20日(金)。12月2日(木)午後6時からサントリーホール「ブルーローズ」で開かれる「第4回 哀しみのモーツアルト 『かなしさは疾走する』」公演のチケットを取りました このコンサートは毎年、モーツアルトの命日(12月27日)に 彼の短調の作品を中心に演奏するもので、今年は会場予約の都合で12月2日になりました プログラムは「ピアノ四重奏曲第1番K.478」、「ピアノ・ソナタ第14番K.457」、「レクイエムK.626」抜粋ほかで、演奏はヴァイオリン=崔文洙、ピアノ=仲道郁代ほかです
ということで、わが家に来てから今日で2414日目を迎え、アフガニスタン全土を制圧したタリバンは17日の記者会見で、イスラム法の範囲内で女性の権利を尊重すると表明していたが、18日のロイター通信によると、タリバン幹部はアフガニスタンの新政権が民主制にはならないとの見通しを示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
「タリバンの歴史を考えれば、懸念は現実のものだ」というマララさんの言う通り
昨日、夕食に「冷しゃぶ」「生野菜サラダ」「冷奴」「玉ねぎの味噌汁」を作りました 下に敷いているのはキャベツですが、豚肉に良く合います
昨日、早稲田松竹で小森はるか監督による2016年製作映画「息の跡」(93分)を観ました
東日本大震災の津波により住宅兼店舗の種苗店を流されてしまった佐藤さんは、自力でプレハブを建て、種苗店の営業を再開した 看板は手書き、仕事道具も手作りで、水は手堀りした井戸からポンプで汲み上げる 佐藤さんは陸前高田で種苗店を営む一方、自身の被災体験を独学で習得した英語で綴った本を自費出版し、中国語やスペイン語での執筆にも挑戦する さらに、地域の津波被害の歴史を調査し、過去の文献に書かれた内容が正しいものなのかを自力で検証していく
この映画は、ボランティアとして東北を訪れたことをきっかけに東京から陸前高田に移住し、本作が初の長編監督作品となった映像作家・小森はるかが佐藤さんに密着したドキュメンタリーです
佐藤さんはとにかくエネルギッシュです 本業の種苗店の仕事はもちろんのこと、必要な物はほとんど自分で作ってしまいます その上、震災の記録を英語で書いて自費出版してしまいます 「英語で書いたって、いったい誰が読むんだろうね 中国語なんてなおさらだよ 売れ残っていつまでも在庫の山が残っちゃうのも困るね」と自虐的な言葉を吐きますが、「でも、書くこと自体に意味があるんだろうね 誰かが書いて残さなければならないと思う」と語ります 私が疑問に思ったのは、「なぜ佐藤さんは日本語ではなく英語や中国語で震災の思い出や現在の暮らしを綴ろうと思ったのか」ということです これについて佐藤さんは、「日本語だとあまりにも悲しみが大きすぎるから」「曖昧な表現を避けるため」「書くことで痛みから逃れるため」「事実だけを書きたかったから」と語っています。しかし、その後「英語で書いても悲しみや痛みは消えない」ことが分かり、「何が起きて、どう感じたかを”伝える”ために書くことにした」と語ります
「周囲の多くの人たちが津波の犠牲になり死んでいったが 魂までは死なない」という佐藤さんは、残された者として何ができるのかを熟考した上で、信念を持って現在の生き方を選んでいます このドキュメンタリーを観たわれわれは、佐藤さんの「生きる力」を感じるとともに、あの大震災のことをいつまでも忘れることなく、次世代に伝えていくことが大切なのだと思いました