ゆみこ/は、/とうとう/なきだして/しまい/ました。
この中のどこに、お父さんがゆみ子を泣きやませる目的があるかを探ります。
その目的は2つ考えられます。
①目的はお母さんのため
②目的はゆみ子のため
泣く=悲しみ・苦しみなどを抑えることが出来ず(言葉にならないで)涙が出る。
だす=…し始める。
だから、ここまで泣かずにこらえたのに、満たされない気持ちを押さえられなくなったのです。
以上のことから①②のどちらかをぱっと考えると、ゆみ子のためとなりそうな気がします。
ここで「とうとう」を調べます。
とうとう=最終的な結果としては何かの状態が実現することを表わす。いろいろな過程を経て、ある結果に達するさま。
あれも、これもいろいろなことがあって、最終的にということになります。ではここまでいろいろなことがあったということになります。それを整理しておきます。
まず、お父さんはゆみ子の「一つだけちょうだい」の言葉が好きではありませんでした。ですから、お母さんはその言葉が出ないように、駅までの道中、おにぎりをあげて、その言葉を押さえてきました。
ちょっと横道にそれますが、おかあさんの肩のかばんの中のおにぎりはだれのためのおにぎりか?
①ゆみ子 ②お父さん ③お母さん ④家族みんな
ちょっと考えると、お父さんが汽車の中で食べるのかなと安易に思いがちです。でもこのカバンの中身を考えます。包帯やお薬はだれのためか分かりませんが、配給の切符が入っているのが気になります。お父さんは出征するのですから、配給の切符はいりません。つまり、このカバンは、お母さんの日常必要なものが入ったカバンなのです。
すると、おにぎりは、お父さんのために作ったのではないことが分かります。ゆみ子のため、ゆみ子を泣かせないためです。だって、大人用の大きなおにぎりを、小さなゆみ子が食べたら、ぼろぼろになりすぐに落としてしまいます。当然ゆみ子がにぎり、食べられる、小さなおにぎりです。お父さんが「みんな、おやりよ。」と言うのですから、小さなおにぎりが、3つも4つも5つも入っていたはずです。
では、物資のない時代の、貴重なお米で、どうしてゆみ子のために、ゆみ子専用のおにぎりを作らなければならなかったのか?
ゆみ子が泣いてはいけない理由があるのです。だれにとって=お母さんにとって。
さらに先に進みます。
いよいよ汽車が入ってくるときになって...。「いよいよ=ついに始まる」ですから、ついに汽車が入ってくることが始まるときになってです。
もう、ホームのすぐ手前まで汽車が来ています。
そのとき、「とうとう」泣きだしたのです。とうとう=最終的な結果としては何かの状態が実現することを表わす。いろいろな過程を経て、ある結果に達するさま。
お母さんには、もう切り札のおにぎりがありません。明らかに動揺しています。ですから「みんな、おやり。」というお父さんの言葉に、とんちんかんな受け答えをしています。答えになっていません。冷静な状態なら「今まであげてきたのでもうありません。泣きやまないように、あやしますね。」辺りの答えをするはずなのに...
「あやす」が「一生懸命にあやす」に変わります。あと1分~2分で家族が永遠に別れるかもしれないからです。
それを見ている、お父さんの気持ち=表の黄色の部分にお父さんが、なんとしても一瞬でゆみ子を泣きやませなければならず、勝負に出た目的があります。
愛しい妻が、困っておろおろしている。お母さんを救わなければ...
ここの考え方、いいなー。凄いね。