主に避けて通れない場合のみの紹介に留まっています。理由は多分、上記の2選手と同じく、彼の現役時代の八百長疑惑でしょう。賭博常習の暴力団幹部との黒い交遊で、謹慎も経験しています。当時から彼の投球には疑惑を持ってはいましたが、変な意味、その後のマスコミの扱い方を見ると、何故か納得してしまうものです。しかし投球は素晴らしく、球速も150kmには到達してはいないでしょうが、抜群の切れ、伸びがあり特にスライダーは後に登場する伊藤智仁に次ぐ程の、威力を誇っていたと思います。昭和42に東京球場のネット裏で、その試合に、200勝がかかっており先発した梶本隆夫との投げ合いを見ましたが入団3年目でその年14勝を挙げた成田文男の方に、よりボールの勢い、切れを感じたものでした。