totoroの小道

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すとんと落とす

2009-05-20 00:22:39 | 4年 国語

白いぼうし 4年生
指導案検討を行った。

ところで本校は、グランドデザインで課題解決学習に取り組むと表明している。校長は、どの教科でも課題(めあて)をつくり、それを解決する授業をしてほしいとのぞんでいる。そのために、算数でも理科でも社会でも導入の部分で本時の課題をつかみ、1時間かけて追求していくようにしている。

授業が楽しいと思う瞬間は、できた、解けた、分かったと思った瞬間である。そのために、課題(めあて)を作り、それを解決するための仮説を立て、その仮説を検証していく。理科なら実験や観察を通して得られたデータを分析して、検証する。社会なら、資料を読み解き、、いくつかの資料を関連させてその理由をひもといていく。

これが算数だと、もっと分かりやすい。あくまで例えばだが、
60×4の答えを求めるとき、6×4=24だから240だろうと仮説を立てる。
これを
検証1 足し算
 

検証2 10円玉


検証3 筆算


と子ども達は様々な得意な方法で検証する。
どのやりかたでやっても、答えは240になる。
だから、6×4の答えを10倍するという仮説は正しかったのだと納得する。


国語も、課題解決学習であるなら、同様なプロセスを踏まないと、答えは出ない。
なんとなくうやむやに雰囲気で分かったようなつもりになるだけだ。

そのときは周りの雰囲気で分かったようなつもりになるが、少し時間がたつと今日の国語は何をしたのか分からなくなる。そしてつまらないと感じるようになる。答えがはっきりでないからだ。

国語は道徳ではない。道徳なら「思う」という行為だから、思ったことはどれも正解だと思う。しかし国語は「思考する」のだから、答えをだす営みをする。何を言っても合っているでは、道徳になってしまう。

だから、国語においても、理科の実験のように、算数の式や図のように、できた、解けた、分かったと思わせてやらなければならないと思う。

そう思って、今日の指導案を私は見ていた。


まず、本時の目当ては、「松井さんがなぜ夏みかんを乗せたのかを考えることを通して、もぎたての夏みかんを速達で送ってくれたお母さんの気持ちが嬉しかったことを読み取ることができる。」となっている。本時のまとめの所にも「においまで届けようと、もぎたての夏みかんを速達で送ってくれたお母さんの気持ちがとても嬉しかったから。」と対応している。

つまり、課題は「なぜ夏みかんを乗せたのか」であり、その答えは「もぎたての夏みかんを速達で送ってくれたお母さんの気持ちが嬉しかった。」である。これが、検証によりすっきり理解できたとき、できた、解けた、分かったと思い、国語を楽しく思うようになる。


この答えが出るように、逆から考えていく。

「お母さんの気持ちが嬉しかった。」は、どこから見付けることができるかだ。

検証1 においまで の「まで」 夏みかんだけでなく、においまで
さて、「においまで」=「お母さんの気持ちが嬉しかった。」がすっきり子どもに落ちるだろうか? 
「まで」から、できた、解けた、分かったと思わせるためには、もう一工夫欲しいと思う。
《例えば》単文を作る。
・ぼくが持ち物を忘れたのに、貸してくれるだけでなく、ここまで手伝ってくれるなんて嬉しいな。
・母の日に、ありがとうを言うだけでなく、ここまで優しくしてくれ嬉しいな。
「まで」には、限度や予想を超えて親切にしてくれる意味がある。
そこまで松井さんのことを思ってくれるお母さん....
このあたりまで、学べば、できた、解けた、分かったと思うかもしれない。

でも、まだ弱い。納得するのは一部の子だと思う。

「まで」の意味が気になる。
動作・作用や状態の限度を示す。 
極端なものを例示して、他はましてと暗示する。
などと載っているが、どちらだろう。他の辞書で調べてみる。
名詞や活用語の連体形につき、事柄や動作の距離的または時間的な限度および範囲または到達点を示したり、程度や動作の限定に用いられるほか、極端な例を挙げ他を類推させる時(格助詞の後にもつく)にも用いる。
やはり、大まかに二通りの使い方があるようだ。
また、普通「まで」は「から」と組み合わせて、
~から~までと範囲の出発点と、到着点を示すのが普通だと思う。

この場合はどっちだろう。
考えてみよう。

まず、臭いにはふつう「まで」は使わない。
作者が意図的に使っているのだと考える。

そこで、夏みかんの価値を考えてみる。

例えば、グラフのように、このような価値に分けて考えてみよう。
すると

普通は、せいぜい鮮度や色がよいというレベルまでの「夏みかん」なら上物である。産地直送で生産者から直送してもらうと、さらに付加価値が高くなり味もとってもまろやかになる。

どんなに頑張っても、せいぜいここまでしかできない。小木先生がおっしゃっていたように、「なつみかんの迸るようなにおい」は、めったに出会うこともできない希少価値である。


その希少価値である、においのレベルまで送るなんて、よっぽどタイミングよく、しかも手間暇かけなければできることではないのだ。

このように、夏みかんの価値をグラフや線分図などで描いてみると、それがどんなに難しいことなのかをイメージできるのではないか。
まずあり得ないようなことを、「ここまでやってくれるのか」と思うレベルまでやってくれたのである。
おふくろが。
だから、それが分かって、「あまりにうれしい」となるのである。

すると、「まで」は、やはり限度なのだろう。限界に挑戦したのだ。おふくろさんは。
ちなみに「限度」を調べてみると「これ以上は超えられないという程度。」と載っている。どんなに頑張っても、これ以上新鮮な「夏みかんはない」という限界の状態で送られてきたのだと思う。


       
検証2 
この車に乗せてきた。とある。 
        普通、 人を乗せる。
                   物は置く。
        夏みかんなのに、乗せると書いてあるから、人間のように大事に思っている。ダッシュボードなら置くと書くけれど、人間のようにきっと助手席に置いてある。だから乗せるとなっている。それほど、大事なんだ。もうただの物としての夏みかんでなく、お母さんをダブらせている.....このあたりまで、学べば、できた、解けた、分かったと思うかもしれないが、これは難しい。

検証3 
「においまで届けたかったことが、あまり嬉しかったので、車に乗せた」これは、だれもが分かることだ。しかし、これには見えていないものが実はある。主語だ。ここに主語を入れる。すると、たちどころに問題が解ける。主語は「おふくろ」と分かる。つまり、「おふくろがにおいまで届けたかったことが、あまりにも嬉しかった。」となる。=「お母さんの気持ちが嬉しかった。」とすんなり変換できる。これは、すとんと落ちるのではないか。


検証4 
一昨年のわたしのクラスの最後の方は、子ども達は、日本語の意味は、助詞や助動詞を読み解くと見えるとの「確証」を持っていた。
彼等ならおそらく「においまでわたしに届けたかった・・」の中の「わたしに」の「に」を根拠として選ぶだろうと思う。
「に」を調べてみると、
「動作・作用が、その相手△に対して(から)行われることを表わす。」とある。
「おふくろが、においまで届けるために速達で送るという動作が、自分に対して行われた。」と辞書の言葉を、補って分かる文に翻訳してみる。

すると、私が母親にとても大切にされているという事が分かってくる。
こんなにも私のことを大切に思う母親の存在。それが嬉しいのだ。....
彼等なら、おそらくそんな検証を授業の中で行っていくのではないのだろうか?

そう思って、この文を読み直すとまた少し見えてくる。
本来なら「においまで届けたかったのでしょうか。」でも意味が通じる。わざわざ強調するように「私に」と加えられているように感じるのだ。作者が意図的に入れた「私に」なのだろうと思う。作者は、母親の私に対する愛情をわざと、しかもさりげなく入れているのだと思う。

ともかく、こうした検証することが、算数の

にあたる。
算数の指導案だって、ここに、様々な子ども達の表れを予想するし、自分の考えを持てない子の支援策もあれこれと考えておく。

国語だって、この活動が、本時の子ども達の活動のメインになるのだ。


本時の指導案においては、この部分が弱いように感じた。
 「においまで私に届けたかったのでしょう。」から「お母さんの気持ちが嬉しかった。」が導き出される検証=「道筋」が、まだ先生の中ではっきり見えていないような気がした。

すとんと落としてあげることで「やった。解けた。分かった」と思わせたい。それが国語の楽しさにつながるのではないかと思う。

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1 コメント

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国語の授業をつくる (Mrヒデ)
2009-05-20 19:35:58
「国語は道徳ではない。道徳なら「思う」という行為だから、思ったことはどれも正解だと思う。しかし国語は「思考する」のだから、答えをだす営みをする。何を言っても合っているでは、道徳になってしまう。
だから、国語においても、理科の実験のように、算数の式や図のように、できた、解けた、分かったと思わせてやらなければならないと」・・・・
 国語の学びの方法を他教科を例にしてあげているからわかりやすいね。
 検証1~4をあげて、「白いぼうし」の教材の視点とその解釈の方法も凄いですね。
 これらのことがまず教師に理解され、納得され、面白がれないと目指す国語のはつくれない。そんな気がする。
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