人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

小澤征爾への追悼 ~ 村上春樹の寄稿、秋山和慶のインタビュー / ピエール・ルメートル著「僕が死んだあの森」を読む ~ 6歳の子供を殺した12歳の少年の恐怖と不安の日々を巡る心理サスペンス

2024年02月12日 06時09分28秒 | 日記

12日(月・休)。クラシック音楽界に限らず、幅広い分野で6日に死去した小澤征爾氏に対する追悼の言葉が語られています 昨日の朝日新聞朝刊の第2面には作家・村上春樹氏の寄稿文が、第22面には指揮者・秋山和慶氏のインタビュー記事が載っていました

村上氏は思い出深いエピソードをいくつか紹介していますが、とても印象に残ったのはウィーンでの出来事です 村上氏は次のように書いています

「ウィーンの街角を二人で歩いているときのことだが、短い距離を歩くのにずいぶん時間がかかってしまった というのは、征爾さんはウィーンの街の辻音楽師のほとんどと知り合いらしく、『よう、マエストロ』と声をかけられると、歩を止めてそのままじっくり話し込んでしまうからだ だからなかなか前に進めない。でも、そういう街角の音楽家と話をしているときの征爾さんの顔は、本当に楽しそうだった おそらくマエストロは、彼らの『自由人』としての生き方が好きだったのだろう そんな気がした。当時の征爾さんはウィーン国立歌劇場の音楽監督という重責を担っていた。言うまでもなくやりがいのある仕事だし、その栄誉ある職に就いていることを征爾さんは誇りに思っていた しかしそれと同時に彼の中には、巨大な組織に手足を縛られることなく、広い草原を吹き抜ける風のように、自由気ままに音楽を奏でたいという強い気持ちがあったのではないか。その魂のおそらく半分くらいは、そういう世界を夢見ていたのではないか。そのような印象を僕は受けた

ウィーン国立歌劇場の音楽監督といえば、世界のクラシック音楽界の最高峰といっても良いくらいの地位です そういう高い地位にありながらも、街の辻音楽家たちから声をかけられれば気さくに応じて話し込む 小澤氏の飾らないフレンドリーな人柄がよく滲み出たエピソードだと思います

 

     

 

一方、桐朋学園の齋藤秀雄門下の後輩に当たる秋山氏も、小澤氏との出会いから音楽作りまで振り返っていますが、最も印象に残ったのは「ノヴェンバー・ステップス」の初演の練習風景です 秋山氏は朝日・吉田純子編集委員のインタビューに次のように語っています

「武満さんとの友情の記念碑である『ノヴェンバー・ステップス』のニューヨーク初演の風景も見ていましたが、小澤さん、共演した琵琶の鶴田錦史さんと尺八の横山勝也さんの意見をよく聞くんです うんうん、ああそうか、あ、そういうことなんだって、すごく素直に。オレはこう思う、みたいに主張して、作曲者とぎくしゃくしちゃう指揮者も多いですが、小澤さんはそういうことが一度もなかった 音楽を大事に大事に扱って、音を磨いて、本当にいいものをつくりあげてきた

「人の言うことに素直に耳を傾ける」というのは小澤氏を評する時によく使われる言葉ですが、本当にそうなのですね

さらに、秋山氏は次のようなエピソードを紹介しています

「74年、臨終の床にあった斎藤先生が、小澤さんと僕の目を交互に見て『ごめんな』と言ったことがあるんです『君らをよく怒ったのは僕が未熟だったから』。あの言葉がずっと、音楽や人間というものに対する小澤さんの愛の根源であり続けたのではないかと、今となっては思います

「謙虚さ」を失わない小澤氏の人柄を裏付けるようなコメントは、秋山氏自身にも通じるものがあるように思います

ところで、村上氏も秋山氏も共通して話題にしているエピソードがあります それは「小澤氏は早朝に起きて楽譜の勉強をする」ということです

秋山氏は次のように語っています

「楽譜を勉強したいから、毎朝5時には起きるよと言ってました ゲネプロと本番の間のごく短い時間でも、丹念に楽譜スコアをチェックしていらした

一方、村上氏は次のように書いています

「『僕がいちばん好きな時刻は夜明け前の数時間だ。みんながまだ寝静まっているときに、一人で譜面を読み込むんだ 集中して、他のどんなことにも気を逸らせることなく、ずっと深いところまで』と征爾さんは言っていた(中略)実を言えば僕も小説を書くとき、いつも夜明け前に起きて机に向かうようにしている そして静けさの中で原稿をこつこつと書き進めながら『今ごろは征爾さんももう目覚めて、集中して譜面を読み込んでいるかな』とよく考えた そして『僕もがんばらなくては』と気持ちを引き締めたものだ。そんな貴重な『夜明け前の同僚』が今はもうこの世にいないことを、心から哀しく思う

補足すると、小澤氏が毎朝5時に起きて譜面を読み込んでいたのは「暗譜」のため、つまり本番では譜面を見ないで指揮をするためです 小澤氏が世界のクラシック界で最高峰にまで登り詰めることができたのは、この並外れた暗譜力があってこそだと言えるかもしれません

ということで、わが家に来てから今日で3316日目を迎え、トランプ前米大統領は10日、大統領選の共和党予備選を控える南部サウスカロライナ州での演説で、自身が在任中に北大西洋条約機構(NATO)のある加盟国に対し、軍事費を適切に負担しなければロシアが攻撃してきても米国は支援せず、むしろ「好きに振る舞うようロシアにけしかけてやる」と伝えたと主張した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     こんな狂気に満ちた危険人物が4年も米国の大統領をやっていたとは信じられない

 

         

 

ピエール・ルメートル著「僕が死んだあの森」(文春文庫)を読み終わりました ピエール・ルメートルは1951年パリ生まれ。2006年にカミーユ・ヴェル―ヴェン警部3部作の第1作「悲しみのイレーヌ」でデビュー 同2作「その女アレックス」でイギリス推理作家協会賞受賞。同完結編「傷だらけのカミーユ」のほか、「天国でまた会おう」「わが母なるロージー」「監禁面接」「炎の色」など著書多数。当ブログでは文庫化されている作品は全てご紹介しました

「1999年、北フランスの小さな村ボーヴァルで冬を迎えた12歳の少年アントワーヌ・クルタンは、クリスマスの直前、不運に見舞われる 両親の離婚から6年、一緒に暮らす口煩い母に友だちとプレイステーションで遊ぶことを禁じられた彼は、森に自分の城であるツリーハウスを作り上げていた しかし、数週間にわたるハウス作りに付き合ってくれた雑種犬オデュッセウスの無残な死が引き金となり、彼の日常は暗転する ショックを引きずるアントワーヌは、普段から彼を慕い、つきまとっていた隣家の6歳の少年レミを衝動的に殺してしまう パニックに陥った彼は、レミの亡骸をブナの倒木の下に隠すと、道行く車を避けながら一目散に自宅を目指すが、いつの間にかお気に入りのダイバーズウォッチが腕から消えていることに気づく 家の近くは、消えたレミを心配する近隣の人々が集まり騒然としていた。やがて気が動転していたアントワーヌを憲兵が訪ねてくる

 

     

 

本書の原著は2016年3月、パリのアルバン・ミシェル社から刊行されました。原題の「Trois jours et une vie」は「三日間と一生」という意味で、アントワーヌの犯した一瞬の過ちと、終わることのない後悔や罪の意識を表しています

物語は、アントワーヌが恐怖に怯え不安な毎日を過ごす中、事件の4日目となるクリスマスの翌日の晩、村を未曽有の災厄が襲ったことで事態は一変し、アントワーヌの犯罪は露見することなく16年が経過することになります 村で医師として働くアントワーヌは、ある患者から、16年前 現場から走り去ったアントワーヌを目撃していたが、憲兵に告げ口をしない理由を抱えていたことを告げられます その2日後、その人物からアントワーヌのダイバーズウォッチが届きます。針はとっくに止まっていました

「さすがはルメートル」と言いたくなるプロットと心理描写です 読者としては、「いつ、どのようにアントワーヌの犯罪がバレるのか?」「彼にはどんな罰が待っているのか?」とクリフハンガー(宙ぶらりん)の気持ちで読み進めていくことになります 一気読み必至の面白さです。お薦めします


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