その後の土井正博選手は多少の打率、打点の前後はありましたが、毎年20本塁打以上をコンスタントに叩き出す選手として、間違いなく近鉄バッファローズの主力打者として評価される様になりました。しかし昭和43年、土井正博選手の背番号は3になりその後、移籍により所属チームは変わりますが引退まで背番号は3のままでした。実働20年、通算打率0.282、465本塁打、1400打点と歴代屈指の実績を誇る土井正博選手には出来れば、最初見た時の異常に大きい背番号のままでいて欲しかったと思うものです。その土井正博選手より多少遅れてデビューした選手として大杉勝男選手がいます。テスト生として東映フライヤーズに入団した大杉勝男選手は入団の昭和40年以降、着実に成績を上げ昭和42年には打率0.291、27本塁打、81打点の実績を上げ、間違いなくチームの主力打者に成長して来ました。実働としては同じく3年目当時の土井正博選手の数字に非常に近いものでもあります。
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