守田です。(20161114 23:30)
この場ではあまり報告できてこなかったことですが、僕はここ1年間ほど、京都市内の下鴨神社の糺の森を守る活動に参加しています。
下鴨神は世界遺産にも登録されている古来からの祈りの場であり、全体が「糺の森」に覆われているのですが、この一部が業者に「貸与」され、あろうことが樹々を伐採してのマンション建設が始められてしまっているのです。
理由は「式年遷宮」という行事の資金が足りないことだとされていますが、この地は京都の一等地。お金儲けのための森の切り売りであることは誰の目にも明らかです。
この大切な「社会的共通資本としての森」を守るべき立場にある京都市・門川市長は、マンション建設に認可を与えるなど、むしろ森の破壊に積極的に関与してきました。
京都では同じく文化遺産である二条城脇に大型バスターミナルを作るために周辺の森を伐採するなどの行為が狙われているのですが、門川市長のもと、京都市はいずれにも積極的に関与しています。
お金儲けのために、自然遺産、文化遺産を切り売りし、破壊することが京都市長のお墨付きのもとで各地で進んでいるのです。
糺の森は地域の人々によって思い思いに使われてきた場で、人々の憩いの場でもあります。
この大切な場が壊されようとしていることに対して、周辺の住民の方たちが「糺の森未来の会」などの団体を発足させ、裁判を行うなど、さまざまな形で森を守る活動を展開してきました。
最近ではユネスコ世界遺産委員会あてに森の破壊を止めることを要請する国際署名も起ち上げ、すでに1万筆以上を集めています。僕も呼びかけ人として参加させていただきました。
一昨日、その未来の会がこの森を守るための「もみじ大茶会」を開いてくださり、僕も参加して発言しました。
好天にも恵まれた素晴らしいお茶会でした。京都の自然遺産、文化遺産を守る他の活動なども次々と紹介され、みんなが、お金儲けのための大切な場の破壊に立ち向かっていることが分かりました。
もちろん穏やかな秋の日差しの醸し出す木陰で、美味しいお抹茶もいただき、阿部ひろえさんのギターの弾き語りや、親指ピアノ=カリンバの集団演奏も楽しむことができました。
大切な森をお金儲けのためのマンション建設から守りたい。
「もみじ大茶会」の場は参加したみなさんのそんな気持ちで溢れていました。
ぜひ以下の発言をお読み下さい!
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糺の森を守るために
2016年11月12日
こんにちは。守田敏也です。
僕は「ウチら困ってんねん@京都」の一員として糺の森を守る活動に参加させていただいています。
同時に国際署名の呼びかけ人の一人にも参加させていただいています。
僕はこれまでさまざまな森林の保護活動をけっこうやってきていて、森が好きなのですね。
ここでもパラパラと周りをみわたすといろいろな樹があります。樹をよく知っている方には常識的な話をしてごめんなさいなのですけれども、今、ここから空を見上げると黄緑色した薄い葉っぱがたくさん見えます。
例えばそこにはモミジがありますが、これらはみな落葉樹ですよね。
そこに例えばエノキがありますが、その横を見ると濃い緑の葉を持った樹、キンモクセイがあります。これは常緑樹ですね。
私たち日本人や日本に住む人にとって、こうやって落葉樹と広葉樹が一緒にあることは普通のことなのですけれども、実は世界ではずいぶん珍しいのです。
この国はだいたい温帯の中にありますよね。その温帯も暖温帯と冷温帯に分かれるのです。暖温帯に主力の樹は常緑広葉樹です。冷温帯に主力の樹は落葉広葉樹です。
京都などここいら一帯はちょうど二つが混ざり合わさる地域にあって、このように両者の樹が生えている森のことを「混交林」といいます。
それが独特のハーモニーを発していてとても美しいのです。
この公園のそこの端に桜の樹がありますね。たぶん日当たりの良い樹なのでもうすっかり落葉してしまっていますが、さっき高野川をわたってここまで来るときに、桜並木がすごくきれいに紅葉しているのを眼にしました。
これからの季節、山々が彩を変えて変えて、私たちを楽しませてくれるのですよね。
俳句の季語でも春は「山笑ふ」、夏は「山滴る」、秋は「山粧う」、そして冬は「山眠る」とうたわれてきました。
でも眠るのですけれども、常緑樹がある場合は冬でも緑の葉が輝いてくれています。
その自然の姿があまりにも美しいと言うことで、京都には世界中から観光客が訪れますけれども、日本の各地の山々にも世界から登山家が集まってくるのです。
日本でしか見れない風景が多いのです。ヨーロッパなどは日本よりも氷河期が長くて、回復の途上にあるので、わりと単一の樹しか生えていないところが多いのです。
日本だと一つの山を登るだけでも高低差だけでも樹々が代わってくるのです。
その自然の彩が、私たちの生活に潤いを与えてくれて、私たちの心にいろいろな季節、季節ごとの変化をもたらしてくれて、私たちはそれをまるで空気のように楽しんできているのですね。
私たちはそんなあり方に感謝をして、私たちの情感を含めた存在のあり方そのものが森に支えられていることにありがたみを感じながら生きてきた。それがこの国に住んできた人々の思いだったと思うのです。
だから樹にしめ縄をはって感謝の念を捧げたきたわけですよね。
本来神社は、まあ、本来と言って良いのかどうかは分からないですけれども、少なくとも江戸時代ぐらいまでは、人々の自然への畏敬の念を大事にして守る一つの居場所のようなものだったと思うのです。多くの人たちがそこで祈りを捧げてきました。
ところがその神社がいま、こうして、私たちとって心のよりどころのような神社の森を、あろうことかお金のために切り売りしていくという本当にひどい事態に立ち至っています。
だったら「神社をやめてくれ」「宮司さんをやめてくれ」と本当に思います。
僕はとくに特定の信仰をもっていないのですけれども、自然を思う気持ち、畏敬の念を感じる気持ちは、私たちに共通の大事なもので、私たちが守ろうとしているのはそのことだと思います。
だから今こうして集まっている私たちの方にこそ、森を愛してきたこの国の多くの人の思いが流れてきているし、私たちは森を大事にしてきた人々の思いこうやって代弁して、この場でこうして頑張っているのだと思います。
そんな気持ちを込めて僕は知り合いのジャーナリストや映画監督などに、国際署名に協力して欲しい、呼びかけ人になって欲しいと訴えました。
まだまだ私たちの力は小さいものでしかないかもしれません。
しかし私たちの心は、この国の歴史の中で脈々と語り継がれてきたもの、感じ取られてきたものの上にきちんと乗っかっているということに自信を持ってこれからも一緒に頑張っていきましょう。
ありがとうございました。