とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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2005年02月24日 20時55分50秒 | 書評
とりがら書評

久しぶりに爽やかな少年物語に出会えた。
本書の帯に「こんな傑作をよんでこなかったのかと猛烈に反省」という北上次郎の寸評が載っていた。
なとなく川上健一の「翼はいつもでも」を思い出し、これは面白いのではないか、と予感したのだ。
ここのところ、どういうわけか面白い本に出会うことが出来なかったので、少し欲求不満になっていた。仕方がないので、何度も読んだことのある書籍を本棚からとり出して通勤途中などに読んでいたが、どうもすっきりしない。
たまたま家の近くの書店で平積みにされているのに、ぱっと目に留まったのが本書だった。

小学校を卒業し、中学校へ上がる春休みに主人公の少年は父の転勤のため岡山の山間にあるとある街に引っ越してくる。
少年は少年野球のエースだった。
リトルリーグでは県大会の準決勝まで勝ち進んだ経験も持っていて、とても自分の力に自信を持っていた。
だから引っ越した先の中学校でも野球を続けようと思っていたのだ。

新しい土地の新しい友人、病弱な弟、少年に無関心だなと思わせる母、そして真面目そうな父、かつて高校野球の監督をしていた祖父。多くの人に囲まれて少年は成長して行くのだ。
とりわけ少年の前に現れた新しい友人とのライバル心や、秘かに持ち続けている弟に対する嫉妬など、心理描写が優れていて、読者は知らず知らずのうちに物語の中に引き込まれて行く。
しかし、このドラマはよくある突拍子もない単なる少年の成長物語にとどまらず、私たちがかつて主人公と同い年ぐらいだった頃、自分は果たしてどういう少年だったのかな、と考えさせる奥深さを備えているのだ。

あさのあつこ、という作者の作品は読んだのは今回が初めてだったが、どうしてこうまでも少年の気持ちが理解できるのか、不思議な感覚にとらわれた。
女性である作者が少年という幼いが男の心を捉えているその触覚に少しく恐ろしいものさえ感じたのだ。
女流作家には、ときどきこういった感性の秀でた人が出現するようだ。
漫画家の高橋留美子もそういう作者のひとりだという感想を持ったことがある。
20年ほど前に漫画雑誌に連載されていた「めぞん一刻」というコミックもそれで、これを初めて読んだとき、どうして男の微妙な心理が読めるんだ、と不思議に感じたものだった。

暗さがなく、キラキラと輝くストーリーは先に述べた川上健一の作品と共通するが、それとはまた一味違った爽快感と緊張感が溢れていた。
また、作者が岡山の出身ということもあり、作中に使われている岡山弁が物語にリアリティを与えて、厚みを醸し出していたことも忘れ難い。
本書は児童書のジャンルに入るらしいが、なんのなんの、私のようないい大人でも十分以上に楽しめる逸品だった。

本作は「バッテリー2」「バッテリー3」と続くようで、物語のその後を知るのが楽しみではある。がしかし、しばらく時間を置いて、一作目を読んだ気分を熟成させてから、読み始めたいと思った。

「バッテリー」あさのあつこ著(角川文庫)

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