13,12日の2日間をかけて、来月廃止が決まった寝台特急「はやぶさ」に搭乗してきた。
「はやぶさ」は子供の頃の憧れの列車であったので、無くなる前に必ず乗りたいと思っていた。しかし、時代が変わって列車も車両も大きく変わってしまった。
かつては食堂車があり、「はやぶさ」「富士」にはロビーカーがあったのだが、いつしか無くなってしまった。東京~西鹿児島間を結ぶかつて我が国旅客列車最長距離の運転であったが、くまもとまでに短縮されてしまった。車両も14系となったが、かつての「さくら」「みずほ」「あさかぜ」にあった4人用寝台個室カルテットも無い。最も大きく違うのは、「富士」と併結運転である事だ。
以前「はくつる」に乗車して以来約6年ぶりの寝台車であった、13日は夜行急行「能登」にて朝早くに関東に着いたので、少し疲れが出てしまった。22時になったかならないかくらいで寝てしまった。2時過ぎに姫路に運転停車の時に目を覚ましたが、また寝てしまい気が付いたら山口県であった。
そして下関、門司にて機関車交換を撮影し、無事に熊本に到着した。だが東海道線で事故があり、到着が40分ほど遅れてしまった。
そんなこんなで無事に旅行は終わったが、憧れであった列車がまた一つ消滅してしまう。時代の流れでしようが無いが、この経験を糧にまた様々な撮影や旅行に取り組んで行きたい。
「はやぶさ」は子供の頃の憧れの列車であったので、無くなる前に必ず乗りたいと思っていた。しかし、時代が変わって列車も車両も大きく変わってしまった。
かつては食堂車があり、「はやぶさ」「富士」にはロビーカーがあったのだが、いつしか無くなってしまった。東京~西鹿児島間を結ぶかつて我が国旅客列車最長距離の運転であったが、くまもとまでに短縮されてしまった。車両も14系となったが、かつての「さくら」「みずほ」「あさかぜ」にあった4人用寝台個室カルテットも無い。最も大きく違うのは、「富士」と併結運転である事だ。
以前「はくつる」に乗車して以来約6年ぶりの寝台車であった、13日は夜行急行「能登」にて朝早くに関東に着いたので、少し疲れが出てしまった。22時になったかならないかくらいで寝てしまった。2時過ぎに姫路に運転停車の時に目を覚ましたが、また寝てしまい気が付いたら山口県であった。
そして下関、門司にて機関車交換を撮影し、無事に熊本に到着した。だが東海道線で事故があり、到着が40分ほど遅れてしまった。
そんなこんなで無事に旅行は終わったが、憧れであった列車がまた一つ消滅してしまう。時代の流れでしようが無いが、この経験を糧にまた様々な撮影や旅行に取り組んで行きたい。