人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる ~ 12の批判的考察」を読む ~ 作曲も演奏もせず批評だけする音楽評論家を酷評

2024年02月27日 00時02分24秒 | 日記

27日(火)。昨日は、早稲田松竹で黒澤明監督「乱」と北野武監督「首」の2本立てを観たかったのですが、両方で5時間もかかり、腰痛には最悪の”長時間座りっぱなし”となるし、また、今日から3日連続コンサートが控えていることもあり、諦めて読書をして過ごしました

朝、整骨院での治療のあと、池袋で買い物をしてバスで帰ってきたのですが、時刻表の時間より遅れていたのか、運転手さんは凄いスピードを出していました さすがは都バスだと思いました 都バス、飛ばす・・・おあとがよろしいようで(よろしくない!)

ということで、わが家に来てから今日で3331日目を迎え、自民党派閥による裏金問題を受け、岸田文雄首相は26日の衆院予算委員会の集中審議で、「SNSで『確定申告ボイコット』というハッシュタグが付けられた投稿が多く見られることは承知している」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ボイコットしたら延滞税取られるから 納税してからモノ申した方が方がいいと思う

 

         

 

昨日、夕食に「茄子と鶏の炒めもの」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 「茄子と~」は豆板醤がピリッと利いて美味しかったです

 

     

 

         

 

森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる~12の批判的考察」(光文社新書)を読み終わりました 森本恭正(もりもと ゆきまさ)は1953年東京都生まれ。作曲家・指揮者。東京藝大中退。桐朋学園音楽大学大学院、南カリフォルニア大学大学院、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。2007年・08年にルトスワフスキ国際作曲コンクールで審査員を務める。指揮者としてはオペラを含むバロックから現代までの作品を手がける

 

     

 

本書は次の各章から構成されています

はじめに

批判1「日本のクラシック音楽受容の躓き」

批判2「西洋音楽と日本音楽の隔たり」

批判3「邦楽のルーツ」

批判4「なぜ行進は左足から始まるのか」

批判5「西洋音楽と暴力」

批判6「バロック音楽が変えたもの」

批判7「誰もが吉田秀和を讃えている」

批判8「楽譜から見落とされる音」

批判9「歌の翼」

批判10「音楽を運ぶ」

批判11「現代日本の音楽状況」

批判12「創(キズ)を造る行為」

批判補遺ーあとがきにかえて

本書を読み終わって思うのは、標題のサブタイトル「12の批判的考察」は、必ずしもすべてが批判的に書かれているのではなく、私のような素人に音楽の基礎的な知識をレクチャーするような内容もかなりあるということです その意味では勉強になります

日本のクラシック音楽について明確に批判しているのは次のような事項です

①昔から現在に至るまで、全国の小学校では「3拍子は1拍目が強い」と教えてきたが、それは間違いで、「3拍めにアクセントがくる」のが正しい

②ヨーロッパにおける音楽の新即物主義は「楽譜に書かれた音符は正確に、忠実に再現すること」が要求されるが、日本においては、「ひたすら楽譜に忠実に、いわばメトロノームが内蔵されているかのように演奏する」ように考えられ、それが現在も受け継がれている 例えばフランスのイヴ・ナットのピアノ演奏は、正確なリズムと拍節を刻みながらもフレーズの内では微妙に何かを語るように揺れ、音楽が溢れでている

③日本におけるピアノの権威・井口基成の校訂による「世界音楽全集ピアノ篇」が1950年から1972年まで出版されたが、この間もその後も、誰も楽譜を検証してこなかった

(これについては、極めて専門的で私にはよく分かりませんでした)

④評論家・吉田秀和は滑稽な音楽批評を書いていたこともあった

これに関連して、筆者は次のように書いています

「LPやCDで膨大な数のクラシック音楽を聴き、その経験を基にあたかもクラシック音楽を深く理解しているかのような錯覚に陥り、その後評論を始めた音楽評論家は多い、というよりほとんどがその類ではないだろうか 彼らが、モーツアルトのピアノソナタは、とかベートーヴェンのカルテットは、などと言いながら作品について言及するときは大概、その手元にあるのはLPやCDで、楽譜の存在は希薄だ したがって、彼らの認識にあるのは、誰かが演奏した、つまり優秀な演奏家の解釈を通した、モーツアルトでありベートーヴェンなのだ いきおいそうした評論家の書く文章には浅薄さがつきまとう。譜面を読んでいないか、読んだとしても正確に読めていないので、独りよがりな、誤謬に満ちた『感想』が頻発するのだ 吉田秀和の全集本にも、和声進行の異なる『月光ソナタ』と『第九』の主題動機が同じだとか、『運命』と『交響曲第4番』のそれぞれ第1楽章冒頭部分の発想が同じだとか、疑問の余地が多すぎる

「譜面を作曲家の唯一の伝達手段として、音楽を読んでいるとどうなるか。まず、現在まで歴史のフィルターを潜りぬけてきた作曲家の作品に、駄作はないことに気が付く したがって、作品に対する好き嫌いがなくなる

この点については、私はプロの音楽評論家ではなく、単なる音楽愛好家に過ぎないので、ロクに楽譜も読めないし音楽に関する知識も表現力もないけれど、演奏を聴いた感想をブログに書くことくらいは許されるのかな、と思っています

著者は、カナダで新聞の音楽批評を書き続けてきた人物から「北米の音楽批評家の多くはジャーナリスト出身で音楽の専門家ではない つまり、ブログで毎日のようにコンサートの感想を綴っているアマチュアの人たちと、聴く専門家という意味でいえば、大差ない。ブログは無料で、こちらは有料だ だからクラシックの批評記事は減っている」という話を聞いた、というエピソードを紹介しています 日本では、音楽評論家の最大の活躍の場「レコード芸術」が廃刊になってしまったので、淘汰されているような気もしますが、まだ「音楽の友」がありましたね

⑤ウォルフガングの父レオポルト・モーツアルトが出版した「基礎的ヴァイオリン奏法」は300年近く前に書かれたにも関わらず、現代のわれわれが読んでも示唆に富んだ指摘に満ちている モーツアルトを弾こうとするなら、弦楽器奏者以外にとっても必読の書といって過言ではない 残念なことに、日本の音楽大学で「基礎的ヴァイオリン奏法」をシラバスに加えているという話は聞いたことがない 同書を理解すれば、例えばピアニストたちの装飾音に対するアプローチが間違いなく変わると思う

⑥欧米から見ると、日本の音楽大学は、東京藝術大学も 桐朋学園音楽大学も 東京音楽大学もベスト100に入っていない    最大の理由は国際交流の欠如である

イギリス THE TIMES の「世界大学ランキング」のうち音楽大学、もしくは総合大学の音楽学部の1位から100位までの主要大学ランキングのベスト10のうち主要7校は以下の通り

第1位:英国王立音楽大学

第2位:パリコンセルヴァトワール

第4位:ウィーン国立音楽演劇大学

第5位:ジュリアードスクール

第8位:カーティス音楽院

第9位:ノルウェイアカデミー

第10位:チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院

日本の音楽大学や総合大学の音楽学部が100位以内に1校も入っていない最大の理由として著者が挙げているのは、国際交流の欠如です 著者は次のように述べています

「日本の音楽大学に外国籍の教授、講師、学生が何割いるだろう? ランキングに挙がったアジアの大学でのレッスンは、すべて英仏独伊のいずれかの言語で受講できる 日本語でいくら考えてもヨーロッパの音楽はわからない ドイツにいるドイツ人が ドイツ人からドイツ語で長唄を習おうとして、長唄の神髄がわかると、本気で思いますか? ということだ

確かに だからお金に余裕のある家庭の学生は、みんな欧米諸国の音楽大学や音楽学校に留学してしまうのね 小澤征爾が若いうちに単身ヨーロッパに乗り込んで現地で音楽修行をして、最終的に世界の音楽界のトップに到達したのも同じことなのでしょう

著者は「批判補遺ーあとがきにかえて」の中で、自らが作曲もし、指揮もする立ち位置を踏まえて次のように述べています

「批評のみで、自分では作曲作品もなく、演奏もしない、つまり、自らがどの程度の音楽を持っているのかを公開していない音楽評論家との、明確な差別化を図っているつもりだ 一方、言うまでもなく、例えば、文芸評論をするのに作家である必要はまったくない。だが、少なくとも評論対象とされる言語を読んだり書いたりする能力なしに、かかる言語によって書かれた作品の評論をするのには無理がある 文芸評論をする者は、自らが書いた文章がどれほどのものか、読者はもとより、作家たちからの厳しい視線に晒されている 音楽評論において、評される対象は音楽である。前述の『言語』を『音楽』に置き換えて読み直してほしい。筆者の言わんとするところは自ずから理解していただけるだろう

著者が一番言いたかったのはこのことだったのではないか、と思います 私なりに翻訳すれば、「作曲するわけでもなく、演奏できるわけでもなく、楽譜が読めるかどうかも含めて音楽に対する知識や理解力がどれほどあるのか怪しい者が『音楽評論家』を名乗るのはおこがましいし、その資格がない」ということになるでしょう 著者が繰り返し述べているところをみると、そういう人たちに対し相当な怒りを感じていることが分かります

最後に、読んで非常に参考になったことを一つだけご紹介します それは「批判6『バロック音楽が変えたもの』」です 著者は「中世音楽」と「バロック音楽」の相違点を次のように解説しています

「ヨーロッパにおいて1600年頃に始まったバロック音楽の、何がそれまでの中世音楽と変わったのかを整理してみる

①ときにはパートごとに拍子の異なる音楽から、全パート同じ拍子で進む音楽の確立。

②8つもあった教会旋法の音楽から、長調と短調という調性の音楽への完全な移行。

③その調性の音楽から、3つ以上の音を重ねて作る『和音』が生まれ、その3つの音が同時に次の『和音』に進むという『和音進行』の確立。

④中世では、すべてのパートがある意味平等に旋律を歌っていたのが、旋律をひとつの楽器または声に委ねて、その他大勢は伴奏に回るという、言ってみれば不平等な演奏形態の確立。バロック(=「いびつな真珠」の意味)はここからきている。

⑤作曲家の書く譜面への盲従性の確立。つまり、譜面にf(フォルテ)と書いてあったら、次の指示があるまで一貫してfで弾き続けなければならない。反抗や疑問は許されない」

これを読んで、初めてバロック音楽の歴史的な位置づけがある程度分かったような気がします この点に限らず、参考になる事が多い書籍です 特にクラシック好きの方にお薦めします


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2 コメント

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Unknown (一愛読者)
2024-02-27 18:48:05
こんにちは。
この本の著者に一言申し上げたい。
吉田秀和のことを書くのなら、ご本人が存命の間に書きなさい。
以上です。
返信する
吉田秀和 (tora)
2024-02-27 19:11:31
一愛読者さん コメントありがとうございました。
おっしゃること、ごもっともです。私も吉田秀和氏の書籍は結構読んで、少なからず影響を受けてきたのでお気持ちはよく分かります。

ところで、著者・森本氏は本書より前に「西洋音楽論」という書籍を2011年に光文社から出版しています。私は読んだことがないので、詳細は分かりませんが、もし「西洋音楽論」の中で著者が吉田秀和批判を展開しているとすれば、吉田氏は2012年に死去しているので、存命中に批判していたことになります。
しかし、私はその「西洋音楽論」を買ってまで事実を確かめようとは思いません。ご理解ください。

これからもコメントをいただけると嬉しいです
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