明日に向けて

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明日に向けて(1414)広島の被曝死の真実を捉え返す−2 原爆は血管を破裂させ人々を悶絶死させた(NHK「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」より)

2017年08月18日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)
守田です。(20170818 08:00)
 
前回に続いてNHKスペシャル「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」の内容の紹介を行ないます。
今回は原爆特有の火傷について報じているところを扱っています。とくに特徴的なのは爆心地から500mから1.5㎞の範囲で、即死は免れたもの3日後から一週間後にかけて多くの方が火傷で亡くなっていったことです。番組はここを「死のドーナツ地帯とも呼べる地域」と名指しています。
 
ここで起こった火傷は、通常のそれと違っていました。原爆は強烈な光線によって血管内部で水蒸気を発生させ、血管を熱破裂させたからでした。このため即死を免れた人々の血管の周りの組織が徐々に死滅していき、3日間のうちに悶絶死が訪れました。さらにその3日間を生き延びても、火傷の傷口から細菌が入り込んで感染症が起こり、人々は激しい痛みと高熱のうちに一週間で亡くなっていきました。ある小学校に作られた救護所では、亡くなった方のうち最も多かったのは14歳、15歳の少年少女でした。
 
この火傷の研究を行っている日本熱傷学会の元理事、原田輝一医師は、番組の中で以下のように語っています。
「あらゆる意味で害が大きい。ひょっとするとこの爆弾というのは軍事目的で使うものではなくて、一般市民を標的にして、一般市民を苦しめる効果のほうがはるかに大きいものじゃないかなというふうに感じますね。そこまで長引く苦痛をもたらすという爆弾は、おそらく他にはないんじゃないかなと思いますね」
 
以下、文字起こしをご参照ください。
 
*****
 
原爆死 ヒロシマ 72年目の真実 (2017年8月6日放送) −2
 
ビッグデータを手がかりに追う原爆死の実態。
解析によって死のドーナツ地帯とも呼べる地域があることが分かってきました。
そこで被爆し即死を免れた人々が、翌日以降集中して亡くなっていたのです。
爆心地から500m以内で被爆して亡くなった人は6日の9,530人から翌日には218人に激減。
代わって死者が増えたのがその周縁部500mから1.5㎞の間にあるドーナツ状の地域です。
7日には1,940人。8日には1,226人増え、その後も毎日600人以上の死が1週間にわたって積み重なっていきました。
 
この地域で被爆した人たちの死がなぜ続いたのか?ビッグデータをもとに原爆の被害について研究を続ける人がいます。
日本熱傷学会の元理事、原田輝一医師です。
この地域で被爆した人が多く亡くなり続けたのは特殊なやけどが原因だと考えています。
 
原田
「深いですね。深くぼろっと落ちて 皮膚のすぐ下のところでおそらく血管が発熱して熱破裂したということだと思います。
通常のね、熱傷(やけど)ではないまったく別のメカニズムが、やっぱり背後にあるんだろうと思います」
 
原爆で血管が破裂したと考えた原田さん。
被爆者が残した膨大な手記の中にその手がかりを見つけました。
 
「『青白い閃光が走ったとき、体全体がプーッと膨れるような感じは覚えているが熱いと感じたことはなかった』。
これは最初から光に当たったところがふくれあがっているという感じをあらわしていますね」
 
特殊なやけどの原因となったのは原爆が発した強烈な光線ではないか。
特殊な医療機器を通常以上の出力で使い、爆心地から2㎞までの地点と同じ強さの光線を再現。
血液をゼラチンで挟み血管に見立てたものに光を照射します。
すると血液から水蒸気が発生しました。
血液は膨張し細かな気泡がいくつも噴き出していました。
 
原田さんが推測する原爆の光線によるやけどのメカニズムです。
強力な光線が皮膚を通過し血管に到達します。
熱せられた血液から水蒸気が発生。血管を破裂させます。
これにより徐々に周りの組織は死滅。
皮膚が剥がれたまま2~3日かけて命が絶たれるといいます。
やけどによる死者の推移を見ると原爆投下の翌日から3日間で多くの人が亡くなっていた事が確認できます。
 
さらにこの3日間を乗り越え、命を取り留めた人を感染症が襲います。
深い火傷はなおりにくいため、傷口から細菌が侵入しやすくなります。
全身で炎症がおき、臓器が死滅。
激しい痛みと高熱に一週間ほど苦しめられた末に亡くなっていったのです。
 
「あらゆる意味で害が大きい。ひょっとするとこの爆弾というのは軍事目的で使うものではなくて、一般市民を標的にして、一般市民を苦しめる効果のほうがはるかに大きいものじゃないかなというふうに感じますね。そこまで長引く苦痛をもたらすという爆弾は、おそらく他にはないんじゃないかなと思いますね」
 
火傷を負った人々はどこで亡くなったのか。
被爆した場所からの人々の動きを追っていくと、多くの人が特定の場所に移動した末に亡くなっていたことが分かりました。
最も多い173人が亡くなった場所、それは府中国民学校でした。
現在は府中小学校となっています。臨時の救護所に指定され火傷を負った人たちが集まって来た場所です。
当時の様子を知る人が見つかりました。
 
「ほんとうに懐かしいねえ。うん。なんか大きな声で拝みたいようだ」
吉田美江子さん。84歳です。当時12歳。
8月6日の夕方、校長から呼び出され、救護活動の手伝いをしていました。
講堂は火傷を負った人で埋め尽くされていたと言います。
 
吉田
「ほんとにまだ目に焼きついとるよ
頭と頭 足はこっち ずらーっと並べてあって」
 
当時広島にあった救護所の映像が残っていました。傷ついた人たちが、次々と運び込まれています。
痛みに耐えながら横たわる人々。
データによれば。府中小学校で亡くなった人のうち、もっとも多かったのが14歳と15歳でした。
そこで吉田さんは、同年代の子どもたちから家族への伝言を頼まれたと言います。
 
「『ここにおるけえ探しに来てくれ、連れにきてくれ言うてつかあさいや』
言うのが一番多いかった。みんな帰りたかったんよね。
それを偉そうげに「わかったよ。言うてあげるよ」とみな嘘をついたわけや。
嘘のつもりじゃないんよ。どこへ言うてっていいか分からんのじゃけん」
 
吉田さんが、その場しのぎの答えしかできなかった子どもたち。
家族に会えないまま、ここで息を引き取っていったと言います。
 
「ここに来たらよみがえるよ。顔がね。
精一杯やったんじゃけん。許してちょうだいね。ごめんね。
私なりに精一杯じゃった。ごめん。なんの力もなかったあ。
ごめんなさい。すまなんだねえ。ごめんね」
 
即死をまぬがれ 傷つきながらも生きようとした人々。
原爆特有の火傷が、家族に再会するという望みさえ奪っていった実態が浮かび上がってきました。
 
続く
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