昨日の続きですが、昭和30年代のエース格の投手の多くは、年間50試合以上登板、300イニングを超す投手も珍しくはありませんでした。単純に言えば、3試合に1回は彼らの登板が、ほぼ確実に見られる訳でした。逆に言えば、多くのチームに於いて、3番以内に入らなければ、ローテーションに入れないと言う事になります。昭和30年代後半、阪急ブレーブスの投手陣は足立光宏、石井茂雄の台頭により米田哲也、梶本隆夫と併せて4本柱と呼ばれ、他チームから羨ましがれていたのは例外で、極端に言えば、いい投手3人プラス敗戦処理投手で十分賄えていたと言う感じでした。酷使に拠る投手の寿命を考えると、決していい事ではないのでしょうが、ファンの立場からすれば、優れた投手を観られる機会が多く、喜ばしいものでした。それに比べ、現在先発投手の多くは、週1回の登板であり、ダルビッシュ有や田中将大等の素晴らしい投手の登板を観る機会は限られ、その分チームで5番手、ないしは6番手の投手の先発を観せられている気さえしてしまいます。昔よりも現在の方が、先発ローテーションに入り易い事だけは、少なくとも事実かと思います。
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