とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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私学助成金は憲法違反

2008年02月15日 19時42分02秒 | 政治
大阪府の橋下知事が私学助成の充実を求める保護者会議をドタキャンした。
出席者は知事に対して怒り心頭ということらしいが、これって間違っていないか?

私学の多くは宗教系の学校で、授業の中に学校が信仰する宗教を教えるカリキュラムまで存在する。
私は公立高校の出身なので「宗教の時間」など存在しなかったが、カトリック系のM学院に通学していたW君は「教会でミサがあって出なあかんねん」と言っていたし、仏教系のS学園に通学していたN君は、「こんど四天王寺さんの○○●●祭りに出なあかんねん」と言ってた。
つまり私学の殆どは宗教教育を基盤として、自分たちの生徒を教育しているわけで、これに国家や自治体が税金を使って助成するなんざ明らかな「憲法違反」と言えるのではないだろうか。

ただ、こういうことに抗議する人たちに鍵って「忠魂碑」や「靖国神社」に文句を付ける人々が少なくないと思われ、ご都合主義の権化と言えないこともない。

記事は「知事との溝が深まる」なんてことを書いているけれども、600億円もの税金を教育の名を借りた宗教活動に使われる府民を思うと不憫ではある。

なお、私は日本民族の意識付けとして憲法を改正し、教育にはきっちりとした歴史と伝統と文化に基づく価値観教育(仏教や神道の)をしなければならないと思っています。
はい。

なるほど「アラブが見た十字軍」

2008年02月15日 05時54分00秒 | 書評

イスラエルとパレスチナ、アメリカとイラク。
こういう中東のゴタゴタを見るにつけ私たち日本人は「お呼びでない」という感に堪えない。

人権問題や差別などという以前に、この人たちの紛争の原因はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教による「今どき」宗教戦争。
そこへまったく関係のない仏教徒の日本人が割り込んで「戦いはやめようね」と言ったところで往年の植木等ではないが、
「お呼びでない、お呼びでない、こりゃ待った失礼いたしやした~」
となるのが関の山だ。

ところで私たちが歴史で習うキリスト教とイスラム教の戦いで最も有名なのが十字軍。

アメリカのジョージ・ブッシュ君は9.11テロの時「我々は現代の十字軍だ」と言ってイラクに押入って行ったが、もしあのときにこの本「アラブが見た十字軍」を日本人の多くが読んでいたら、自衛隊の派遣はきっととどまることになっただろう。
なぜなら、十字軍はアラブから見ると野蛮人の侵略者以外の何者でもないのだから。

私たち日本人は一般に西洋人の立場で世界史を眺める習慣を身に付けさせられている。
これは戦後歴史教育のたまものと言うよりも、明治維新以来、西洋を手本にして国造りに励んできた結果でもある。
そんなわけで十字軍も西洋の立場から眺めてきたわけで「アラブから見たらどうなのよ」という仮説にはまったくタッチしてこなかった。
そのアラブから見た十字軍とはどんな連中だったかを記したのが本書なのだ。

で、本書によると当時のアラブから見た西洋人は、
・野蛮人
・人食い人種
・科学を知らずオカルト(加持祈祷など)に頼る
・烏合の衆
に要約できる。
決して現代キリスト教の精神に則った正義の軍団ではなく、本国で食いっぱぐれたならず者集団であったらしい。

目から鱗とはこのことで、確かに11世紀から12世紀にかけての西欧はアラブから見ると危険きわまりない未開の原人といった趣であったようだ。

本書の最大の魅力は、このようなアラブの先進性をその後どうしてアラブは維持発展させることができなかったのか。逆に押入ってきた西洋がアラブの技術や芸術を模倣し、発展させ、それがやがて来るルネッサンス、大航海時代に至り繁栄していったのかを分析しているところだ。
そこには世界共通の「驕る平家は久しからず」が存在する。

「アラブが見た十字軍」
この中には現代日本に強烈なメッセージが秘められているような気がしてならない。