昭和37年、尾崎行雄のデビューの年です。今から丁度50年前になりますが、その時の尾崎行雄、新人投手としての球の速さがもの凄く話題になりました。その後山口高志、江川卓、郭泰源等の球の速さがかなり話題になりましたが、尾崎行雄のキャンプ、オープン戦、開幕にかけての騒がれ方は、後の彼らの比ではなかった様に記憶しています。入団時から武器となる変化球を持っている投手と異なり、尾崎行雄の場合、それは全くなく、人並み外れて速い球しかないという事もあり、その球の速さへの関心がより強くなったという事はあったかと思います。尾崎行雄は12年の現役生活を送っていますが、実質活躍したのは昭和41年までの5年間、もっと言えば本当に速かったのは入団4年目の昭和40年までだったかと思います。つまり彼の異常なまでに速い球を見る事が出来て記憶に残っているのは、一番若い世代としても50代半ばに達しているかと思います。デビュー時から彼の豪速球を見れた私はある意味幸せだったと思っています。史上最速の投手は誰かと話題になる時、未だに彼の名前が必ず出ますが、入団時の彼の球がどんなものだったか、当時の記事や私の記憶を辿って書いていこうと思っています。
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159.2キロでした。
恐らく全盛期の球速だと思いますが・・・
大杉さんが生前、このように言っていました。
「ボクは尾崎さんの球速を知ってるんです。
江川が速いったって、大したこと無いです」
オレが今まで見た投手で一番速いなと思ったのが
阪急の山口ですかね。 続いて、ピンクユニ時代の伊良部。
江夏は、東映の森安という人が一番速かったと言っていましたが・・・
そうそう。以前にも書きましたね。
高校時代が最も速かったというのですが
如何せん、プロ入り当時は、何の特徴もない投手に成ってました。 入団時、ピッチングコーチが弄ったんでしょうね。バカなことをしたもんです。
湯浅教授の球速解析
金田・・・154(国鉄時代)
江夏・・・158(9連続奪三振時)
尾崎・・・159.2(全盛期)
澤村・・・159.4(キャッチボールが全力の何割かを計算)
阪神時代の江夏はわかりませんが
そんなに速かったんですか。 日ハム、広島時代の江夏なんか、ただの太ったオッサンというイメージしかないし、球速も135~くらいだったように思いますが・・。
湯浅教授の分析、かなりもっともらしい数値で、御自分の知識で割り出したのではないかとさえ思ってしまいます。
番組内で尾崎が『変化球をなげるのは投手じゃないんだ、こんにゃろー、こんにゃろーと思って投げた』と言っていましたが、この調子だと下位打者相手にも全力投球・150km以上を放っていたのではないかと思われます。
昔の投手は多くが球種が2つしかなく、当然完投するため、目先を変えるために150kmオーバーの投手でも相手によっては130km台も投げたと思われますが、尾崎の場合はまったく平均球速を落とすこともしなかったようですし、平均150km以上というのは本当だと思います。江川などは完全に球速調整していたように思われますが、過去の速球投手の全力投球の割合も気になります(野茂などを見ても本当に2つしか投げていないので、自ずとこれが注目点になると思います)。