明日に向けて

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明日に向けて(1415)広島の被曝死の真実を捉え返す−3 2.5キロ圏外でも多数の内部被曝死が起こっていた!(NHK「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」より)

2017年08月19日 16時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)
守田です(20170819 16:00)
 
NHKスペシャル「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」の内容の紹介の3回目です。
今回、紹介されているのは「いまだ解明されずにきた問題」とされている内部被曝についてです。
ナレーションがこう説明しています。
 
「国は広島の原爆による放射線をめぐって、爆心地から2.5キロより遠方では、直接的な健康被害はほとんどないとしてきました。
しかし広島市の被爆者動態調査では、2.5キロより遠いところで被爆しながら急性原爆症で亡くなったとされた人が500人以上いたのです」
 
実はここで2.5キロとされているラインももともとは2キロとされていました。
戦後にアメリカ占領軍が作った原爆傷害調査委員会(ABCC)が「放射線傷害は爆心地から半径2キロ以内でしか確認されていない」と言い張ったからです。
この2キロラインは外部被ばくの線量が100ミリシーベルトだったと推定されるところで、実はこれが「100ミリシーベルト以下安全論」の根拠にもされています。
これが2.5キロまで拡大されたのは、少しでも被害認定を拡大しようと、多くの被爆者が血のにじむような努力を重ねる中で政府の見解をあらためさせたためです。
 
しかしこの「傷害」は外部被曝だけを原因としたものでしかありませんでした。内部被曝による被害は一切、調べられて来なかったのです。ところが今回の調査でこの2.5キロラインの外にいた少なくとも500名の方たちが、急性原爆症で次々と亡くなっていたことが明らかになりました。
しかも番組は二つのタイプの亡くなり方を調べ上げています。1つは2.5キロよりも外で被災しながら、避難の途中に爆心地を通り、放射性の塵を吸ったと思われる方。そしてもう一方はこの2.5キロ圏に一度も入らなかったのに、すぐに容態が悪化して亡くなっていった方です。後者の方が住まわれていた家には、放射性物質が大量に含まれていた「黒い雨」が降っていました。
 
これらのことは今までも肥田舜太郎さんや矢ケ崎克馬さんなど、さまざまな方から繰り返し指摘がなされながら、データ的な裏付けがされてこなかったことがらでした。NHKは今回、この2.5キロより外でも多くの方が急性症状によって亡くなっていたことを裏付け、これまでの「2.5キロより外では放射線傷害は起こっていない」としてきた政府の見解の誤りを明確に正しています。政府は即刻、自らのあやまちを認め、放射線傷害は2.5キロより外では起こってないとしている見解を撤回すべきです。
 
以下、文字起こしを紹介します。なお今回が番組紹介の最終回になるため、番組の制作者や出演者、協力者、協力団体などのクレジットも紹介します。番組の作成に携われたすべての方への感謝を捧げます。
 
*****
 
原爆死 ヒロシマ 72年目の真実 (2017年8月6日 放送) −3
 
ビッグデータが明らかにする原爆死。
データはいまだ解明されずにきた問題に光を与えようとしています。
 
投下から2週間が経ったころ、人々の死因には変化が現れます。
それまで最も多かったのは焼死や圧焼死、火傷などでした。
ところが8月21日、この日を境に急性原爆症が上回ります。
 
広島市は動態調査で、当時、下血や下痢などの症状で、1945年の年末までに亡くなったと記録された人を急性原爆症としました。
急性原爆症で亡くなったとされた人たちがどこで被爆したかをデータをもとに可視化しました。
すると爆心地から遠くはなれた場所で被爆したにもかかわらず、多くの人が亡くなっていたのです。
国は広島の原爆による放射線をめぐって、爆心地から2.5キロより遠方では、直接的な健康被害はほとんどないとしてきました。
しかし広島市の被爆者動態調査のデータでは、2.5キロより遠いところで被爆しながら、急性原爆症で亡くなったとされた人が500人以上いたのです。
とくに数が多かったのが旧南観音町(みなみかんおんまち)です。
ここでは44人が亡くなったとされていました。
 
この地域で何が起きていたのか
私たちはデータを手がかりに亡くなった人たちの遺族を捜して聞き取りを行ないました。
その結果、一人の遺族が取材に応じてくれました。
奥本和彦さん。74歳です。
 
「これが父ですね」
亡くなったのは父の正市さん。当時37歳でした。被爆したあと連絡がとれなくなりましたが、一週間後、無傷で帰宅したと言います。
 
奥本
「「元気じゃ元気じゃ」というふうなことで、家族が再会して絶頂期の喜びを感じて、「広島はああだったこうだった」という話をですね、村人の、この近所の方にも説明していたようですよ。「私は運がよかった。助かった」と」
 
「この辺りになるかと思います」
正市さんは被爆してからの自らの足取りを家族に話していました。
職場の南観音町で被爆した直後、避難の途中で爆心地近くのけが人の救助に手を貸していました。
その後、県北部、家族が疎開していた村に向かいました。
身体に異変が起きたのは、帰宅して一週間後のことでした。
 
「吐血が始まる。洗面器を持って来たらぶわーっと血が出る。触ると髪の毛が抜けるというのが繰り返し」
そして8月26日。治療に向かう大八車の上で正市さんは亡くなりました。
 
原因も分からず苦しむ正市さんを家族はなすすべもなく、看取るしかなかったといいます。
「なんで原爆で37歳で亡くなったのかなあという思いの方が強いですね。
もう70年経ってもまだ苦しんでいる。
「なにか私たちがしたか」それだけですね。悔しい」
 
爆心地から2.5キロより外にある南観音町で被爆してなくなった正市さん。
その体内で何がおきていたのか。
 
広島大学の名誉教授の星正治さんです。
放射線の人体への影響について研究を続けてきました。
正市さんの足取りをみて可能性を指摘したのは、爆心地で小さい埃の粒を吸い込んでおきる内部被曝です。
 
原爆の炸裂により建物の土壁などが一瞬で放射能をおび、その後、大量の粉塵が飛散したと考えられています。
原爆投下直後に爆心地に入った人々は、放射能を帯びた大量の埃を大量に吸い込んだ可能性があります。
国は原爆による内部被曝の線量は極めて小さいとしています。
しかし星さんはそう断言するには研究がまだ十分ではないと感じています。
 
「どうも怪しいというか何かあるとずっと思い続けてきたわけです。
それを証明しようとしてきたわけだけれど、証明がすごく難しいわけですね」
 
これは星さんが繰り返して来た実験の映像です。(カザフスタンにて)
放射能を帯びた粉じんをねずみに吸い込ませています。
これまでの実験結果によると、ネズミの体内では粉じんが付着した肺の細胞が破壊されたことが分かっています。
正市さんは原爆が炸裂した直後に爆心地近くに入ったことで死に至った可能性があるといいます。
内部被曝が人々の死に影響した可能性が、今回のデータ解析からあらためて浮かび上がったきたのです。
 
「いわゆる直爆の放射線はほとんどないわけですから、その人たちがおそらく放射線による影響を受けたような脱毛とか下痢とかの症状があるということは、今まで分からなかった放射線の影響がある可能性があると思っています。これは解明していかないといけないと思います」
 
さらにビッグデータからは爆心地に近づいていない人の中に、同じようなケースがあることがわかりました。
爆心地の西にある旧己斐(こい)町です。ここでは67人が急性原爆症で亡くなったと記録されていました。
山に囲まれたこの町で何が起きていたのか。私たちは亡くなった人のうち4人の遺族を捜しあてました。
取材の結果、その4人は爆心地に近づいていないにも関わらず4ヶ月以内に亡くなっていたことが分かりました。
 
遺族の一人 大塚叔子さんです(74歳)。
当時、76歳だった曾祖母のヒロさんと2歳だった従兄弟の啓一さんを亡くしました。
大塚さんが当時住んでいた家の平面図をもとに説明してくれました。
 
大塚
「ここです。ここで朝ご飯を食べていて、光を感じて倒れた」
 
曾祖母のヒロさんと従兄弟の啓一さんは、暫くして下血などの症状を発生したといいます。
「寝たきりで起きてはこれなかったみたいで、離れにいって食事を与えたりしてたけれども、受付はしなくて、水を飲ませるしかないみたいな感じでした」
家族は懸命に介抱しましたが、下血がひどくなり、2人は2ヶ月以内に亡くなりました。
「ただただ何が起こったか分からないという感じで、腸からどろどろとしたようなものが出て、亡くなってしまった」
 
なぜ2人は亡くなったのか。大塚さんはある写真を見せてくれました。
写っていたのは自宅の庭にあった灯籠です。上の部分がどす黒く見えます。その原因は原爆の後に降った放射性物質やすす等を含む黒い雨だと言います。
己斐町で何が起きていたのか。
 
原爆による放射線の影響について研究を続けて来た広島大学特任教授(大学院放射線物理学)の静間清さんです。
「ちょうど己斐の駅があってこう‥」
まず動態調査と取材の結果をみてもらいました。
 
静間
「確かに驚きますね。こういうデータを見ましたら。特に市内にも入っていないような方でしたら、考えられることとしてはフォールアウト、それが全てフォールアウトなのかどうかは分かりませんけれども、何らかの影響があったとすれば、フォールアウトかなというのはその意味では驚きです」
 
原爆でおきたフォールアウト。爆発直後、大気中に放出された放射性物質が拡散し、その一部が雨等とともに地表に落ちる現象です。
8月6日、原爆投下の2〜30分後から己斐町には雨が降ったとされています。
これまでの研究でこの雨には放射性物質が含まれていたことが分かっています。
 
当時、己斐町で干されていた洗濯物です。静間さんはここから残留する放射性物質を測定しました。 
原爆由来のセシウム137が検出されました。
己斐町は三方を山に囲まれた特有の地形です。雨水が谷に沿って集まりやすくなっています。
静間さんは放射性物質を含む雨が、この地域で濃縮された可能性を指摘しています。

この地域について、国は「フォールアウトによる放射線量では、健康への影響は認められない」としています。
しかし静間さんは放射性物質を含んだ水を体内に取り込んだ場合、健康への影響は出る可能性があると言います。
 
静間
「人が浴びる外部線量、体の外から浴びる線量ですが、それだとすぐ死亡に結びつくようなそんな線量にはならないと思います。
それを何らかの形で体に取り込んだということがあれば、被曝線量は少し高くなるのではないかと思います。
死亡に結びついたかどうかは置いておきまして、影響が出た可能性はあると思います」

データ解析から見えてきたもの。
それは放射線の影響が少ないとされてきた地域に見過ごされた死がまだ残されてるという重い事実でした。

広島市役所原爆被害対策部調査課です。
原爆被害の実態を正確に伝えるため、大学と協力しながら今も動態調査を続けています。

広島大学原爆放射線医科学研究所 大谷敬子研究員
「被爆者個人個人を追いかけてたんじゃ分からないことが数を追いかけてくると見えてくる。
今私たちがこうしてやっているっていうのは未来のため、今後のために何か役に立てるんじゃないか」
 
被爆者55万人のビッグデータ、原爆被爆者動態調査。
そこから見えてきたのは、一人一人の命が無残に奪われていった死の現実でした。
原爆が投下された日、生きながら焼かれ命を奪われていった人々。
命を取り留めた人が、傷つきながらも生きようとした痕跡。
治療を求めた先で家族に会う希望すら奪われ、亡くなっていきました。
放射線の影響が及ばないとされた地域では、いまだ亡くなった理由が分からない死もありました。
被爆者55万人のデータは、核兵器がもたらすあまりにも残虐な死の実態を改めて突きつけています。
 
語り 新井浩文
取材協力 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
     広島大学原爆放射線医科学研究所
     広島女学院 水野潔子 野邊英子
     佐伯晴将 七條和子 田村克巳 村上秋義
 
資料提供 広島平和記念資料館 広島市公文書館 国土地理院
     松室一雄
     広島市市民局文化スポーツ部文化振興課
     Hoover Institution Archives
 
写真提供 尾糠政美 川原四儀 木村権一 中田左都男
 
撮影   森山慶貴
照明   堀口武士
音声   森嶋 隆
映像技術 佐山りか
 
映像デザイン 妻島 奨
CG制作   鈴木 聡
VFX     長谷川翼
音響効果 福井純子
編集   関口正俊
コーディネーター 野島理紗子
リサーチャー 坂本千晃
取材   阿部博史 長尾宗一郎
 
ディレクター 葛城 豪(葛の下は「ヒ」)片山厚志
制作統括 樋口俊一 高倉基也
     今井 徹
 
制作 著作 NHK広島
 
***
 
番組紹介を終わります。
ジャンル:
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