totoroの小道

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高木 展郎 先生の講話を間近で聞くことができました。

2012-09-02 23:45:55 | 研修

8月31日 下阿多古小の校内研修に参加させていただきました。

高木 展郎 先生の講話を間近で聞くことができました。(忘れないように、私なりに文に起こしてみました。)
             
 なぜ学校を変えないといけないのか、なぜ授業を変えないといけないのか。
 日本は技術立国だった。しかし、SY社は危機を迎えている。台湾のメーカーに吸収されようとしてる。台湾のメーカーがほしいのは、SY社の液晶技術。数年前までSY社の液晶技術は世界一だった。それが、SA社に技術が流れ、苦境に陥った。
 スマートフォンは7年前に登場した。ここ3年ほどで急激に広がり、これから殆どの携帯がスマートフォンになる。スマートフォン=コンピュータである。学生はこれを使いこなしている。
 日本の技術が海外に流出し、日本が外国に勝る技術は少なくなった。自動車で海外のメーカーが日本メーカーと協力したがっているが、それはハイブリッド技術や、小型車の技術がほしいからだ。今、日本の技術が突出しているのは、医療の分野である。オリンパスは会社の不正で話題になったが倒産はしない。それは、どこにもまねできない胃カメラの技術があるからだ。
 日本は、人件費が高いので製品のコストが高い。それでも、良いもの、付加価値の高いものは高く売ることができる。日本は今までも技術力で勝負してきたし、今後もも外国がまねできない技術力で勝負していかなければならない。

 そのように考えると、教育はそうした革新的な技術を開発できる人材を育てていかなければならない。それが、今回の指導要領で求められている「思考力」「判断力」「表現力」である。
 それなのに、日本の教育・学校・授業は、戦後ずっと変わらない。教師は、自分が子供の頃受けた授業をイメージして、同じような授業を行っている。保護者や社会・マスコミは、自分たちの受けてきた教育をイメージしていて、教育界や学校が新しい方向を打ち出すとクレームをつける。

 子供たちは学校に何を求めているか。それは学ぶことではなく、友達と関わることである。本当の意味で、子供たち同士が関わり高め合う授業をしていかなければ、ニーズに合わない。
 学校の授業を参観すると、本来は友達に向かって話すべきなのに、子供たちは教師に向かって発言していることが多い。
 また、教師は授業に困ると「となりの人と話し合いなさい。」「グループで話し合いなさい。」と子供たちに丸投げするが、これは安易だ。参観者にはいかにも話し合い活動をしているように見えるが、子供たちは互いに意見を持てていないので、話し合いが深まらない。形だけの話し合い活動になっている。本来の交流とは、相手から聞いたことを、説明できるようになることだ。

 課題に対する正解を求める授業でなく、自分の考えを持たせる授業を行うべきだ。思考のプロセスが大切なので、自分の考えを書かせるようにしたい。
 低学年のうちに学びのスキルを教えることが大事である。分からないときに「分からない」と言えたら、うんと褒めてあげるといい。
「分かりましたか」と聞く先生、正解を求めて挙手した子を指名して授業を組み立てていく先生が殆どだが、分かっている子を指して正解を言わせても思考力は育たない。分かっている子は学ぶ必要がないのだ。分かった子だけで発言して授業を進めれば、分からない子は分からないままで、学習内容が身に付かない。学力の二極化が進むだけだ。
「分からない。」という子がいたら、「分からない子が分かるような説明を考えよう。」と教師が問うことができる。すると、分かった子にとっても、分からない子にいかに理解してもらうかについて、より深く考える機会になる。
 また、友達の発言に対して「いいです」「同じです」とオウム返しのように反応させる教師が多いが、それはよく考えて聞いていないからそういう受け答えになる。「今の子と違うことを言ってごらん」と呼びかけ、ラーニングスキルを高めていく。友達の発言に対して、自分なりに反応し、反応を返していくようにしていきたい。対教師でなく、子供たち同士が学び合うスキルを高めていきたい。

思考力・判断力・表現力を育てるためには、次のような活動が考えられる。
①体験から感じ取ったことを表現する
②事実を正確に理解し伝達する
③概念・法則・意図などを解釈し、説明したり活用したりする
④情報を分析・評価し、論述する
⑤課題について、構想を立てて実践し、評価・改善する
⑥互いの考えを伝え合い、自らの考えや集団の考えを発展させる
これらの基盤となるものは、数式を含む広い意味での言語であり、その中心となるのは、国語である。すべての教科で言語の能力を高めることにより、思考力・判断力・表現力等の育成が効果的に図られる。このため、発達段階に応じて記録・要約・説明・論述といった学習活動に取り組む必要がある。
言語は、知的活動(論理や思考)だけでなく、コミュニケーションや感性・情緒の基盤である。

 学習指導案(カリキュラム)を、1時間単位から、教材全体や単元全体の展開を見通すことのできる指導案に転換してほしい。1時間で全て解決しなくてもよい。国語だったら、段落に分け、1時間に一つの段落を読むような指導はやめた方がよい。普段、物語を読むときに、そんな読み方はしないはずだ。
 短い時間で考えたつもりにさせても、自分の考えが深まっていないから、発言できないし、発言しても内容が浅く表現力が高まらない。
 国語の「ごんぎつね」なら、課題は「ごんななぜうなづいたのか?」でよい。全ての学習はこの課題を解決するために仕組まれ、関連づけられていく。

 リテラシーを高める授業を(「情報を使いこなす力」)
 先生が指示するから、子供は考えなくなる。教師は、子供たちの声を聞き、考えさせる問いかけをし、子供たちが自分の考えを構築して語り始めるのを待つ。
形式的に一人で考える活動や、形式的に隣と話す活動は、リテラシーを高めない。答えありきで、正解を目指す授業はだめ。
「分からない」「困った」が安心して言える、受容的・共感的な態度、全ての子供たちが居場所のある教室作りがそのような授業のベースになる。
そして、どうする? どうして? なぜ? 訳は? だから? どうしたい? どういうこと?と子供が考えるような問いかけをしていく。子供の発言を復唱するのではなく「○○さんがここまで分かったんだって。みんなでこの次を考えていこうね。」と子供の意見をつなげていく。時につなげる練習をし「いくつつながったかな?」と聞いてみることもあってよい。学習内容を伝達するだけの授業は、これからの学習にそぐわない。
児童が説明したくなる授業(教師は説明しない しゃべらない)
児童の思考を支える授業(考えることを支え、促す指示)
児童の発表を教師はまとめない、児童の発言を奪わない。児童の言葉を復唱しない。
児童の「聞く」を鍛える。

 考え続ける子供を育てるには、深い教材研究をし、子供たちが活動し、考えたくなり、解決したくなり、それらがつながっていくような「単元を通しての課題」を作ることである。どう教えるかを考えるのが教材研究ではない。問いがあるから、考えるのだ。
 子供たちが課題に興味をもち、問い続け、自分たちで分かっていくような道筋を見えるようにすることが教材研究である。
 分かった子だけでなく、クラス全員が分かるようになる授業をすることが、授業のプロだ。そうなるような、カリキュラムを作っていかなければならない。

 踏み出す勇気=教師はしゃべらない
 学習問題が適切なら、子供たちはしぜんと語り出す。
今までの、発問→説明→指示の授業は、もう変えましょう。

 

私たち、授業研究の会と同じ考え方だと感じました。

浜松授業研究の会の御案内をいたします。

  開催日 曜日 開始時間 終了時間 施設名 場所名
第25回 2012年9月8日 9:00 12:00 天竜壬生ホール 第2会議室
第26回 2012年10月13日 9:00 12:00 天竜壬生ホール 第1会議室

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1 コメント

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いい話を聞いたね (Mrヒデ)
2012-09-03 13:53:35
 高木展郎先生のよい話を聞きましたね。国語教育を通して、考える力、コミュニケーション力を育てることが、将来にの学力として役立つのですね。
 ほんと私たちの研修していることと同じです。 8日の研究会よろしくね。もちろん私も参加します。
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