totoroの小道

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白いぼうし 本当の問題

2009-06-10 06:00:51 | 4年 国語

白いぼうし 4の場面

いよいよT先生の授業が迫ってきます。授業も4の場面に入ってきます。

一緒に授業の指導案を作り始めます。
目当ては
「なぜ、『よかったね。』『よかったよ。』が聞こえたのか?」
です。

T先生の授業の考えを聞きます。
まず「よかったね」「よかったよ」がどうして聞こえたのかを前時に調べておき、それを聞き合います。
次に、この声の5W1Hを話し合います。(日記で毎日取り組んでいること)
だれに聞こえたのか。
どこから聞こえたのか。
どのように聞こえたのか。
いつ聞こえたのか。
どのぐらい聞こえたのか。

そして、最後になぜ聞こえたのか。
これを「おどるように飛んでいるちょうをぼんやりみているうち、松井さんには、こんな声がきこえてきました。」の「うち」「には」を根拠に話し合います。
すると、
「松井さんがきっとこんなふうに言っていると想像したから、聞こえたのだろう。」という結論がでる。

このような授業構想でした。


これを聞きながら、あれっと思いました。
T先生は、「よかったね」「よかったよ」は松井さんに聞こえたわけではなく、ちょうを見ておそらくこんな会話をしているだろうと想像したと考えています。
想像を辞書で引くと
(想像=実際に聞こえない音について、多分こういうものだろうと頭の中で考えること。)
それに対して、私は、ずっと聞こえていると考えていました。

二人の考えが対立します。
だって、「聞こえていた」とするのと「聞こえていないけれど想像した」と解釈するのとでは、授業の方向性が根本から変わってきます。

互いに、その根拠を探して、うんうんうなっています。

こんな時は、他の意見、フレッシュな意見を聞くべきです。
ちょうど近くにW先生がいたので
「W先生、松井さんには、「よかったね」「よかったよ」は聞こえているの?」
と聞いてみます。

W先生は、
「聞こえているんじゃないかなあ。」
と言いながら、私たちの会話に加わります。
「確かに変ですよね。」
とそれを聞いていたI先生も議論の輪に加わってくださいます。

さて、ここで問題ができました。
○松井さんには、「よかったね」「よかったよ」は聞こえているのかいないのかです。

W先生は、
「「聞こえてきました」だから、最初は聞こえていないけれど、だんだん聞こえたんだよ。だから最後には聞こえたんだ。」と言います。
私は、聞こえるを辞書で調べます。
聞こえる=音・声が(自然に)耳に感じられる。
と載っているので、やはり声としてはっきり認識したかどうかは確かではないけれど、耳に波動が感じたのは確かだと考えます。

例文を作ってみます。
祭り囃子の音が、だんだん聞こえてきた。
祭り囃子をしている人の姿ははっきり見えないのだけれど、最後には音はしっかり聞こえます。
聞こえてはいないけれど、聞こえたように感じたという例文を考えますが、浮かびません。

それに対してT先生は
シャボン玉のはじけるような、小さな声を根拠にあげます。
シャボン玉のはじける音なんて聞こえるはずがありません。と言います。

しかし、反論したくなります。シャボン玉のはじける音が聞こえたわけではありません。そのぐらい小さな音が聞こえてききたと書いてあるのです。だから、聞こえたかどうか判断に迷うぐらい(あるいは、今のは空耳だったのかなあと思うぐらい)の声ではあるけれど、聞こえたのだと考えるのが妥当だと思います。

こうした議論を、授業で行ったらおもしろいのにと思います。
わかりきったことを、一つ一つ言わせるより、......しかし、彼女にこの授業ができるだろうか......


では、もっと簡単でだれもが参加でき、しかも「多分こうだろう」と思いこんでいた「思いこみ」を覆して、が~んと言わせるような、痛快な問題は無いのだろうかと思い、もう一度4の場面をよく読みます。

そのとき、おもしろい問題が見えてきました。
○松井さんは、女の子=ちょうと知っていたのか。
○知っていたとしたら、どこで知ったのか。
です。

子ども達も、私たちも物語の読み手で全てが見えています。だから状況証拠を積み重ねると、「女の子=ぼうしの中にとらえられていたちょう」と当然のように考えています。しかし、松井さんは、全てが見えているわけではありません。

子ども達は、当然松井さんも「よかったね」「よかったよ」の声は、ちょうの声だと思って聞いていると思いこんでいます。本当にそうでしょうか?

ここでI先生が、
「「よかったね」「よかったよ」だって、仲間と、助かったちょうとは限らないよね。本人は底にいないで、仲間同士がみな口々に言っていると考えてもいいよね。」
と言います。
W先生は、
「だいたい、「よかったね」「よかったよ」が、蝶の声だと松井さんは知っているのかなあ。あっちの方から聞こえてくるとしか分からないんじゃない?」
と付け加えます。

当たり前だと思っていたことの前提がどんどん崩れてきました。
これは、おもしろいなと思えてきます。


T先生は、当然松井さんも「よかったね」「よかったよ」は、仲間と、助かったちょうとの会話と分かって聞いていると考えています。
そこで、松井さんはいつ、「タクシーに乗り込んだ女の子=ちょう」と気付いたのかを調べてみます。

20段落で女の子が消えていることに気付きます。この時点では、まだ気付いていません。考え考え窓の外を見ましたとあるからです。何が起こったのか理解できないのです。(理解しようとし始める=起点)

21段落には、場面の説明しかありません。

22段落の1の文 白い蝶が二十も三十も...
ここでも、あんなところにたくさん蝶がいるなあとしか思っていません。

22段落の2の文 クローバーが..タンポポがさいています。 
その記述はないです。

22段落の3の文 その上を..こんな声が、聞こえてきました。
聞こえてきただけで、その正体を見抜いた様子はありません。

23段落 それは、小さな小さな声でした
声の説明、松井さんが気付いた証拠はありません。

24段落 まだかすかに、においが残っています。
松井さんは声の主、蝶の正体に気付いたとは書いていません。ただし、においと言う言葉を使って、それを示唆しています。

こう読んでみるとさらにいろいろ見えてきます。

松井さんが「よかったね」「よかったよ」を聞いたときは、飛んでいるたくさんのちょうをぼんやりみているうちです。
ぼんやり=意識が一点に集中しない(ように見える)ことを表わす。
つまり、声を聞こうとしてみていたわけではないのです。
だから、蝶が会話しているだろうと思って、耳を澄ませたわけではないのです。たくさん蝶が飛んでいるなあと思いながら、ただそっちの方向をなんとなく見ていたのです。

すると、「よかったね」「よかったよ」は想像した言葉でなく、小さいけれどはっきり聞こえたと言うことが分かります。というのは、女の子=ちょうだと知らない。だからちょうを集中して見ていないのです。群れ飛ぶちょうは女の子の化けた蝶の仲間だとおもっている訳ではありません。きっとそんな会話をしているのだろうと想像して、集中して耳を澄ませたわけではないのです。

だから、もし、松井さんが「少女=ちょう」だと気付いたとしたら、23でもしかしたらと考え始め、24段落でそう結論づけた(帰着)と考える以外考えられないと言うことになります。


すると、本時のまとめは、どうなるのでしょう。
目当ては
「なぜ、『よかったね。』『よかったよ。』が聞こえたのか?」
です。

まとめは「たくさんのちょうが、実際に聞こえるかどうかの小さい声で話していたから。そして、松井さんが、たまたまぼんやりそっちの方を見ていたから。」としか書けなくなります。

この目当ては、指導案に乗せるにはふさわしくないのではないかと結論づけるしか無くなります。

このことは、一昨年、昨年もさんざん体験したことです。大問題だと思って解いていたら、それは本当の大問題への入り口だったということです。

本当の問題は
・松井さんに「よかったね」は聞こえたのか?
・松井さんは、どこで少女=ちょうと気付いたのか?
あたりになると思います。

すると、T先生は、
「でも子ども達とこの目当てを考えたのです。これを、こちらの都合で変えるというわけですか?」
と言います。

そこで、明日この目当てで勉強したらいいよ。そして、この目当てを解くためには
・松井さんに「よかったね」は聞こえたのか?
という小問題が解決しないことには、話し合えないね。明日は、この小問題について先に片付けようねと、予告しておけばつじつまは合うよと答えておきます。

 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (せきちゃん)
2009-07-23 23:35:51
ランキングから来ました。

おもしろいですね。
白いぼうしは,2学期に授業をします。

子どもたちと楽しみながら読み進めていきたいです。


挿絵……。
大丈夫ですか?著作権にひっかかると思いますが……。
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楽しいですね。 (しの)
2010-06-06 08:33:14
においに注目するといいのではないでしょうか。ファンタジーの入り口と出口はどこでしょう。夏みかんのにおいがポイントだと思います。
返信する
しのさんこんにちは (totoro)
2010-06-08 06:45:27
あまんきみこさんの作品は、こうして読んでみるといろいろな切り口がみつかるし、どこから切り込んでも楽し授業になりそうです。

においから授業を組み立てたら、おもしろそうです。においって、目に見えないものだし、一人一人おそらく、経験もイメージも違います。

漠然と話し合うと議論がかみ合わないと思います。(例えば算数の授業で、リンゴとかクッキーとかはすぐに量としてイメージできますが、時間とか面積は概念の要素が入るのでイメージしにくいのと同じだと思います。)

そこで、まずは誰もが同じ土俵で話し合える、本文中のにおいに関する言葉、においと係わっている事柄など、事実を積み上げて.......
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