昭和41年のシーズン前、私は阪急ブレーブスから、同一シーズンに2人の200勝投手が現れる事を、期待すると同時に確信もしていました。シーズン前、実働12年の梶本隆夫投手は192勝であり、一方実働10年間の米田哲也は184勝でした。当然2人共200勝を達成しても何ら不思議はないと思っており、その達成順番も残り8勝の梶本隆夫が先で、米田哲也がやや遅れて達成するかと勝手に推測しておりました。しかし現実は、その年梶本隆夫は、驚くなかれ、2勝を挙げた後15連敗のまま。シーズンを終えています。確かに全盛期の様なオーバースローからの快速球には衰えが見え、投げ過ぎの為か、サイドスローに近い投法になっていましたが、未だ速球にはかなりの威力があり、とても15連敗というシーズン記録を作る様な投手とは思えませんでした。結果通算勝利は194勝に終わり,200勝達成は翌42年となります。一方米田哲也投手は25勝を挙げ、最多勝を獲得し、楽々200勝を達成し、初めて2年先輩の梶本隆夫を通算勝利数で超えるのですが、往時の様な目にも止まらぬ豪速球は影を潜めつつあり、かなりフォークボールの割合が増えて来ていたシーズンでもありました。
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3 コメント
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- 無し (名無し)
- 2009-12-18 13:31:21
- この頃の梶本球速あったと思えるの驚き、巽が凄いと思えるくらいのよれた球も甘い所に投げつづければ、勝てないのは当然。
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- 無し (名無し)
- 2009-12-18 15:36:35
- 制球力真ん中に投げられるだけ八百長投手の益田より上球速村上程度が当時の梶本。
- 返信する
- 無し (名無し)
- 2009-12-18 21:11:37
- 48年南海とのプレーオフにおける米田の投球は驚くべきほどの遅い棒球を投げていたのが印象に残ります。あの球で好成績が上げられたのか理解に苦しみます。
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