1969年から1988年迄、西鉄、太平洋、クラウン、西武ライオンズとチーム名は変れど、同一球団に在籍した右腕投手です。高校野球は殆ど見ない為、初めて彼を見たのは多分入団1年目か2年目かと思いますが、まさかこの投手が250勝以上を挙げる投手になるとは、全く想像すら出来ませんでした。非常に整った綺麗な投球フォームのスリークォーターから、強気の投球が印象的でした。若い頃の投球フォームには躍動感は感じられるものの、悲しいかなその球速には将来性を感じさせるものはありませんでした。彼のデビュー時にはスピードガンはありませんでしたが、多分最も速くても145km未満ではなかったかと思います。現在250勝以上を挙げた投手は10人いますが、全く見た事のないスタルヒン、晩年しか見ていない別称毅彦を除いても、間違いなくその投手の内で、最も球の遅い投手と言えるでしょう。更に200勝以上の投手に枠を広げて見ても、見た事のない投手を除き皆川睦雄、山本昌弘と共に最も球の遅い投手の部類に間違いなく入る投手だったかと思います。
通算成績 697試合 251勝247敗 防御率 3.50 1684奪三振
通算成績 697試合 251勝247敗 防御率 3.50 1684奪三振