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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



口パクは悪いのか?

北京オリンピック開会式の「なんちゃって演出ぶり」が注目を浴びている。
CGや吹き替えを使っての演出に賛否両論。
あるものは、
「ええんじゃないの」
と擁護して、またあるものは、
「オリンピックにけしからん演出だ」
とクレームをつける。

どちらが正論なのか、判断に苦しむところだが、私には「吹き替え」と聞いて思い出すエピソードがある。
それは私が吹き替えた某パロディ映画の予告編の話ではない。
有名な映画でのエピソードだ。

1964年。
つまり昭和39年東京オリンピックの年に2つのミュージカル映画が公開された。
1つ目がオードリー・ヘップバーンとレックス・ハリソンが主演した「マイ・フェア・レディ」。
そしてもう1本がジュディ・アンドリュースとディック・バン・ダイクが主演した「メリーポピンズ」。

どちらの作品も今見ても新鮮で、メチャクチャハッピーで陽気な気分にさせてくれる名作だ。
とりわけ私はメリーポピンズの煙突掃除夫が箒を持って踊るシーンとアニメのペンギンのシーンが大好きなのだが、もちろんマイ・フェア・レディの序曲なども大好きだ。

いずれの作品も大ヒットしたという。(当時私は1歳であるため、当時の状況を説明するには記憶がかなり曖昧だ)

作品の出来が良かったことは双方ともアカデミー賞にノミネートされ、ヘップバーン、アンドリュースの双方も主演女優賞にノミネートされた。
で、この二人のスターの激戦はアンドリュースに軍配が上がった。
その理由を私はとある映画番組で聴いたのだったが、

「ジュディ・アンドリュースは自分で歌い、オードリー・ヘップバーンは吹き替えだったから」

ということだった。
確かに歌のシーンになると突然声質が変わり「どうも変だな」と思っていたらオードリーは歌っていないのであった。
オードリー・ヘップバーンの吹き替えは「チキチキバンバン」で資産家の令嬢演じたサリー・アン・ハウズだったのだ。

ということで、吹き替えとそうでない作品の差はこういうところで差をつけられるのかも、ということだ。
つまり「吹き替えは、ガチンコ勝負と比べて」感動に劣るのかも知れない。
したがってオリンピックの開会式の吹き替えは、いかがなものと思うのが正論ではないかと判断する。

ちなみに、過去20数年のオリンピック開会式で印象に残ったのはロサンゼルス五輪のロケットマンとバルセロナ五輪のアーチェリーで見事に聖火台を点火させた、この2つだけではないだろうか。
もちろんこの2つに吹き替えもCGも、インチキもなかったのは言うまでもない。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
ねつ造の国・支那 (船長@北京五輪は観ない)
2008-08-16 10:38:53
口パクがイカン、とまでは言いませんが、かと言って演出のひとことで済ませられる問題でもないですね。
「やっぱり中国だな」てなとこですか。

でも、こういう記事が出るともはや演出ではなく、歪曲の世界です。
・開会式「56民族」の子ら、多くは漢族 組織委「演出」
http://www2.asahi.com/olympic2008/news/TKY200808150348.html

そうでしょ、管理人さん。
 
 
 
オリンピックの形骸化が完成 (監督@テレビも夏バテ)
2008-08-17 05:24:49
船長さん、おはようございます。
ネットのない国内の安宿に泊まる旅に出ておりましたのでカキコが遅れました。スンマセン。

まあ、もともとサマランチのオッサンがIOC会長を務め始めた時から「オリンピックの商業主義」と批判されましたが、もはや商業主義などというのは生易しく、オリンピックの名を借りたプロパガンダになりつつあり、今回の北京五輪はそれを見事に実行したということができるでしょう。
要はナチス五輪とたいして変わらん、ということです。

正直言って、中国もとい支那(China)なんて国には未だ未だ国際イベントを主催する国家的品格は無いちゅうことですね。
 
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