とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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スタートレックによる弊害

2006年01月16日 21時52分16秒 | 音楽・演劇・演芸
あまり正直に話すと私に「危ない人」というレッテルを貼られる恐れがあるので黙っていたが、わたしはSFテレビシリーズ「スタートレック」のファン「だった」。

中学時代、何気なくチャンネルを合わせた深夜の関西テレビ。見慣れぬSFドラマが放送されていた。
耳の尖ったスポックという宇宙人が登場し、見たこともなかった形の宇宙船が、遠近感溢れる星空の中を飛んでいた。
一番びっくりしたのは加藤という日本人の乗組員がいたことで、アメリカのテレビ番組で日本人(実際には日本人とフィリピン人の混血という設定)のキャラクターを目にしたのはこのときが初めてだった。

それがスタートレック(邦題を宇宙大作戦といった)との初めての出会いで、以降大学を卒業する頃まで、大好きなテレビシリーズになっていた。

このスタートレックファンのことを一般にトレッキーと呼ぶ。
「変人」「気持ち悪いヤツ」「狂人」「永久童貞または処女」などというネガティブなイメージの代名詞でもあるわけだが、現在活躍する多くの科学者や宇宙飛行士、政治家なども「トレッキー」が少なくないことは有名だ。
それでもある意味、「トレッキー」イコール「変人」という説は事実だと言えなくもない。
その証拠にファンの中には狂信的な人たちも少なくなく、そういう人たちだけを取材したドキュメンタリー映画もあるくらいだ。

数年前公開されたシガニー・ウィーバーやティム・アレンが出演した映画「ギャラクシークエスト」は、スタートレックとそのファンの関係をモデルにしたパロディ映画の傑作だ。
この映画「ギャラクシークエスト」は、架空のSFテレビシリーズ「ギャラクシークエスト」を遠い宇宙で視聴していて「ドキュメンタリー番組」だと信じていた弱き宇宙人「サーミアン」がファンのコンベンションに現れ、「私たちを凶暴なサリスから救ってください」とドラマの中の船長(ティム・アレン)に懇願するというところから話が始まっている。
この設定の何が面白いかというとギャラクシークエストのファンが、テレビドラマを現実だととらえている、ということだ。
つまりスタートレックファンの中にはスタートレックというドラマが実は現実の世界であるのだと錯覚している者がいることは広く知られていることである。そういう狂人じみた可笑しさを見事に表現していたことが「ギャラクシークエスト」の可笑しさの一つだったのだ。

「スタートレックは人類の未来を希望の持てる明るいものだと描いている唯一のSFドラマだ」と語ったのは失名したが有名な俳優だった。
つまり現代社会をそのままスライドさせた「あまり奇を衒わないドラマ設定」がスタートレックを一部のファンを現実だと思わせ40年にも及ぶロングラン・シリーズにならしめている理由だといえるだといえるだろう。
(スタートレックは米国で1966年に放送開始)

で、スタートレックの何が私にとって弊害をもたらしているかというと、このシリーズ独特の「リアリズム」が私の鑑賞眼に強烈な影響力を及ぼしているのだ。
もちろんスタートレックはフィクションだから、私は一部の狂信者のように真実とは思っていない。
ただ、このドラマは昔から、やたらと理詰めがしっかりしていて、例えば「科学的に説明のできないものはない」「国際紛争(惑星間紛争)にはまずは話し合いから」などという前提があり、「神秘的なもの」「超常現象」「身勝手な異文化解釈」をなかなか認めないところがある。
この神秘的な現象を科学して、恐れない、知力によって宇宙探査の冒険へ出かける、といったところがこのシリーズの初期の魅力だったと断言できる。
なんといってもこのシリーズには科学や文化の考証のために科学者が顧問についているくらいだ。

このような非常に濃厚な世界にティーンエイジの時に魅了された私は中途半端なSFやファンタジー、いかにもな作り話は以後楽しめなくなっているのだ。
そう、つまりそれが私にとっての弊害なのだ。

まず怨霊ドラマは楽しめない。
怨霊が出て来て主人公を恐怖に陥れるというような内容は、ついつい「怨霊というのは科学的に説明できない。ドアが勝手に閉まったり、床が音を立てたりするには『エネルギー』が必要で、もしそういう現象が実在するのであれば怨霊もある種のエネルギーでなければならない」という結論を導き出し、単なるオカルトドラマとして楽しめない。

単純なアニメ番組も楽しめない。
「宇宙戦艦ヤマト」などを作れるだけの技術があればガミラス帝国と正面切って戦う力があるだろうし、だいたい遠い宇宙からやってくるだけの技術があるのであれば、文明度も高いはずで侵略戦争など仕掛けてくはずはない。それともガミラス帝国は宇宙の中共か。
ということになり楽しめない。
だから私には中途半端な「ヤマト」よりも、いしいひさいちの「宇宙怪獣の弱点を探りに旅立つケンイチ少年」のほうがリアリティがあって楽しめるぐらいなのだ。

ということで「スタートレックの弊害」は私のエンタテーメントの楽しみ方に甚大な被害をもたらしているといえるだろう。
で、このことは読書にも及ぶ、ということを次回(明日)お伝えしたいと思う。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
とうとう (船長@元トレッキー)
2006-01-16 22:58:22
禁断のネタに手を出してしまったのですね・・・



なるほど、私がファンタジーを好きになれないのはこういう理由があったのか、とヒザを打ちました。

でも、スタートレックの世界を離れて20年、ワタクシ、近年はケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」に胸打たれ、ピーター・フォークの「ジョン・クリスマスを探して」に感動できるほどに回復いたしました(ファンタジーと違うか?)



ところで管理人さん、スタートレック・ヴォエジャーのDVDをせっせと買い込んでいる人を、スタートレックのファン「だった」と誰が認めるのでせうか(爆)
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書いてしまいました (監督@クエスタリアン)
2006-01-17 06:44:28
そう、禁断のネタに手を出してしまいました.......

で、「フォールド・オブ・ドリームス」は一種のファンタジーですが、人の心の琴線に触れるファンタジーなので楽しめるのだと思います。「ジョン・クリスマスを探して」は見た事ありませんが、ウォーレン・ベイティーの「天国から来たチャンピオン」、ジョン・デンバーの「オー!ゴッド」もこのあたりではないかと。



ところで「ヴォエジャー」ではありません「ヴォイジャー」です。(笑)
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Unknown (湘南のJOHN LENNON)
2006-02-26 22:51:21
監督@とりがらエンタ様、はじめまして!

小生のブログではコメント本当にありがとうございました。

スター・トレックは日本ではマイナーかもしれません。

小生が初めて見て子供心に強い印象を残したドラマでした。

宇宙パトロールという題名で放送されていました。

その頃は未だ10歳だったので、確かに40代以上です(笑)

小生は吹き替え版の方が好きなので、毎回見るときは

必ず日本語に切り替えて観ています。

これからも寄らせていただきます。よろしくおねがいします。
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いらっしゃいまし。 (監督@とりがらエンタテーメント)
2006-02-27 20:42:37
湘南のJohn・Lennonさん、あらためていらっしゃいまし。

確かに外国テレビドラマは時として吹替え版のほうが良かったりしますよね。

スタートレックだけでなく、例えばロバート・ワグナーの城達也、リンジー・ワグナーの田島令子、リー・メジャースの広川太一郎、バーバラ・イーデンの中村晃子、テリー・サバラスの森山周一郎、刑事コロンボの小池朝雄などなど。

それだけでブログが書けそうです。

またいらしてください。
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Unknown (マリンバ)
2006-07-19 15:05:26
>ところで「ヴォエジャー」ではありません「ヴォイジャー」です。(笑)



元の発音に正確にするならば「ヴォエジャー」のほうが近いですよ。

実際、そのように表記しているケースも多々あります。



STどうのという前に、英語の問題ですね。
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なんだかな (MCC1701D)
2006-07-20 08:06:40
フィクションをフィクションとして理解しつつ

疑似現実として楽しむってのは、精神的に成熟

した人間の楽しみなんですけどね。

結局、成熟しきれなかっただけじゃないですか。
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