気になっている3年生の先生とちょっとだけ立ち話をした。
「先生、今日国語の時間、先生の本読み上手ですね。声がいい。」
.....
「ところでね、そのきつつきの商売なんだけど。」
「先生、クイズね! 看板とメニューは同じなの?」
....
ちがうと思うけど...
「証拠は?」
........
証拠???
私の感覚では、看板ってこうこのぐらいの大きさで....
メニューって、こう紙で作ってあって...
「その証拠はどこに書いてあるの?」
.......
.....
「それじゃあさ、今日は2の場面を読んでいましたよね。最初に野ねずみの家族が、『おはよう、何してるの?』って声を掛けますね。あれ、きつつきは聴いていると思いますか?」
.......
ええ、聴いてると思いますけど...
「ぼくは、聴いてないと思うんだけどね....
どうも、話しが進まない。
やはり、ちょっとした時間で、立ち話では話しがかみ合わない。
国語の時間に、共に黒板の大きな教材を見て話し合うように、本を目の前にして話し合わなければ.....
かえって、光明の国語を嫌いにさせちゃう!!
でも、先生達は空き時間がないし、週1~2時間の空き時間は、そんな話しをするより、たまったノートの○付けをする貴重な時間だ。じっくり横に座って話し込んだら申し訳ない。放課後も忙しそうだし.....自分も仕事で首が回らない...
気になるあの先生と、もう一度じっくり教材を前に話すとしたら、どう話したらいいのだろう。そんなこと考えていたら、今朝は3時に目が覚めてしまった。
一度目が覚めると、眠れない。
年寄りになったのかなあ....
と思いつつも、起きてきてもう一度「きつつきの商売」を読み直すことにした。
最初の「看板とメニュー」の部分がやはり気になる。
そこで、色分けをしてみることにした。
看板に書かれていることは、
「おとや」
「できたての音、すてきないい音、お聞かせします。四分音符一こにつき、どれでも百リル。」
メニューに書かれていることは、(予想)
「ぶなの音 樅の音 桜の音 樫の音.....」
と赤青鉛筆で色分けしてみようと思う。
赤線と、青線と、どっちが大事なんだろう。
私は、看板だと思う。
だって、森中の木の中から選りすぐりの木を見付けてきて、看板をこしらえて、そしてそこに、刻んだ言葉だからだ。
①森じゅうの木の中から、/②えりすぐりの木を見付けてきて、/③看板をこしらえました。④看板に刻んだお店の名前は、こうです。
①森じゅうの木って、いったい何本なんだろう?
1本? 10本? 100本? 1000本?....いえいえ、もっともっとたくさんだと思うのです。
②「えりすぐる=選る+優れる」と切って考えると意味がよく分かります。優れた物を選ぶということです。ということは、1000本も、10000本もある木を、一本一本比べて、どれが一番優れているかを選んだのです。きつつきのことですから、きっと1000本も10000本も、木をつついてみたんだと思います。どの木がつつき心地がいいのか.... すると、その木を選ぶだけで、おそらく半年とか、1年とかかかっているんじゃないのかな
③そんなに、手間暇かけて選んだ木を看板にしたんです。
④倒置法になっています。強調したい言葉があるのです。それが
「おとや」
です。
だから、「おとや」という3文字には、きつつきの大事な大事な思いが、いっぱい込められているのです。でも、おそらくそれは、きつつきにとって大事なのであって、他の人はその思いを知るよしもありません。だから付け足したのです。だれが見ても分かるように。
「できたての音、すてきないい音、お聞かせします。四分音符一こにつき、どれでも百リル。」
これも切って考えます。
「①できたての音、すてきないい音、お聞かせします。②四分音符一こにつき、どれでも百リル。」
まず、前半と後半の二つの文のどちらが大事なきつつきの気持ちが込められているか?
.....前半ですよね。
では
①できたての音、②すてきないい音、③お聞かせします。
のどれが大事な気持ちだろう。
①②は並列です。私は、人の気持ちは言動に表れることを根拠に③をあげたいと思います。おとやは、聞かせるお店ですよ。私は、あなたに聞かせたいのです....と
きつつきは、いつも音の世界に生きています。森にはこんな素敵な音にあふれているのに、みんななかなか気付かないで生活している。もったいないなあ。私は、みんなが気付かないすてきないい音を、その場で作って、新鮮なうちに聞かせたい。そんな思いが込められているように感じます。
これが、主題にかかわってきます。
1の場面の最後の部分。
ぶなの木の「コーン」という音を、
野うさぎは、だまって聞いていました。きつつきも、うっとり聞いていました。
という部分があります。
看板を作ったきつつきの気持ちが読み取れていると
「このときの、野うさぎの気持ちと、きつつきの気持ちは同じか?」
と問うと、答えが出てきます。
①同じ
②ちがう
①の根拠は、「も」です。どっちも「うっとり」聞くのです。うっとり=他のものが一切 念頭から無くなるほど、そのものの魅力や快さに浸り切ってしまっていることを表わす。
②しかし、野うさぎは、ぶなの音そのものの音の魅力を感じ、快いなあと感じるのです。ここまでは、きつつきも同じです。でも、看板の所をしっかり学んであると、
野うさぎがうっとりしてくれた。できたての音、すてきないい音を聞かせることができて、うれしいな。
という気持ちもあることに気付きます。
つまり、冒頭の看板の部分は、主題の布石になっています。
さんのブログ2と3を読むと、ほんとうによく考えているなと感心します。私も初任者の指導で、この教材で授業をしていますが、とてもここまで問題を見つけて解釈することはできません。
「きつつきの商売」はそんなに解釈例がありませんので、何かの折りに発表したらどうでしょう。
「追求方式の授業」の理解とその継続はほんとうに難しいと思います。先生のご苦労がわります。
斎藤喜博は、「自分の実践や理論が、後世まで残るだろうというような思い上がった考えはありません」というようなことを言っています。それは、何を意味しているのでしょうか。
私は、不遜な考えを持っていないことを意味していると思いますが、むしろ、それよりも、このような質の高い実践は誰にでもできるものではない、だから簡単に引き継がれていくものではないんだということを言っているのだと思います。
光明小学校の国語の指導も、質が高いものであり、これを研究実践したことにより、子どもも教師も大きな力を獲得することができたのです。しかし、それだけに研修に大変な苦労を要したのです。 私たちは誰もがこのような実践ができればよいと思いますが、斎藤喜博が言うように、そんなに簡単にできるものではないと思うのです。
私たちが実践した国語や表現活動は、誰にでもできるものでないこと、継続されにくいことであり、一方では、さびしいことでもあるが、逆に言えば、すごいことをしたという自負と自信が持てるのではないかと考えます。「こんなにすごいことは、簡単に真似されては困るんだ」というような喜びを持つことが大切だと思います。それを胸に持って、少しずつではあるが確実に新しい先生に伝えていってほしいと思います。どうか無理をせずに身体に気をつけて仕事をしてください。
自分で何を書いたのか意味不明になってしまいましたが、私が言わんとするところを推察していただければありがたいです。
ここで一つ質問なのですが、totoroさんはきつつきの「音を売る」という商売がどうしてこの物語では商売として成り立つのか、ということに関して何か考えがおありですか?
分からないとき名、調べてみるとよいと思っています。
そこで、調べてみました。
まず、このお話の中の、「音を売る」という商売に関する言葉を調べると、「お店」「商売」「おとや」が見つかりました。
そこで、何か手がかりがないか、それぞれ辞書で調べてみます。
お店=商品を陳列して客に売る所。商店。「─を畳む(=商売をやめる)」
商売=①〘自サ変〙利益を得るために品物を売り買いすること。あきない。「─繁盛」
②〔俗〕仕事。職業。「人を笑わせる─」
あきない=①売り買いをすること。商売。「小─」
屋=①〔屋〕その商売を営む人や家の意を表す。「肉─・パン─・植木─」
などと載っていました。
ターザンさんの質問が「どうして、音を売ることが、商売として成り立つか?」ですから、調べた言葉と置き換えます。
すると、質問は「どうして、音を売ることが、、利益(①事業などによって得る、金銭上のもうけ。)を得るために品物を売り買いすることとして、成り立つのか?」という意味になります。
これを、一つ一つ考えましょう。
その1 利益はあるのか
きつつきの商売において、事業については、「できたての音、すてきないい音、お聞かせします。」と書いてありますから、事業として成り立つことが証明できます。
金銭上のもうけがあるかどうかは「四分音符一こにつき、どれでも百リル。」とありますから、もうけはあります。
よって利益はあることが証明できます。
その2 品物は何か?
「できたての音、すてきないい音」です。
その3 売り買いしているか
「どれでも百リル。」で売り、どれも「百リル。」で買ってくれるわけですから、成立します。
これで、商売として成り立つことは証明できます。
さて、残った問題は、「音を売る」という商売がどうして成り立つかです。
すると、「音を売る」という行為が、品物として価値があるかどうかにかかってくると思います。
そこで、本文を調べてみます。すると、こんな表記が見つかります。
「きつつきも、うっとり聞いていました。」
うっとりを調べます。
美しいものに心を奪われるさま。また、快さに身をゆだねるさま。
と載っています。
つまり、売り手は少なくても、「美しいと感じ、快く思う」のですから、売り手からしたら十分に対価を求められるものであり、またお客もうっとりするのですから、対価を払って満足するのですから、品物として価値があると感じています。
こう考えてみると、
きつつきの「音を売る」という商売がどうしてこの物語では商売として成り立つのかという問いに対して、成り立つと結論づけてよいのでは無いのでしょうか?
ターザンさんは、どう思いますか?
今までさまざまな小学生の国語の教材分析を進めてきた中で、この「きつつきの商売」という教材の中で、totoroさんもおっしゃっている通り、「音」がどうして商品として価値があるのか?また、どうして音を売る商売が繁盛しているのか?ということがとにかく疑問でした。また、この疑問がとければさらに深い分析ができ、「きつつきの商売」という教材を使ってのおもしろい授業計画が立てられるのではないかと常々考えておりました。
今回totoroさんに質問させていただいたのも、totoroさんの教材分析を拝見し、totoroさんのかんがえる「音を売る商売が成立する理由」を伺いたくなったからです。
前置きが長くなりました。私の考えを述べたいト思います。始めにいっておきますが私の考えは教材分析からはかけ離れた、いわば私の妄想のようなものです。何の根拠もございません。
この疑問を考えるときにまず思ったのは「動物たちにとって音とは何なのだろうか?」ということです。一般的に考えて「音」とは動物にとって、危険を察知するための信号にしか過ぎないのではないでしょうか。しかし、きつつきはそんな危険信号でしかなかった音を「すてきな音おきかせします。」と看板にかいて動物たちに聞かせたいと思います。「一つつき百リル」等の表現ではなく、「四分音符一つ分で百リル」というふうに「四分音符」という表現にしているのも、この表現から音楽性が連想できるので音の芸術性やすばらしさが強調されるのではないでしょうか。普段は危険を知るための信号でしかない音を、すてきに聞かせてくれるというなら、そんなお店に足を運んでみたいと思う動物たちにも納得がいきます。だからこそ音を売るという商売が成り立つのではないでしょうか。
以上が私の考えですが、最初に述べたとおり、本文中からはこの考えに対する根拠がほぼ読みとれない、いわば私の妄想が生んだ考えです。
まだまだいろいろな方の意見を伺いたいものです。
totoroさん、お忙しい中貴重なご意見、本当にありがとうございました。
その通りだと思います。
なるほど「音符」という言葉について考えたり調べたりすると、おもしろい授業になります。
国語の授業を行う場合、私たち大人もそうですが、子どもたちも「思い込み」でさらっと読んでいます。
ターザンさんのように、まてよとこだわって読み始めると、おもしろい発見がたくさん出てきます。
すると、今まで見えなかった世界が見えてきて、物語の世界が奥行きのあるものになります。
そういう国語の授業をしてあげると、子どもたちは国語が大好きになります。
今回はいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
(二)〔楽譜で〕音の長短を表わす記号。五線譜における位置により、高低をも表わす。
三省堂 『新明解国語辞典 第五版』
とありますから、4分音符には、音の長さの他に、音の高さや、強弱があり、たった一つでもすてきな音楽なのですね。