通りすがりの正義の味方のブログ

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アンデルセン童話「パンをふんだむすめ」

2006年08月28日 00時18分07秒 | Weblog
NHKの子供にんぎょう劇場で以前放映された、アンデルセン童話の「パンをふんだむすめ」を見た。20年以上前、保育園で聞いたことがある話だ。ストーリーは大分忘れてしまっていたが、皆「地獄」と呼んで恐れていた事を覚えている。
主題歌を聞いたが不気味な印象だった。子供にはトラウマになる童話とネットで言われていたが、確かに小さな子供が聞いたら怖くてトラウマになると思った。
インゲルの母がかわいそうに思った。最後は余り救いがあるとは言えないラストだった。
悪い事をしてはいけない。子供に戒める童話だった。
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終戦の日、小泉総理靖国神社参拝

2006年08月16日 06時35分16秒 | Weblog
戦後61年目の終戦記念日を迎え、小泉総理が以前公約していた終戦の日に靖国神社を参拝した。
靖国神社へはぼくも去年2度程行った。あの時は右翼団体の車や国民服を着て鉄砲もどき(?)を持った人等が来ていて気狂いかと思った。遊就館も見てきたがあの時代のことが判って勉強になった。
小泉総理の靖国参拝には国内でも賛否両論に分かれ、中国、韓国からは激しく批判されているが、ぼくは賛成派である。父親が(戦争経験世代)これについて語っていた事だが、日本ではどんな極悪人でも死んだ者は皆仏になるという風習がある。どんな人間でも死んでいったものは弔わなくてはならないという観念があるのだ。A級戦犯だから、戦犯だから一方的に悪者ではない、戦後連合軍による捜索で独、伊の戦争関係者からは多くの財産が出てきたが、東条英機からは殆ど財産等出てこず、連合軍を驚かせたのだ。これから分かる様に、戦犯の者達が行なった事は決して正しくはなかったが、決して私利私欲の為ではなく、日本の将来、人民のことを真剣に考えて行なったことなのだ。戦犯として処刑されていった人々の中には、未見だが映画「私は貝になりたい」の主人公のように不幸な戦争に巻き込まれていった人もいる。
戦犯=完全な悪人という考えは間違いである。彼らもまた不幸な時代に生き、不幸な社会状況に巻き込まれた被害者であるという見方もある。広島に原爆を投下したパイロットも良心の呵責に耐え切れず、自殺してしまった。彼も戦争の被害者だ。日本人はそういう見解のできる民族だ。中国、韓国にはそういった見解はないのであろう。そういう点でぼくは日本人は、中国、朝鮮人民に比べて民族の資質は高いと思っている。
小泉総理もただ参拝するだけではなく、そう言った日本の風習、観念があることをきちんと諸外国に説明していくべきだと思う。なぜそれをしないのかが疑問だ。
今日初めて行った中華料理店のテレビで靖国参拝についてのNHKの討論番組を見た。それを見て店の主がぼくに話しかけてきた。「昭和初期、外交が上手くいかなかった、日本は国際連盟を脱退してしまった。それにより米英との開戦の道を辿ってしまった。外交をもっと正しくやっていれば,戦争をしなくて済んだのだ。靖国参拝はA級戦犯がいるからいけないのだ。戦犯の墓を他へ移せば良いのだ。」と語っていた。戦犯の墓を他へ移そうという案もあったらしいが神社はそれを断固拒否した。当然だろう。戦犯、戦没者が祀られているからこそ靖国なのだから。
その店の主に、ぼくは参拝には賛成である事、父から聞いた事を話した。最後の言葉はアメリカは過去60数年の間に数多く戦争をしている。今度の自衛隊派遣で日本人も何人か死ぬかと思ったが、よく無事だった。戦争はもう絶対にしてはならない」ということだった。
小泉総理の靖国参拝は戦争を正当化するものではない、不幸な時代に生きて死んでいった人達を弔い、二度と戦争を繰り返さないという誓いの為であろう。小泉総理は今年で退陣するが、次期総理にも続けてもらいたい。そして今度は諸外国に、日本の風習、観念があることを伝えていくようにしてもらいたいものだ。
裁判所では「政教分離に反しており、違憲だ」という判決が出ている。政教分離に反するという批判もあるが、ぼくが総理だったらこう答える。「政教分離は絶対に守らなくてはならないが、どんな形式であれ死んで行った者は弔わなければならない」と
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