昭和39年から56年まで阪急ブレーブス一筋に活躍した、右投右打の外野手です。非常に地味な選手でしたが、昭和40年代の阪急で、世界の盗塁王福本豊の次の2番の打順を打つ事が非常に多く、送りバントや進塁打を放つ技術には非常に長けており格好の2番打者という感じでした。パワーはあまり感じませんでしたが、欠点の見つけにくい安定した打撃フォームから、三振の少ない安定した打撃を見せていました。又主にレフトを守っていましたが、打球勘に優れ非常に堅実な守備を見せてくれていました。しかし非常に残念な事に、打撃、守備それぞれに安定していましたが、そのレベルは決して高いものではありませんでした。昭和52年まで福本豊との1、2番コンビとして頑張ってきましたが、53年攻守走全てに於いて、彼のレベルを遥かに超える簑田浩二の台頭により、もはやレギュラーから程遠い存在となり、出場試合も激減し引退を余儀なくされた選手でした。阪急ブレーブスを代表する俊足選手福本豊と共に輝き、逆に同じく俊足選手簑田浩二により、その輝きを奪われた選手と言えるのでしょう。
通算成績 1423試合 1073安打 0.260 101本塁打 412打点
通算成績 1423試合 1073安打 0.260 101本塁打 412打点
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