とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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女性アイドル

2005年08月24日 20時03分53秒 | 音楽・演劇・演芸
私のよく行くCDショップ「新星堂なんばCity店」には懐かしのポップスのコーナーがある。
懐かしの歌謡曲ではなくポップスなのだ。
つまり北島三郎や田端義男、ぴんから兄弟などというベタな演歌ではなく、アリス、ツイスト、かぐや姫、グレープ、吉田拓郎などのニューミュージック系の今風に言えばアーティスト達や、山口百恵や岩崎宏美、桜田淳子といった読売テレビ「スター誕生!」でデビューしたような女性歌手のLPやEPを復刻させたCDが売られているのだ。

ここ1、2年、このコーナーにいわゆるアイドル歌手の復刻CDが並ぶようになった。
それも男性アイドルよりも女性アイドルのCDの方が数多く並んでいるのだ。
その理由は次のようなものだろうと推測している。
かつて男性アイドルの追っかけであった中年のオバハンは、今ではタダのオッサンになってしまったかつての心の恋人のことなど、もうどうでも良くなってしまっており、現在はレオ様だとかヨン様だとか外見が良いだけの日本語もしゃべれないような外国人の男を追っかけている。
これに対して、中年のオッサンは、若い女の子はもちろんのこと家庭でも友人間でも妻や恋人からぞんざいに扱われている上に「あややって可愛いね」などと口が滑ったりすると「うわー、オヤジ、気色わる~」などと言われてしまうので、必然過去の女性アイドルに逃避することになる。
だからCDショップには昔の女性アイドルのCDが並ぶことになるのだ。と、思っていた。

一般にアイドルという存在は1990年代半ばのコギャルの出現とともに消滅したと言われている。
私に言わせると、酒井法子あたりが最後の正統アイドルではないかと思っているのだが、その酒井法子でさえ、今やNHKの朝ドラで高校生の娘を持つ母親役をやっているのだから時代は流れたと言わなくてならない。

そもそも女性アイドルというのは「カワイコちゃん」というのが相場だった。
つまり歌や演技などはどうでも良く、可愛ければそれでいいというような風潮があったことは確かである。
だから今人気のAikoや小柳ゆきやミーシャなどは、いくら歌で頑張っても1970~90年代ではアイドルになれなかっただろうというわけだ。
かつてのアイドルの代表的なものが天地真理から浅田美代子に連なるドラマ出身のアイドル達であったように記憶する。
この「音痴の殿堂」はコメットさんの大場久美子に引き継がれ、一時期消えたかに思われたが、やがて歌を本業とするアイドル歌手に引き継がれ1980年代に復活する。
森尾由美、北原佐和子、能勢慶子、オニャン子クラブの幾人かに伝承されることになるのだ。

先日、その下手クソな歌のいくつかを聴く機会を得ることができた。
改めてその特徴溢れるユーモアな歌を聴いてみると、どうしてこれらのCDが相次いで発売されているのか、その理由がおぼろげながら分ってきた。
つまり、この下手クソ加減が、素人っぽくて妙に癒しの空間を与えてくれるからだと感じたのだ。
要するにアーティストと呼ばれる現在の人気歌手たちの「カラオケで鍛えた歌唱力」よりも、モーニング娘。のような玄人っぽい「キャバクラ嬢風のアイドル」よりも、歌は下手でも姿は虚実でも「カワイコちゃん」の舌足らずの歌の方が、ストレス社会の現代人を癒してくれる、というわけだ。
それがCDによる懐かしの女性アイドル復活の理由なのだと確信したのだった。

なお、このようなコラムを書いた私がアイドル・オタクであるなどと思わんように。
あくまでも文化論です。
ハイ。