明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1128)4年以上停めて再稼働したのは世界で14例。その全てで稼働後にトラブルが起こっている!

2015年08月23日 07時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150823 07:00)

21日に復水器付近でトラブルを起こした川内原発は、依然、稼働を続けています。ただし出力を段階的にあげ95%までもっていくスケジュールの延期を発表しました。
まだこれぐらいですむ段階で稼働を止めた方が絶対にいい。なぜならさらに何らかのトラブルが発生する可能性が高いことが前例から分かるからです。
今回はこの点を論じたいと思いますが、まずは以下の記事を示したいと思います。

 長期停止原発が複数再稼働へ、世界的な未知圏-川内原発先陣(訂正)
 ブルームバーグ 2015/08/10 09:18 JST
 http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NS4J5H6JIJUR01.html

この記事が伝えている核心的内容は以下の点です。

 「長期間停止している複数の原子炉の再稼働。国内電力各社は、これまで世界のどの国の電力会社も経験したことがないことに取り組もうとしている。」
 「国際原子力機関や米国、カナダの規制当局のデータによると、最低でも4年間停止した原発の運転が再開されたケースは世界で14基。そのすべてが運転再開後にトラブルに見舞われている。」
 「原子力技術コンサルティング会社、ラージ&アソシエイトのジョン・ラージ社長は、日本は「国中の原子炉がすべて4年間停止した状態」にあり、原子力規制委員会は想定外の事態に備えなければならないと指摘。
  規制委がいま直面している状況は「他のどの国に存在しないまったく固有の事態」だと話した。」

僕が記事に感心したのは、「4年間停止した原発の運転が再開されたケースは世界で14基」という事実だけでなく、日本の原発の現状を「国内の原子炉すべてが4年間停止した状態」と指摘していることです。
この点でみなさんにも注意を喚起したいのは「原発ゼロ状態が終わった」という言葉に惑わされてはならないということです。
確かに原発ゼロ状態は終わりました。1基動いています。しかし依然、残りの原発はすべて止まっているのです。「ほぼゼロ状態」です。正確なデータを示すために以下のページをご覧下さい。グリーンピースジャパンのページです。

 日本全国で「稼動原発ゼロ1年」達成
 グリーンピースジャパン 2014年9月15日
 http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/20140910nuke-zero_jp.pdf

とくに注目して欲しいのは「図1 日本の原発全48基の稼働ゼロの期間」です。昨年9月15日段階で作成されてものですから、今日現在ではこれに約11カ月強を足すことを忘れないで下さい。
これを見ると「すべての原発が4年間停止した状態」というのは正確性を欠いた言い方であることも分かるのですが、大飯原発3号機4号機をのぞけばすべて3年以上と言えばもう間違いはありません。
さらにすべての原発の非稼働年月を足し合わせて平均をとってみると、僕の計算で、この8月15日の段階で平均4年3ヶ月停まっていることが分かります。
すでに規制委から新規制基準への合格が出されてる高浜原発3号機が3年5カ月、4号機が4年、伊方原発3号機で4年4カ月停止中です。繰り返しますが今日現在の段階でです。

最も長く動いてないのは柏崎刈刃原発2~4号機でもう8年間も停まっている。ブルームバーグの記事で問題にされている年月の倍です。
重要なのはこの柏崎刈刃原発が世界最大の出力を誇る原発だということです。それが停まっているということは世界で一番ウランを消費する原発が8年間も動いてないことを意味します。
当然にもウラン燃料会社は困っている。このためアメリカのウラン濃縮企業ユーゼックが2014年3月に経営破綻しています。 ちなみにこの会社にも東芝は出資していました。
これらが示すのは日本の核産業だけでなく、世界の原子力村が日本の全原発の停止によって打撃を受け、崩壊しつつある現実です。日本でも東芝が焦げ付きを起こし、一方で三菱がアメリカで納入した蒸気発生器が事故を起こし、訴えられて大ピンチに陥っています。

この事実を作り出しているのは、私たち日本民衆の力です。私たちがすべての原発の稼働を停めてきたし、今も川内原発以外を停めていることがこのような事態に繋がっているのです。
こうした中で行われた4年以上停止した原発の再稼働は、瀕死の状態にある原子力産業を生き延びさせるための最後の一手とも言えるようなものです。だからこそ危険性をかえりみず、遮二無二行われていることを見据える必要があります。
このためもあって再稼働は巨大な危険性を抱えています。この点でぜひ再度、参照して欲しいのは、ここ数回にわたって文字起こしを掲載した後藤政志さんと僕の対談です。(8月14日)
僕は後藤さんに、ブルームバーグの記事踏まえて、4年間も停まっていた原発を動かすことは技術論的にどういう意味を持つのか後藤さんにお聞きしました。その回答が以下の内容です。

*****

 当然ですけれども、そもそも停まっているプラントを立ち上げるということ自身が、ある種のトライなのです。ものが壊れている可能性もあるし、ミスってバルブを開け忘れている可能性もある。
 スリーマイル島事故などはそうですからね。点検の時に給水ポンプのバルブを開け忘れたのです。それで立ち上げてしまって事故が起こってしまった。そういうリスクもあります。だから立ち上げるときはそれなりの緊張感があるのです。
 さらに今、おっしゃったように4年も停まっていると、結構、長いので、プラントの水が溜まっているところ、つまり水が普段、流れているところと溜まっているところがあって、場所によっては腐食環境になりやすい。
 そこで4年も淀んだまま腐食が進んでいることがないとは言えません。そうするとそれをきちんと検査をしたのかということになります。
 建前は検査をやることになっているのだけれど、実際にはすべてが検査にかかるとは限らない。実際には欠陥とかあったときに運転してみて、「ボン」となって慌てて欠陥が分かるということもあるのです。

 美浜の3号機で昔、タービンのところの配管が切れたのがそうです。厚さ10ミリのものが1.4ミリまで減っていた。そこに流れが当たってぐっと力が生じたときに破裂したわけです。
 普通は「10ミリあるものが2ミリ以下に減ってくるまで気が付かないことがあるのか」と思いますよね。でも現実にはそういうことがある。管理が間違っているということなのです。
 物事を「建前としてこうあるはずだ」と考えていると事故というのは分からない。事故と言うのはそういう形で起こるのです。そういう潜在的な欠陥が生じやすいのが4年です、ということになります。

 
 福島原発事故からつかむべきこと
 2015年8月14日 後藤政志&守田敏也 対談 東京品川にて
 https://www.youtube.com/watch?v=TKJNkgNOgaI&feature=youtu.be

 当該内容は9分23秒ぐらいから。文字起こしでは以下の記事に掲載
 明日に向けて(1124)川内原発再稼働の危険性と「過酷事故」の曖昧化の問題
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6e90c7394a36315234d435aeb267da78

*****

前回の記事「明日に向けて(1127)」で、僕はこれまで加圧水型原発が、主要には「蒸気発生器」という大きな欠陥を抱えており、深刻な事故やトラブルが繰り返されてきたことを指摘しました。
またこの蒸気発生器や一次冷却水の配管の点検などに力を奪われることから、二次系統の点検がおろそかになり、美浜3号機で配管が切れて、5人の死者が出る大惨事になったことも述べましたが、その点をここで後藤さんも指摘されています。
後藤さんは「建前は検査をやることになっているのだけれど、実際にはすべてが検査にかかるとは限らない」とも述べられたのですが、今回、21日に発覚したトラブルは約8万本もあってサンプル検査しかできてない復水器の配管あたりで起こりました。
もともと配管が長くて複雑で十分に点検しきれない加圧水型原発が4年も動かすことができてなくて、あちこちに腐食が進んでいる可能性が高いのです。今回その一部が発覚したわけですが、今後、さらなるトラブルが起きる可能性が極めて高い。

今回も後藤さんの指摘があまりに的確で予言のようでしたが、もちろん後藤さんが超能力を持っているわけでもなんでもなくて、これは、純技術論的に考えれば当たり前に出てくる推論なのです。
繰り返しますがそれほどに長い間、停めておいた原発の再稼働は危険性に満ちています。また加圧水型原発には、蒸気発生器の欠陥ほか、固有の弱点=危険性を持っており、しかも過酷事故に、沸騰水型原発よりもなりやすい構造も持っています。
私たちは何よりもこの危険性についての認識をもっと大きく広め、小さなトラブルの発生の段階で、原子炉を停止すべきことを強く訴えていく必要があります。
同時に九電が無謀な延命策に走っていることを踏まえ、万が一にも大きな事故が発生した時のことを考えての事故対策を個人的にも共同体的にも重ねるべきことを訴えたいと思います。川内原発再稼働の危険性ときちんと向かい合いましょう!

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1127)再稼働した川内原発でさっそくトラブル発生!ただちに運転を中止すべきだ!

2015年08月22日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150822 22:00) (20150825 02:30訂正 なお訂正に関しての詳しいことは(1130)を参照のこと)

まったく愚かなことに政府と九州電力は川内原発の再稼働を11日に強行してしまい14日から送電が開始されました。
ところが再稼働してまだ10日しか経っていない21日にさっそくトラブルが発生しました。二次冷却水に海水が混入した可能性が明らかとなったのです。
考えられるのは、蒸気化した二次冷却水を冷やして水に戻す「復水器」にピンホールなどが生じていて、そこから復水器で配管を通じて二次冷却水と接している海水が混入したことです。
事故の概要を伝えているNHK NWESWEBの報道を全文貼り付けておこうと思います。
(ネット上の記事は一定時間が経つと消えてしまうので、重要なものはこうして残しておくことにしています)

ちなみにこの間、「明日に向けて」で14日に行った後藤政志さんとの対談内容を文字起こしして掲載してきましたが、この事故は後藤さんが指摘した通りの構造のもとに起こった可能性が高いです。
「すべてを点検して安全を確認することになっているが実際には見落としが生じる。その中にもともと水に接していて腐食しやすいところなどがあり、再稼働であらたに力がかかって事故が生じて初めて問題があったことが分かる場合がある」。
「川内原発の場合、4年以上も停まっていたので、再稼働後にこうした事故が起こる可能性がそれだけ高くなっている」という点です。
この点については今回の事故の概要の把握を踏まえて、次回にもう一度詳しく見ておきたいと思います。

ただこの事故は今回の再稼働に向けた動きの中では二度目であることにも注目が必要です。
再稼働に向けて原子炉以外の機器を立ち上げた直後の7日にも、原子炉冷却水ポンプの軸の振動を測定している計測器の数値が異常に低下するトラブルがあったのです。
点検によって計測器に不具合があったことが分かり、交換されましたが、これも小さいですが重大な事態です。原子炉の内側はとても目視できるようなものではないので、状態はすべて計測器によって把握されているからです。
それだけに計測器の故障は事故の見逃しの可能性も生じさせます。同時に計測器の故障の重なりは、実際に重大事故が起きた際に、運転員が事故ではなく計器の故障だと思い込んでしまうリスクも生じさせます。
実際に福島第一原発事故のときも一号機の水位計が壊れてある一定の水位を指したまま止まってしまったのですが、吉田所長を含め現場の誰もがメーターを信じてしまい、水位が下がってメルトダウンが始まっていることを把握できなかったのでした。

そのためこの復水器付近での何らかの不具合の発生と、計測器の数値の異常はどちらも九電が再稼働工程中に想定されるトラブルを事態の深刻度に応じてレベル0~4の5段階に分けた自社の独自基準の2にあたると公表されています。
設備などに影響が出るのがレベル2以上のトラブルでこの場合は公表すると公言していたため報告にいたったわけです。2と言っても0~4とされているために5段階の真ん中のトラブルであることをおさえておく必要があります。

以下、NHKの記事と共同通信の記事を貼り付けます。

*****

 川内原発 トラブルで出力上昇作業を延期
 NHK NWESWEB 8月21日 16時06分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150821/k10010197331000.html

 今月11日に再稼働した鹿児島県にある川内原子力発電所1号機で、発電に使った蒸気を水に戻す設備でトラブルがあり、九州電力は、発電機の出力を上げる作業を延期すると発表しました。
 九州電力は今のところ運転に問題はなく、原子炉の運転や発電、送電は続けるとしています。

 九州電力によりますと、川内原発1号機で20日、発電に使った蒸気を冷やして水に戻す「復水器」と呼ばれる設備に異常があることを示す警報が鳴りました。
 九州電力が復水器の水の成分を調べたところ、塩分の濃度が通常より高いことが分かったということです。
 このため九州電力は蒸気を冷やすために取り込んでいる海水が復水器の中の水に混ざり込んだとみて21日予定していた発電機の出力を75%から95%まで上げる作業を延期すると発表しました。
 九州電力によりますと、トラブルがあったのは3台ある復水器の1台で、混ざり込んだ海水は微量とみられ、別の装置で塩分を除去できているということです。
 九州電力は海水を取り込んでいる配管に穴が開いている可能性があり、異常があった復水器の一部を止めて点検していますが、ほかの復水器に問題はなく原子炉の運転や発電、送電は続けるとしています。
 復水器は原子炉の熱で発生させた蒸気を水に戻す装置で、川内原発の場合、蒸気や水に放射性物質は含まれていません。
 九州電力によりますと復水器の内部を通る海水を取り込む配管は1台当たり、2万6190本あり、今回の再稼働までに行われたサンプル検査で異常はなかったということです。
 川内原発1号機は今月11日、国内の原発としては1年11か月ぶりに再稼働し、その後、発電機の出力を徐々に上昇させて異常がないか確認する調整運転を続けています。
 九州電力は今月25日に原子炉の出力を100%に上げる予定でしたが、復水器の点検のため作業は1週間程度遅れるとしています。

 蒸気を冷やして水に戻すための装置

 今回トラブルがあった復水器は発電用のタービンを回したあとの蒸気を冷やして水に戻すための設備で、川内原発1号機には3台あります。
 中には1台当たり、2万6190本の細い管があり、その内側に海水を流して管の外側の蒸気を冷やし水に戻す仕組みで、戻した水はポンプで蒸気を作り出す蒸気発生器に送り出されます。
 本来、海水と蒸気は混ざらない構造ですが、復水器の細い管に腐食などで穴が開くと、海水が混入し、蒸気発生器に悪影響を及ぼすおそれがあります。
 川内原発は加圧水型と呼ばれるタイプで、原子炉で発生した熱で直接蒸気を作るのではなく、放射性物質を含まない2次系の水を蒸気発生器で沸騰させて蒸気を作ります。
 このため安全上、蒸気発生器の腐食などを防ぐ対策が重要で、今回のような海水の漏えいを想定して、配管の途中に塩分を取り除く装置が設置されているほか、定期検査でサンプル検査をして損傷状況を調べることになっています。

 原子炉運転に影響ないと確認

 原子力規制庁では21日午前9時ごろ九州電力から報告を受けて、現地の検査官がトラブルの状況や原子炉の運転に影響がないことを確認したということで、今後は九州電力が行う原因の調査や調査結果を踏まえた対処方法を確認していくことにしています。
 原子力規制庁の松浦克巳総務課長は、「九州電力は1週間ほどで原因究明や必要な措置を行うとしている。しっかりと確認していきたい」と話しています。

*****

 川内原発1号機でトラブル ポンプ軸の振動に異常値
 【共同通信】2015/08/07 22:25
 http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015080701002348.html

 九州電力は7日、近く再稼働を予定している川内原発1号機(鹿児島県)で、原子炉冷却水ポンプの軸の振動を測定している計測器の数値が異常に低下するトラブルがあったと発表した。
 ポンプを止めて点検したが異常はなく、計測器に原因があると判明した場合、再稼働工程に影響はないという。
 トラブルはレベル0~4の5段階に分けた深刻度で真ん中のレベル2。九電が原因を調べている。
 九電によると、7日午前、ポンプ軸の振動を監視している計測器の数値が低下しているのを作業員が発見した。

*****

記事に基づいて20日に起こった事故について分析を行いましょう。
まず川内原発の基本構造をおさえておく必要があります。この原発は加圧水型原発です。炉心を160気圧ぐらいに加圧され、沸点が高くなった300度ぐらいの温水がまわっていて、それが「蒸気発生器」で二次冷却水と接しています。
蒸気発生器とは2センチぐらいの細管がたくさんUの字状に通っている機器で、その配管越しに二次冷却水に熱を移し、蒸発させて蒸気を作る装置です。ここで発生した蒸気がタービンを回して発電をし、その後に「復水器」にまわります。
ここでやはり配管越しに海から取り入れられた海水と接し、冷やされて蒸気から水に戻るのですが、おそらくはこの復水器の配管に穴があき、二次冷却水に海水が混入して起こったのが今回のトラブルです。

これは加圧水型原発の構造的弱点、ないし欠陥によって必然化されていることです。なぜかというと福島原発などが採用している沸騰水型原発だと一次冷却水そのものが炉内で沸騰して蒸気になりタービンを回します。
その後、同じく復水器で海水と接して冷やされ、水に戻って炉心に流れていくのですが、この沸騰水型原発ではタービンを放射能の入った蒸気で回すので、タービン建屋まで放射能に激しく汚染されてしまいます。
また運転中に冷却系から照射される中性子が配管を透過するため、海水に含まれている微小な金属片や腐食物などが放射化されるため、常に放射能が放射能に漏れ出してしまう構造を持っています。
これに対して加圧水型原発は、炉心をまわる水は沸騰させず、二次冷却水を蒸気にしてタービンをまわすため、この工程で、やはり厳密には同じような放射化によってある程度のタービン汚染が生じるものの沸騰水型ほどではありません。

しかし何といっても構造が複雑になり、たくさんの細管がかけめぐることになります。とくに一次冷却水は沸騰させないために高圧をかけているため、沸騰水型原発と比べてより高いストレスが配管にかかることになります。
構造上最大の弱点とされているのがわずか直径2センチの多数の細管を160気圧の温水が駆け巡る蒸気発生器で、実際に1991年2月9日に美浜原発2号機で細管の破断が起こり、大量の放射能水が二次系を汚染し、その一部が環境をも汚染してしまいました。
この際、放射能汚染が生じたこと以上に恐れられたのは、蒸気発生器の細管破断が炉心の冷却材喪失につながりかねず、メルトダウンが生じる可能性があったことでした。
こうした危機は「たとえ細管にトラブルがあっても完全断裂することなどありえない」とされていたそれまでの想定を覆し、外周の完全破断が起こったことでもよりリアルなものとなりました。

このため日本中の加圧水型原発を点検せざるをえなくなりましたが、構造上ピンホールが多数発生してしまうことが分かり、点検時に穴のあいた配管には栓をして閉ざしてしまい、それでも間に合わない場合、蒸気発生器そのものの交換が行われました。
このように蒸気発生器は加圧水型原発の構造的弱点として把握されるようになったのですが、重大な問題としてあったのは、それまで蒸気発生器の寿命がすなわち加圧水型原子炉の寿命とされていたのに、無視されたことでした。
予想よりもずっと早く蒸気発生器での事故が発生したため、設計にない延命手術をすることになったのです。つまり、廃炉にすべきところを無理に使い続けることが常態化したのでした。
これは格納容器に設計段階では想定されていなかったベントを後付けするのと同じ過ちでした。蒸気発生器がトラブルを犯し、交換せざるを得なくなることが分かったのであれば、設計をし直して、トラブルのおきない蒸気発生器をめざすべきだったのです。

ところが蒸気発生器の問題に意識を奪われている中で、同じ美浜原発の3号機で二次系の配管が破断しする大事故が起こりました。
ちょうど定期点検の準備作業が行われていましたが、その作業員11人のうち、4人が死亡し、2人が重体、5人が重軽傷を負う大惨事でした。後日、重体の1人も死亡。過去最悪の運転中の原発の事故となりました。
この際、問題とされたのは、蒸気発生器などの危険性から点検がもっぱら一次系の配管の点検に集中し、二次系の配管の点検がおろそかになっているうちに、20ミリあったはずの配管の肉厚が1ミリぐらいにまで減ってしまっていたことでした。
ここに点検中の稼働で一気に圧力がかかったために大きな破損が生じ、そこから高熱・高圧の水蒸気が作業員の上に降り注いでしまったのでした。4人はほぼ即死状態、体中の水分が一気に蒸発してしまったそうです。

この時は蒸気発生器に問題は生じていなかったので放射能漏れは起こりませんでしたが、蒸気発生器に構造的弱点を有した加圧水型原発は、構造が複雑で全体の点検が十分に行き届かず、二次系でも大きな事故が起こりうることが分かりました。
しかもこうした二次系の大破断は、とりもなおさず蒸気発生器の熱交換機能の喪失に直結するので、この場合も、メルトダウンにつながるシナリオは存在していた筈で、メルトダウンに進行せずに済んだのは「幸運」としかいいようがありませんでした。
繰り返しますが、加圧水型原発は一次冷却水が高圧のために、沸騰水型原発よりも配管破断などの際により早く冷却水が抜けてしまう可能性があるため、美浜原発事故は過酷事故の一歩手前のものだったと言えます。

今回の川内原発でのトラブルは二次系の冷却水と海水が接する「復水器」付近で起こったものとみられていますが、記事にあるようにこの復水器の中に通っている海水をとりこむ配管は26,190本もあります。
本来、そのすべてに点検が必要なはずですが、復水器は3台あり、合計で78,570本もあるため、すべてを点検するのは不可能なのでしょう。定期検査ではサンプル検査で損傷状況を調べていることがNHKの記事にも書かれています。
もちろん定期点検ではこの他により損傷が起こりやすく、その場合の被害が甚大な一次系配管や、蒸気発生器を点検しなければならず、さらに美浜3号機の事故の教訓から二次系配管のすべても慎重に調べねばならず、その上に約8万本の細管があるわけです。
このため点検漏れが生じてしまい、動かしてみてそこから海水が二次系に入り込んで、ようやく欠陥が生じていることが分かったと言うのが今回の事態であって、これは加圧水型原発の構造的欠陥を物語るものです。

ちなみに日本の加圧水型原発はすべて三菱重工製ですが、三菱の蒸気発生器は他でも事故を起こしています。なかでも最近、大きな社会的影響を生み出したものがアメリカで起こりました。
ロサンゼルス南東120キロにあるサンオノフレ原発で2012年1月に判明した放射能漏れ事故で、運転中の2号機と3号機の両方で配管の一部が破損し放射能が漏れているのが発見されたのですが、この蒸気発生器が三菱が納入したものでした。
構造的欠陥が明らかになった同原発はその後に廃炉になったのですが、この建設に関わった電力事業者の米サザン・カリフォルニア・エジソン社(SCE)など4社が三菱重工に75億7000万ドル(約9300億円)の損害賠償を求めて提訴に踏み切りました。
三菱側は167億円の損害賠償の支払いを主張しており、両者の見解は真っ向から対立して法廷闘争必至の状況ですが、敗訴した場合、三菱が背負う賠償額はあまりに巨大で、同社の経営を一気に悪化させる可能性があります。

川内原発そのものをみてもすでにこれまでも1991年に気発生器細管の摩耗減肉(1号機、2号機ともに)、2000年、蒸気発生器の細管損傷(1号機)とやはり蒸気発生器でのトラブルが起こっています。
これらからも今回の事故もあまりに複雑に配管が走り回っている加圧水型原発での特有のトラブルとして発生していること、それ自身、メルトダウンに直結しかねない恐ろしいトラブルなのだということが踏まえる必要がります。
またこのような配管の脆弱性を考えると加圧水型原発は沸騰水型原発よりもより恐ろしい構造を有していることも見ておく必要があります。炉心を冷却している一次冷却水が、沸騰水型よりも高圧であるため配管破断があると瞬時に無くなってしまうからです。
その意味では配管構造の面では、沸騰水型よりも過酷事故に至りやすい構造を持っているのが加圧水型原発なのです。これらからも川内原発はこの小さなトラブルの段階で即刻運転を止めるべきです。何よりもこのことを強調したいです。

次回はこうした構造的欠陥を持つ加圧水型原発を4年も停めておいてから稼働することの危険性について分析します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1126)安全についての考え方を身につけることが問われている(後藤&守田対談から-4)

2015年08月21日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150821 09:00)

後藤さんとの対談の文字起こしの4回目をお送りします。最終回です。
今回は前回のベントの問題に続いて、ベントが行われた場合のアメリカと日本の抜本的違いについての後藤さんの解説を起こしてあります。
さらに技術論において安全とはどのように考えられるものなのかを原発に即して論じていただきました。
最後に後藤さんとのお話に対する僕の感想を述べました。

*****

 福島原発事故からつかむべきこと
 2015年8月14日 後藤政志&守田敏也 対談 東京品川にて
 https://www.youtube.com/watch?v=TKJNkgNOgaI&feature=youtu.be

4、安全についての考え方を身につけることが問われている
(24分40秒から)

後藤
それともう一つは、ずっと考えていたのはアメリカは何であれでいいのかです。日本はそれを真似ているのですけれども、そこに非常に問題があると思います。
その意味は、アメリカは国土がむちゃくちゃ広いのです。例えばカリフォルニア州一州と日本が面積が近い形で、そうすると原発の密度がけた違いなのです。
そうすると万一事故が起こった時に、最悪の場合、極論しますと、カリフォルニア州を捨ててもアメリカは成立するわけです。日本はどうかというと成立しないのです。
リスク論と安全屋さんがよく言います。僕はリスク論は好きではないのだけれども、仮にリスク論で語るとなると、彼らはリスク論が分かっていないと僕は思うのです。
僕なりに理解しているところだと同じ確率だったら100倍も危ない。100倍も1000倍も危ない。だって片方は州が無くなるレベルでしょう。片方は国が無くなるレベルじゃないですか。「どうですか」ってね。
それを同じ数字で10のマイマス6乗だとか7乗とかいう数字を出して喜んでいるわけですよ。日本の方が優れているとか言って。地震のリスクも津波のリスクも高いのに。
そのリスクの高さ、被害の時の影響度、そういうことをまったく配慮しないままに考えてきたのが日本のリスク論者なのですよ。

守田
このベントの問題一つとってみても、原発の根本的な矛盾をずっとお話されてきたと思うのですね。
今日はこういうお話の最初ということで、今日の最後にお聞きしたいのは、この根本矛盾がなかなか伝わりませんよね。
マスコミのみなさんもそれなりに一生懸命に報道されているとは思うのですけれども、やはりこのポイント、例えば今でも「ベントをちゃんとつけていないのがおかしい」みたいなことを言っていて、そこをどう覆そうとするのか。
後藤さん自身、そこでもがいて苦労されてきたと思うのですけれども、そこでの考え方をうかがいたいと思います。

後藤
もともと最終的に放射能を閉じ込められるかどうかに尽きるわけですよね。それが確実にできるならばどんなものでもいいのです。
ですけど、フィルターもそうですけれども、そういう装置を付け足して放射能を閉じ込めるということには必ず限界があって、最後は格納容器本体が意味をなさなくなるのですね。
それは原子力の設計の根幹が失われるわけです。ですから私は最初から格納容器そのものを見直せという表現をしているのですね。

いいか悪いか分からないのですが、もともと格納容器というのはパッシブセーフ、受動的安全、つまり何も機械を動かさなくても、格納容器を隔離弁を閉じて鎮めると何もしなくてもそれで持つというのが格納容器の概念なのです。
それを「ある時には持たなくなる」と言ったとたんに破綻しているわけです。ですから「自殺」と言う表現もとりましたが破綻しているわけなのです、設計思想が。
そうすると破綻したものを取り繕うこと自身が、私も教えている設計工学で言っても設計のあり方として間違っているのです。根本のところを変えずに付けたし付けたしでやれば必ず破綻するというのが設計学の常識で、いつも「やめろ」と教えているのです。
それなのに自分がやったことがそうなっているでしょう。どうみても納得できないですよ。それが正直なところです。

そうするとどこに行きつくのかというと、どうみても今よりももっと格納容器をやることで少しは改善されるのですけれども、それすらもやらない。
今のままやるということはそのままリスクを背負っているわけで、とてもではないけれども福島を反省したことにはならない。
究極的には確実に全部閉じ込めるということが人間の技術では無理ということになるので、そこまでして原子力をやる必要があるのかということに尽きると思います。

守田
私は、直接的には後藤さんとは原発の問題でお話しているわけですけれども、これはやはり技術論全体に関わることだと思うのですよね。
その点で単に原発のことだけではなくて、多くの市民の方が安全工学の観点と言いますが、そういうものを見につけることが私たちの社会全体の安全性を高めることになると思うのです。

後藤
そうですね。いわゆる安全工学と言ったときに、APASTでも議論してきているのですけれども、安全学というのもあって捉え方がいろいろあって、それによっては180度も違うものにもなってしまいます。
それで本当の安全とは何かということを意識して議論していきたいと思います。
守田さんが私の発言を拾ってくださる時に、結構、そういう観点が入っているので、凄く私としても嬉しいところです。これからもよろしくお願いします。

守田
こちらこそこれからもよろしくお願いします。

後藤
今日はどうもありがとうございました。

守田
ありがとうございました。

対談文字起こし 終わり

*****

今回、30分と短い対談の中で、基本的にはこれまでお聞きしてきた内容を再度うかがう形になりましたが、あらためてこのようにお話し、かつ文字起こしをすることで、新規制基準の下での再稼働の根本的限界を再認識することができました。
後藤さんが最後におっしゃられたように、福島原発の教訓を生かして原子力を続けると言うのであれば、技術的にはこれまでの格納容器を見直し、再設計を行わなければならないはずなのです。
なぜかと言えば、格納容器は放射能漏れに対する最後の砦であり、受動的安全を確保する装置として、弁を閉じてしまえばそれで事故を収束させることができるものとして設計されているからです。

実際にはそうではなかった。いやそれは福島原発事故で分かったのではなく、事前にそうならずに格納容器が壊れてしまうことがあることも分かっていたから「ベント」がつけられたのです。
しかし設計工学では、そのように設計の根本を変えずに後付けを重ねて安全対策を行っても必ず破綻すると言われているのです。その点で新規制基準は設計工学、安全工学に完全に背いたものでしかありません。
そもそもある意味ではそれを認め、開き直っているがゆえに「安全だとは言わない」と規制庁が公言しているのでもあって、技術論的にはこの点の矛盾だけで、再稼働は絶対に認められないことを何度でも強調していく必要があります。

その意味では原発が必要か否かという論争のよって立つパラダイムそのものも、すでにひっくり返っていることを認識しておく必要があります。
なぜなら必要か否かという論争の前提には、原発が安全に運用できる、ないしは事故のリスクがものすごく「低い」ことがおかれているからです。
実際にはまったくそんなことはない。福島原発事故の教訓すら何ら生かされていない。本質的につけたしでしかない新規制基準のもとでの対応で、事故の根本的なリスクは何ら軽減されていないのです。

この点を繰り返し、発信していくことで、川内原発をもう一度停めるとともに、他の一切の原発の再稼働も許さない世論、民衆の力を高めていきたいと思います。
そのために今後も後藤政志さんに学び続け、今回の対談のようなコラボを行わせていただきたいと思います。
私たちの命を守り続けるために、なお一層、奮闘します!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1125)ベント後付けの条件設定を無理強いされて(後藤&守田対談から-3)

2015年08月20日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150820 08:00)

後藤さんとの対談の文字起こしの3回目をお送りします。
今回は対談に先だって一緒にお食事をしたときにうかがった話がとても興味深かったのでそのことをお聞きしました。
後藤さんが東芝に入社したのは1989年。格納容器の設計を担当しましたがそのころチェルノブイリ原発事故を受けて、格納容器の存在がハイライトされる中で、東芝がベントの後付けの検討を始めました。
後藤さんはまさにその現場にいて、安全担当より格納容器が緊急炉心冷却系が働かず、圧力が上がった時に、どこまで持つかを「言え」と言われたといいます。

「言え」と言われても、もともと設計で何気圧まで持つか明記されています。設計条件としてはそれを越えてはいけないとされているのに、その設計条件の3倍まで持つように「頑張ってくれ」と言われたと言います。
そんなやり取りの中で、どの段階でベントを行うのかが決められていったそうなのですが、これは現場にいなければ分からないとてもレアな話です。
今回はこの点に関して書き起こしました。お読み下さい。なお今回は文字起こし後にも少し解説を加えます。

*****

 福島原発事故からつかむべきこと
 2015年8月14日 後藤政志&守田敏也 対談 東京品川にて
 https://www.youtube.com/watch?v=TKJNkgNOgaI&feature=youtu.be

3、ベント後付けの条件設定を無理強いされて
(17分38秒ぐらいから)

守田
先ほどお話をうかがったときのことで、ちょっと突っ込んでしまいますけれども、ちょうど後藤さんが東芝に入られた後にベントをつけることになったということをお聞きしました。あの話をもう少し聞かせて下さい。

後藤
私が会社に入ったのは1989年です。ちょうどチェルノブイリ事故もありましたし、格納容器の持つ意味が大事だとされていました。
(守田注、チェルノブイリ原発には格納容器がなかったため、原子炉の爆発がそのまま膨大な放射能の流出につながったことに対し、「日本の原発は格納容器があるのであのような事故にはならない」と繰り返し宣伝されていた)
それで格納容器を担当する時に、一番最初にビックリしたのは、普通、ボイラーなどは圧力が高まると爆発してしまうから、設計上耐えられるとされる圧力より1割ぐらい越えると確実にバルブが開いて圧力が逃げるようにしています。
バルブは何個もついています。危ないから。そうなっていることを知っていましたから、格納容器を見たときに逃し弁がないので「えっ、大丈夫?」と思いました。
でも「ちょっと待って。格納容器は違うよな」と考え直しました。原子炉圧力容器はいいのですよ。圧力容器はそこから圧力を逃がして格納容器の中に吹けばいいのですけれども、格納容器は放射能を閉じ込めるので外に出してはいかんわけです。
そうするとガス抜きできないという立場なのですよ。そうすると設計気圧が4コンマ幾つとか、3コンマ幾つとか言うのですけれども、それって絶対的なのです。絶対に越えてはいけない。それって結構、厳しくて、真剣に設計を見ていたわけです。

その時に何年もしないうちに、1992年にはもう言われていたと思いますが、社内で安全担当というのがいます。それが技術の上流側にいるわけです。その安全担当が来て、今ある格納容器は何気圧まで、何度まで持つのか。「言え」と言うのです。
「言え」たって、そんなのは「設計は3コンマ幾つ、温度は171℃」とか説明するわけです。当たり前じゃないですか。それを越えるなどありえないのです。
ところがそれを何とかという意味は、システムがうまく作動しなくて、本当は緊急炉心冷却系、ECCSで、配管破断が起こった時にそれで水をぶち込む、それが何個もついているのだけれど多重故障を起こしてみんな停まってしまう。
そうなると冷却できなくなって温度が上がっていく。そうすると格納容器がぶっ壊れたら大変なことになるので、どこかでガス抜きしなくてはならない。それを決めるのに「どこまで持つか、頑張って欲しい」とこう言われたのです。

私も「設計では・・・」と言ったけれども事情を聞くと仕方がないかなと思って「ではどれぐらい持って欲しいの?」と聞いたのです。そうしたら「設計圧の3倍、温度300度」まで持って欲しいと言う。僕は即座に「No!とても怖くてできない」と言いました。
「だったらどれだけ」と言われて、バナナのたたき売りみたいなことをやって、私が「エイヤっ」と、計算せずに「2倍」と言いました。設計圧の2倍です。
理屈は立つのです。うまくいくと設計圧の2倍ぐらいまでは持つだろうと技術的には見える。もちろん絶対とは言えませんけどね。蓋然設定で一般的にはそれぐらい持つと言ってもおかしくはない。それでバーンと壊れるということはないでしょうと言える。
温度も200℃ぐらいまでいけるだろう。それでもってそこまでの証拠を計算したり実験したりして出して、それを根拠に格納容器のベントが決まったのです。そういう経緯ですね。

守田
それを考えるときに、後藤さんとしてはある意味で脅迫されたみたいなものだったとおっしゃっていましたが・・・

後藤
そうですよ。私など、格納容器を設計する立場から見たら、与えられた設計の条件、圧力とか温度とか、地震ならこれだけの地震があると与えられて、それに基づいて設計するわけですから、それを越えたときにどうこうと言われるのは心外なわけです。
困るのです。責任が負えないのです。ただ責任論では済まされない状態、自分がそこにいる以上、そして格納容器が壊れることがあることが分かった以上、どうしようもないでしょう?そうなるとどうしてもいやいやベントを付ける方向に行くのです。
しかもその時にフィルターを付けることになっていたでしょう?それを私たちの仲間が調べているわけです。フランスのフィルターはどうなっているかとか。調べてそれを電力会社に出しているのです。
でも伏せてしまったのです。電力会社が。

守田
それは値段の理由ですか?

後藤
いや、値段もあるけれどもそれだけじゃない。一番の理由は、当時のフィルターベント、とくにサンドフィルターというのは直径が大きいのです。格納容器よりもでっかい。非常に広い面積で砂で濾すのです。
だから上から見たときに新しいプラントが一つできるようなものだったのです。そう見える。それが嫌だったのです。目立つから。というのが一番の理由で次にお金の問題がありました。付け始めると大変だ、資金がないと思ったのかもしれませんね。
アメリカはそういうことはやらない。

守田
そういうベントなどを後付で付けなければいけないとなったときに技術者のお仲間とはどんな討論をしたのですか?

後藤
立場が違うので、私は格納容器をやっていて、ベントのシステムはシステムでそちらをやる連中がやっているわけですね。だから打ち合わせなどはしますけれど。
それぞれの役割で自分たち的にはこうするしかないなということでやってきているのです。ただシステム全体として見たときにそれが最適かどうかというのは難しくて、実際、私もベントのシステムを今になってみるとこれではやばいなと思うのです。
機能しない可能性が高いものになっていたので。当時は私はそのことは分かっていませんでした。ただ、とにかくフィルターを付けないのはひどいことだと思っていました。

続く

*****

守田解説

後藤さんはベントの条件設定の話は「脅迫みたいなものだった」とおっしゃられました。その点についての僕の質問に「どうしてもいやいやベントを付ける方向に行った」と述べられています。
これは格納容器が壊れるうることが分かった以上、最悪の破局に至らないためにベントをつけるしかない、その場にいてしまった以上、せめてもそれで破局を避ける方向をとる以外に選択肢がなかったことを指しています。
ただ後藤さんはそれですべてを良しとしたのではまったくなく、このようにベントを付けなければならないことの矛盾そのものを然るべき時に告発すべきだと決意され、準備を重ねられました。
そのため会社の中では、こうした思いを何かの発言の中でうっかり漏らしてしまわないように細心の注意を働かせていたそうです。

こうして田中三彦さんなどのお仲間などとも相談や意見交換を繰り返しながら見解を練られ、満を持して多くの方の前に登場し、原発の抱える構造的矛盾を明らかにされたのが福島原発事故の直後だったのでした。
そこでの発言は、多くの方に原発事故がいかに進展しつつあるのか、技術的には何が問題なのかを、冷静に捉え、自らの行動を決するための貴重な情報源となりました。その点をここで付記しておきたいと思います。
なおこのようにこれまで原発の設計、製造サイドの現場でどのようなやり取りがなされていたのかということについては、今後、さらに後藤さんからレアなお話をうかがい、みなさんにお伝えしていきたいと思います。

連載はまだもう1回続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1124)川内原発再稼働の危険性と「過酷事故」の曖昧化の問題(後藤&守田対談よりー2)

2015年08月19日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150819 09:00)

後藤さんとの対談の続きをお送りします。
今回は川内原発の再稼働に触れていますがポイントは2つです。

一つは今回は再稼働にあたって「過酷事故」を起こしうることを前提とし、それに備えるとなっているわけですが、その場合の過酷事故とは何かということがきちんと明らかにされていない問題、マスコミもきちんと認識できていないことです。
後藤さんが述べられているのですが、正確には新規制基準では「重大事故」という言葉に「過酷事故」が置き換えられている。この点の矛盾についてやりとりを行いました。
もう一つは川内原発が4年も停まっていたということ。それほど長く停まっていた原発を再稼働することに技術的にはどんな問題があるかという点です。
どちらも非常に重要なポイントでありながら、あまり指摘されていない点で、僕自身もっと広めなければと思っている点です。この重要なポイントをつかんでいただければと思います。

*****

 福島原発事故からつかむべきこと
 2015年8月14日 後藤政志&守田敏也 対談 東京品川にて
 https://www.youtube.com/watch?v=TKJNkgNOgaI&feature=youtu.be

2、4年停まっていた川内原発再稼働の危険性と「過酷事故」の曖昧化の問題
(9分23秒ぐらいから)

守田
今回の川内原発の再稼働についてですが、あれはまだ正確には再稼働と言わないのかな、いやすでに発電も開始したのですかね。

後藤
臨界はしてますからね。今日(守田注、8月14日)発電にも入りました。
でも2年近く、1年11カ月停まっていたわけです。

守田
川内原発は4年ですね。

後藤
川内原発はね。1基も動いてなかったということでは1年11カ月でした。

守田
実は僕はそこで「原発ゼロ状態からという数え方はやめよう」と言っているのですよ。

後藤
ああ、そうですか。なるほど。

守田
今の政府は「原発ゼロ状態」を無くしたいのだと思うのですね。「動いているよ~」ということで。でも僕の計算で今、平均で4年4カ月停まっているのですね。柏崎など8年停まっています。
そういう意味ではこれだけの多くの原発を民衆の力で停めているわけです。

後藤
そうですね。それは大きなことですね。

守田
もちろん「ゼロ状態」では無くなったわけですけれども「ほぼゼロ状態」と言って良いのではないでしょうか。

後藤
私もそう思います。問題なのは結局、事故のリスクから考えると当然運転しなければ安全で良いのですけれども運転してしまうとそこにリスクが生じる。それも数によってどんどん増えていくわけですよね。
ところが規制委員会は、今まで「安全なもの」とは言ってないわけです。

守田
ひどいですよね。

後藤
安全なものと言いきらないということで規制があるということは、例をあげると飛行機で事故があって「その飛行機は安全ですか」と聞いたら「いや、一応基準は満たしているけれど安全とは言えない」という表現になるのですよね。
そういうことを聞いたときに「安全と言ってくれない飛行機に乗りますか」という話なのです。私は当然乗る気にならない。ところが原子力はそれで平気でいるのです。これは理解不能ですね。

守田
その点ではどうしてもマスコミ批判になってしまいますけれども、シビアアクシデント(過酷事故)とは何であるかということを、きちんと報道してくれないので、何か「もの凄い事故」みたいなイメージになっています。
しかし後藤さんがおっしゃったように過酷事故とは「設計士お手上げの事態」、「設計上の想定を越えている」ということなわけで、その点がもっときちんと認識されなければと思うのです。

後藤
今回の規制委員会の一番の罪の一つがそこにあります。もともと「設計基準事故」というものがあります。原子力はご承知のように配管が切れるとか事故も設計の想定内にあるのですね。配管が切れたら緊急炉心冷却装置があって冷やすとかそうなっています。
それが設計で、それを越えてしまうのがシビアアクシデントで日本語で「過酷事故」と言っていますが、あれ、今は「重大事故」と言われているのです。昔は「重大事故」は意味が違ったのですよ。スライドしている。
そこには言葉の影響をなるべく少なくするという思いがにじみ出ているのです。ですから私は「重大事故」という言葉はカッコつきでしか使ってないのです。過酷事故、シビアアクシデントと言っています。向こうに通じなくてはいけないときは使いますが。

守田
再稼働の問題でぜひ後藤さんにお聞きしたいことがありまして、今回停止が4年を越えているのですね。ちょっとニュースソースを思い出せない情報なのですが、3年以上停まって動かした例が世界で7例しかないそうです。
それらは全部、動かしたあとで何らかの事故を起こしているそうです。素人考えでも機械は動かしていなければどんどん動きが悪くなりますよね。(守田注、ニュースソースは「ブルームバーク」。2014年8月10日配信。ただしその後に記事に訂正が施され「国際原子力機関や米国、カナダの規制当局のデータによると、最低でも4年間停止した原発の運転が再開されたケースは世界で14基。そのすべてが運転再開後にトラブルに見舞われている」と書き改められた。ネット上のアドレスは以下の通り。http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NS4J5H6JIJUR01.html)
そういう意味では、もちろんこんなことはやってみないと分からないことであって、なかなか予想はできないことでしょうけれども、技術者の観点からして、4年停めておいた原発を動かすと言うのはどういう意味を持つのでしょうか。

後藤
当然ですけれども、そもそも停まっているプラントを立ち上げるということ自身が、ある種のトライなのです。ものが壊れている可能性もあるし、ミスってバルブを開け忘れている可能性もある。
スリーマイル島事故などはそうですからね。点検の時に給水ポンプのバルブを開け忘れたのです。それで立ち上げてしまって事故が起こってしまった。そういうリスクもあります。だから立ち上げるときはそれなりの緊張感があるのです。
さらに今、おっしゃったように4年も停まっていると、結構、長いので、プラントの水が溜まっているところ、つまり水が普段、流れているところと溜まっているところがあって、場所によっては腐食環境になりやすい。
そこで4年も淀んだまま腐食が進んでいることがないとは言えません。そうするとそれをきちんと検査をしたのかということになります。
建前は検査をやることになっているのだけれど、実際にはすべてが検査にかかるとは限らない。実際には欠陥とかあったときに運転してみて、「ボン」となって慌てて欠陥が分かるということもあるのです。

美浜の3号機で昔、タービンのところの配管が切れたのがそうです。厚さ10ミリのものが1.4ミリまで減っていた。そこに流れが当たってぐっと力が生じたときに破裂したわけです。
普通は「10ミリあるものが2ミリ以下に減ってくるまで気が付かないことがあるのか」と思いますよね。でも現実にはそういうことがある。管理が間違っているということなのです。
物事を「建前としてこうあるはずだ」と考えていると事故というのは分からない。事故と言うのはそういう形で起こるのです。そういう潜在的な欠陥が生じやすいのが4年です、ということになります。

守田
僕の試算では平均して4年4カ月停まっていますから、ほとんどの原発は、もちろんあらゆる原発の再稼働を認めるものではありませんが、例えそこに持って行ったとしても、再稼働するだけでもう技術的に危険があるのではないかと思うのですが。

後藤
そうですね。問題なのはとにかく「分かる」、「何々を調べれば分かる」ということに頼らざるを得ないのですけれども、現実はそうではないと見るべきだということです。
これは安全の議論の根幹にあることなのですけれども、何かを調べて確認をするというのはもちろん必要でやるのですけれども、安全の概念から言うと、全部、くまなく調べたと言うのが前提なのです。
それをしてないと、どこかに見落としがあるとお終いなのですよね。本当はね。それが安全の一番難しいところで、検査をしたから、例えば地面の下を調べて「活断層がないことを確認しました」と言っても、本当にないことを確認しきれない。
欠陥も同じなのです。見落としたものがその場では分からない。運転をして初めて欠陥が出てくる、というのが怖いところなのです。潜在的な欠陥が顕在化する、それが事故ということなのです。

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1123)福島原発事故からつかむべきこと(後藤政志&守田敏也対談から)-1

2015年08月18日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150818 17:00)

8月7日から14日まで講演ツアーに行ってきました。
まず7日に兵庫県篠山市原子力災害対策検討委員会に参加し、その後に特急と新幹線を乗り継いで名古屋に。一泊して翌朝、バスで飯田市向かい、伊那大島駅でピックアップしてもらって大鹿村に到着。「お山の上でどんじゃらホイ」で発言しました。
その日の夜は大鹿村や松本に移住している福島原発事故避難者の方や、保養キャンプを担っている方などが集っての座談会のコーディネートも務めました。

10日にお祭りに参加していた群馬ツアーの主催者、阿左美あすかさんが車に乗せて下さり、一路、群馬県玉村町へ。夜は堀越啓仁さんのお宅に泊めていただきました。
その後11日玉村、高崎、12日榛名山麓の榛東村、渋川市と講演し、13日に桐生市のレンガ蔵でたくさんの出店者も迎えて午前、午後と2回講演。とてもたくさんの方と交流し、とても充実した時間を過ごせました。
群馬ツアーについてはまた後日、報告をアップしたいと思います。

その後、14日に東京に出て品川で尊敬する元東芝格納容器設計者、後藤政志さんにお会いし、ユースト上での対談を行いました。
後藤さんから、今後、原発の危険性、再稼働の無謀性などを広げていくためにコラボしていこうと呼びかけていただいてのことです。とても光栄です。
今回は初めにということで30分ほど対談し、後藤さんと知り合った馴れ初め?や、僕が後藤さんの何に注目してハイライトして来ようとしてきたのか、それを後藤さんがどう感じられたのか、また今後、こうした見解をいかに広げるのかなどお話しました。
せっかくですのでこの場に文字起こしを含めて紹介しておきます。ぜひご覧下さい。なお撮影は後藤さんの主催するAPASTに参加している澤口佳代さんが行ってくださいました。

30分の書き起こしですが長くなるので何回かいに分けて掲載します。タイトルは僕が独断で付けました。

*****

 福島原発事故からつかむべきこと
 2015年8月14日 後藤政志&守田敏也 対談 東京品川にて
 https://www.youtube.com/watch?v=TKJNkgNOgaI&feature=youtu.be

1、格納容器にベントがあることが根本的矛盾だ

後藤
みなさん。こんにちは。後藤政志です。
今日は大変素晴らしいゲストをお呼びしています。ご存知の方も多いと思いますが、フリーのライターの守田敏也さんです。
実は守田さんは、群馬の方で3日間講演されたそうで、その帰りに東京を通られるということでぜひ寄ってくださいと声をかけさせていただきました。
今日はどうもありがとうございます。

守田
ありがとうございます。

後藤
守田さんと私が知り合ったのはどこからでしたっけ?

守田
2011年の福島原発事故があったとき、もともと私には「原発事故があったら政府は絶対に人を逃がしてくれないだろう」という強い確信がありました。
そのためもし自分に近い原発だったら自分が逃げる。もし自分から遠い原発だったら人々に危険を伝えると心に決めていたのですね。それで福島原発事故のときに、僕はこれは人々に危険だという情報を出さなければいけないと思いました。
ただそのときに、リアリティをもって原発がどのような状態になっているのかということをつかまなくてはいけないし、僕自身も知りたかったわけです。
そのときに後藤さんが原子力資料情報室で次々と会見をしていただいて、その内容が一番的確に刻々と起こる事態を把握していらっしゃるなと思って、これを一番に伝えなくてはいけないと思って次々と文字起こしをしてブログにも載せさせていただきました。
その後に京都の同志社大学でエントロピー学会があった時に、僕はぜひお会いしたいと思って参加して、それで初めてお会いしたのです。

後藤
私も思い出すのは、確かに311の直後は私も必死でですね、私の分かっていることは全部話をしたい、だけども難しいのは、どれだけの被害だから逃げるべきか、その辺になってくると価値観が入ってくるので非常に悩んだのですね。
私自身は技術屋なので、技術的に分かる範囲のことをできるだけ正確に出して、あとはみなさんに判断していただくというスタンスでした。

守田
私もあの時は「逃げろ」と言っても一方で救助隊が津波の被害に対して入って行くときでしたから、相当悩みましたね。悩みましたけれどもやはり破局的な爆発になる可能性もあると思ったので、やはりそれは伝えなくてはいけないと思いました。

後藤
あの時のことで思い出すのは、テレビであるとか、一般に出ている報道があまりにひどすぎました。意図的に隠しているというよりは分かってないという感じがしましたね。
テレビに出てくる専門家も、もちろん分かってらっしゃる方もいるのだろうけど、かなりの人が分かってない感じがしたのですね。
これは今は大分常識化しましたけれども、結局、ああいうことは肩書で語っても仕方がない。中身の問題ですね。私だって同じで、あるところは分かるけれどもあるところは分からない。
格納容器とかハードのところは分かるけれども、ちょっと外れたら分からない。当然なんですけどね。そういうごく当たり前のことが情報として出てくるかどうかが大切だと思いましたね。

守田
あの時、それまでに原発に反対してきた多くの方も話されました。もちろんそういう方は原子炉の基本的な危険性ということはきちんと訴えられていて、僕などもすごく学ばさせていただきました。
でもやはり自らが設計したわけではないので、リアリティを持ってどう進行しているかということを分からないのは当然だと思うのですね。
なのであのとき、後藤さんの発言は、多くの方が起こっている事態を冷静に捉えながら、自分の行動の指針を打ち立てる上で役に立ったと思うのですね。

後藤
そうおっしゃっていただけると嬉しいのですけれども、守田さんがおっしゃったようにその後にずっとブログとかで私の書いたものも随分、書き起こして下さいました。
それを見させていただいて、なかなか自分で話したことを文章にして読むことは少ないですから、それがあって随分助かったのですね。もう一度自分で読んで、「あ、ここは違うな。もっとこうした方が良い」とか咀嚼できるのですね。
その時に私が感心したのは、実は他にもそういうことをしてくださった方はいるのです。しかしそう言っては何ですけれども中身のレベルが違うのです。
守田さんが捉えて出した内容と言うのは、僕が一番、訴えたいところをずっとなぞってくださった。それで僕は一度守田さんとお会いした方がいいなと思ったのです。

守田
嬉しいです。

後藤
同じことを語っても、例えば技術のことをしたとしても、リアリティとおっしゃいましたが、本当にそれが大事なのですけれども、リアリティを持って語った、でもそれがボツなものであれば、原子力が何であるかと言う本質に迫れないと思うのですね。
僕がそれがどこまでできているのかは分かりませんけれども、気持ちの中ではずっとそこを追いかけてきたと思うのです。そのときに守田さんが安全の基本とかそういうところをすごく追いかけて下さったのですごく嬉しかったのです。
一番の理解者だと思っています。

守田
それはとても嬉しいです。光栄です。
僕が内容のことで一番、伝えなくてはいけないと思ったのは「ベント」のことですね。多くのその時の論調は「ベントはちゃんとやれたのか」みたいなものでした。基本はそうなっていました。
あるいは今でも「ベントはちゃんとつけたのか」みたいな話になっていることに対して、後藤さんは「ベントは格納容器の自殺行為である」「放射能を閉じ込めるための格納容器を守るためにそこに穴をあけるというのは抜本的矛盾だ」
「ベントがあること自身がプラントとしてダメなんだ」とおっしゃられました。今でもそうなんですがそこをマスコミがなかなかちゃんと書いてくれない。

後藤
今も川内原発の再稼働の問題があって、鹿児島県の伊藤知事がおっしゃっていました。「世界に冠たる規制をしていて、福島のような事故は起こらないし、仮に起こったとしても出てくる放射能は福島の1000分の1だ」と、そうおっしゃったのです。

守田
「命の問題は起こらない」ともおっしゃいましたね。

後藤
そうなんです。1000分の1というのは何なのかなあと思ったのですが、あれは多分、格納容器が壊れないことが前提なのですね。格納容器が壊れると桁が違うし、福島どころじゃすまないのですね。
つまり「そういうことはありえない」とおっしゃっているわけですね。私はそこが一番納得がいかない。なぜかというとまさにそれがベントの話なのです。
格納容器というのは何があってもどこまでいっても、最後はその中に放射能を閉じ込めて収束する、それ以上は圧力や温度が上がらない状態があるのだったら良いのです。認めます、そういうことも。
ですけどほおっておくと確実にいくんですよ。(守田注、いくとは格納容器が壊れること)全部、時間の問題で。うまくいくかもしれないけれどもダメな時はいっちゃうのですね。加圧水型でも(格納容器が)大きくても同じなのです。
そういうときに「格納容器があるから」という発想は成り立たない。でもチェルノブイリの時にも言ってましたよね。「日本の原発には格納容器があるから」と、とんでもないことを。
爆発が起こった時には格納容器があろうとなかろうと吹っ飛んでしまうわけですから。そういう非科学的で工学的にも間違っていることをみんな言っていたのです。その中における格納容器でありベントの問題なのです。

続く

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1122)美しい山河を守るために(愚かなリニア新幹線計画を止めよう)

2015年08月09日 11時02分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150809 11:02)

(この記事は8月9日に書いたものです。標高1700メートルのキャンプ場にいて電波が通じなかったので、ネットにアクセスできた8月11日に投稿します)

 

 長野県伊那谷の大鹿村で行われている「お山の上でどんじゃらほい」に参加しています。ここは電波が届かないところなので投稿は下界に降りてになります。

 今日は8月9日。長崎に原爆が投下されてから70年の日です。

 お祭りでは原爆投下時間の11時02分に黙祷を行い、続いて長崎出身の「風月の純」さんが、詩の朗読を行ってくれました。

 純さんは爆心地にあった浦上天主堂について語られました。広島の原爆ドームと同じように、浦上天主堂は被害を受けたままに残すべきだった。そして世界遺産にすべきだった。

 黒こげになった天使たち、ケロイドをおびたマリア像、それをそのままに残し、原爆ドームのように祈りの場とすべきだった。しかしアメリカが教会を惨く破壊した事実に耐えられずに建て替えを押し進めたのではないか。

 自分はあの時の浦上天主堂を見た最後の世代としてこのことを語り継がねばならない。

 なるほどなあと思いました。そういう視点で浦上天主堂を見た事はありませんでした。この点はもっと掘り下げてみたいと思います。

 なお純さんの詩はあとからファイルでいただけることになりましたので、入手次第、この場で掲載させていただこうと思っています。

 

 僕自身は昨日8日午後2時から「戦後70年、この国はどこに行く?」というタイトルでお話しさせてもらいました。この夏、一番伝えたい課題である「戦争と原爆と原発と放射能被曝」の太い関係性をメインに話しました。

 大鹿村特有の課題としてはこの町を「貫いて」作られようとしているリニア新幹線についても触れさせていただきました。今ここではリニア新幹線のことに触れておきたいと思います。

 

 リニア新幹線は東京から大阪に向けて作られようとしている巨大プロジェクトです。そのうちの東京−名古屋間が2027年までに作られようとしています。

この間の総距離286キロのうちなんと86%の250キロがトンネルで作られようとしています。南アルプスの下を通り、大鹿村付近で出てきて飯田市に駅を設けようとしています。とんでもない計画です。

 大鹿村ではトンネル堀によって東京ドーム3個分の残土が出てきてします。そうなるとトラックによる運び出しが必要であり、なんと最大で一日1736台のトラックが大鹿村から中川村を通ることになります。人口1100人余り村の中を1日2000台近いトラックが走り回るというのです。それだけでも村の生活が抜本的に破壊されてしまいます。

 そもそもリニアは現行の新幹線と比べてエネルギー効率が大変悪く、JR東海の控えめな計算でも3.5倍もの電力を必要とします。その意味では原発の再稼働や増設とセットの計画です。

 僕が述べたのはこんなものは実現不可能であり、必ず失敗するということです。何よりこんな長いトンネルなど人類は掘ったことがありません。その間の地殻がどうなっているか分からないことが多すぎます。

 とくに南アルプス付近はJR東海自身も難工事を認めているところです。トンネルからの上にもっとも多くの土があることになるところでは1400メートルも土が堆積していることに上になります。そんな難工事が簡単に進むはずがない。

 しかもこの地域は山々に降る膨大な水をたたえた巨大な水源です。トンネルは水瓶に穴をあける工事で、何が起こるか分からない。各地で水涸れが起こる可能性もあります。

 そもそもトンネル工事には「掘ってみなければ分からない」要素がたくさんあると言われています。しかも高速が売り物のリニア新幹線ではトンネルは長距離にわたってまっすぐに掘られなければならない。掘り進んで途中で迂回することが困難なのです。

 その上、たとえ完成しても営業的に採算が取れる補償すらないのです。JR東海の試算によれば、なんと見込まれる集客の62%は東海道新幹線の乗客からの移行だとされています。なんのことはない。JR東海としてはその分、現行の新幹線の客が減ってしまうだけなのです。このため前の社長自身が「リニア新幹線はペイできない」という重大発言を行っています。

 

 技術的に難問山積で不可能性が高く、絶大な環境破壊が確実に起こり、さらに採算割れしかのぞめない、にもかかわらずこの計画は進められようとしています。なぜか。日本の企業や政府、官僚の中枢のモラルが地に落ちているからです。株が上がって今、てっとり早く儲かればいい。後は野となれ山となれ。そんな状態だからこそ、こんな計画が進められようとしているのです。

 しかし大事なのはこの国の中枢の人々がモラルハザードに陥り、とんでもないことがあちこちで行われている事に、今、ようやくこの国に住まう人々が気付き始めている事です。福島原発事故がそれを大きく促進しました。最近では東京オリンピックに向けた新国立競技場建設でも、あまりにひどい計画が進められていることに人々が気づき、批判が高まって政府に建設断念を発表させる事態になりました。

 僕はリニア新幹線でも同じ事が起こりうると思っています。計画を前に進めれば必ず杜撰さや不可能性がもっと表立ってきます。そのとき可能な限り早く人々の覚醒を呼び起こすことができればこの計画も止めることができます。繰り返しますがあまりにひどい計画だからです。

 

 ではそのために何が必要なのか。第一にリニア新幹線の技術的な問題点の暴露、周知を行うことです。これについては多くの方々がすでに論陣を張っています。さしあたってあげられる参考文献として2014年10月発表の『日本の科学者』を紹介したいと思います。

 また「リニア・市民ネット」が出している『リニア中央新幹線は疑問がいっぱい』というリーフレットも参考になります。同団体のアドレスを紹介します。

http://www.gsn.jp/linear/linear.html

 

 これらを前提としつつ、僕がお祭りの場で述べたのは、リニア新幹線が貫通しようとしている南アルプスの自然の素晴しさ、貴重さです。

 そもそもこの地域がなぜアルプスと命名されたのか。名付けたのは明治時代にここを訪れたイギリス人鉱山師のウィリアム・ゴーランドですが、「日本アルプスの父」と呼ばれたイギリス人宣教師で登山家でもあったウォルター・ウェストンが何度もヨーロッパにこの名を紹介する事で定着していきました。ウェストンはスイスアルプスに匹敵するものとして日本アルプスを捉えましたが、その多様性については世界に並ぶものがないとも称しています。

 なぜか。日本列島と比較した時、ヨーロッパアルプスは緯度が北にあり、氷河を抱えています。または氷河期の影響も強く受けており、そこからまだまだ回復の途上にあります。また地質もあまり変化がなく単調です。これらのためヨーロッパアルプスは樹木の種類が単調で、変化に欠けるのです。

 

 これに対して日本列島は緯度が低く、温順で生物が生息しやすい環境が整っているとともに複雑な自然条件に恵まれています。その中でも日本アルプスは非常に複合的な地帯としてあるのです。

 日本は全体として温帯性気候の中にありますが、その中にも暖温帯と冷温帯の違いがあります。それぞれ代表する樹木は常緑広葉樹と落葉広葉樹です。ブナ科のカシやシイ、ブナやミズナラ、コナラなどです。日本アルプスはこれらの木々が大きく混交する地域です。

 常緑樹は葉があつくテカテカしている。落葉樹は葉が薄く陽を通しやすい。そのため違う輝き方をする。夏でも山に大きな変化をもたらします。

 しかも山は上に上がるほど温度が低くなるので、高度によってもこれらの木々の分布が変わってきます。さらに高く登っていくと気候帯的には亜寒帯に入るため常緑針葉樹、落葉針葉樹も出てくる。このため山々の様相が歩くにつれ、あるいは登るにつれてめくるめく変わり、非常に豊かなのです。

 この上に日本海側気候と太平洋側気候の違いもある。降水量が夏と冬で真反対になります。とくに日本海側からはジェット気流も流れてきます。日本海の湿った空気を取り込んだこの気流は冬に世界でもまれなほどの降雪量をもたらします。降り積もった雪は雪渓を形成し、天然のダムとして麓に安定的に水を供給し続ける。命の源の水が豊富に与えられるのです。ちなみに日本と同じ緯度帯で雪渓が形成される国は他にほとんどありません。

 ジェット気流はまたヒマラヤの山々から高山植物の種をも運んできます。このため緯度的にも高度的にも高山植物が生息し得ない条件ながら、数々の可憐な花が日本アルプスで咲き誇るのです。

 反対に太平洋側では夏に繰り返し台風がやってきてたくさんの雨を降らせます。暴風雨の中で育つ木々は特有のたくましさを持ち、生命力のにおいたちのようなものすら感じさせます。頻繁に台風の襲来する三重県の伊勢神宮などを訪れると、この命の燃え立ちのようなものを木々の姿から体感することができます。これは葉が薄いためにたくさんの光を通し、明るく優しい空間を作り出してくれる日本海側のブナ帯などとの著しい違いです。

 日本列島の中腹に位置する巨大な山岳帯である日本アルプスはこの両者の違いもが合わさる位置にあり、それぞれに適合した樹木が混交しています。このことも山容の彩りの複雑さを強くしています。

 これらの気候の豊富さ、樹木の豊富さが、生物の多様性をもたらしています。例えば木の種類が豊富なことでそれに見合ったたくさんの種子=ドングリが大地に落ちます。これをたくさんの生き物が利用しています。ネズミなどの小動物からしかや熊までたくさんの動物が多種多様のどんぐりの恩恵を受けている。

 また400種類を超える蝶やがそれぞれのドングリに卵を産みつけ、孵化に使っています。種類が豊富であり、高度や気候帯で違った種子が散布されることにより、これを利用する生き物の種類も豊富になります。こうして実に複雑な生態系が生み出されています。

 さらにこれだけ降水量が多いこの国を豊富な木々がたくさんの水を山に湛えてくれることで水の穏やかな流れが作り出されている。そのことが私たち人間の里の生活をも支え続け来ているのです。

 リニア新幹線は、こうした私たちの山河の豊かさ、素晴しさ、ありがたさを破壊するものであり、その自然への畏敬を失ったあり方をこそ、僕はもっとも批判しなければいけないと思います。

 

 同時にこの美しい山河はけして太古よりそのままで受け継がれてきたものではありません。日本では古来より常に営々と植林が続けられてきた。この国の祖先たちは、山々を守る中でこそ私たちの生活があることに古くからきづき、山と森を大事にしてきたのです。これらが山岳信仰などとして現代にも受け継がれています。

 さらに戦後の歴史を見るならば、このような植林の習慣が山里の人々に受け継がれ、山と森を守る努力の連なりの中で、今の私たちの里の生活の安定があることを知る必要があります。

 今、日本の森林率は67%です。世界でダントツの森林率と森林面積ですが、第二次世界大戦の直後を見てみると、戦争のための物資調達で森林面積が50%近くまで落ちていた事が分かります。

 そうなるとどうなるか。世界有数の降水量を誇るこの国で山が荒廃すれば降り注いだ雨は急峻な山々を駆け下りてしまい、必ず下流に大規模な洪水をもたらします。事実、戦後日本では被爆から6週間あまりたって広島、長崎を襲った枕崎台風による大水害、伊勢湾台風による大洪水等、大変な水害が頻発していました。山が乱伐によって荒れ果てていて、保水力が低下してしまったため、山々の表面に降った水がそのまま麓の人々を襲ったのです。

 

 こうした状態を前に、山里の人々は永続的に植林を行ってきました。せっせと山を元に戻そうとしてきたのです。そのために破局的な洪水はだんだんに少なくなり、里の穏やかな生活が戻ってきました。いやそれだけではありません。その後の高度経済成長を支える豊富で安定的な水の供給も、山が安定性を取り戻すなかでしか絶対に実現できない事でした。工業は膨大な水を必要とするものだからです。

 

 繰り返しますが、日本アルプスはこれほどに豊かで美しい日本の山河の中でももっとも変化に富んだ複雑な山容、樹木や生物の豊かな分布を誇るところです。この国に住まう人々、いや世界中から訪れる人々にとっての大事な自然遺産です。

 リニア新幹線はこの世界中の人々がうらやむほどの宝物を自らつぶしてしまうあまりに愚かな計画です。それがモラルを欠いた一部の人々によって押し進められようとしているのです。どうしてこの計画をこのままでおくことができるでしょうか。

 

 私たちは山河に感謝し、かつこの山河を私たちに残してくれた人々、先人から伝えられてきた努力と知恵の総体にこそ感謝し、謙虚な気持ちで遺産を受け取り、それが借り物であって次世代に必ず受け継がなければならないことにこそ目覚め、日本アルプスを、日本列島の美しい山々と森を守っていかなければなりません。そのための声がここ大鹿村から響いていって欲しい、多くの人々に届いて欲しいと僕は思うのです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1121)戦争と原爆と原発と放射線被曝の太い関係性をつかもう(長野、群馬、東京でお話します)

2015年08月07日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150807 09:00)

本日、これから講演ツアーに出発します。
まず今日は兵庫県篠山市に赴き、原子力災害対策検討委員会会議に参加。そののちに特急と新幹線、バスを乗り継いで長野県飯田市に赴きます。
明日8日は伊那谷の大鹿村で行われているお祭りに参加しお話します。
なおこのお祭りはネットなどでは告知していません。参加希望の方は守田までご連絡をください。

お祭りの終わる9日に長野県から群馬県に移動。11日から13日まで各地でお話します。
11日は玉村町で13時からと高崎市で19時から。玉村ベースとSLOW TIMEで開催です。
12日ははるな山麓の榛東村で15時からと渋川村で19時半から。はるな山麓・農cafeとYeS,ToRino cafeで開催です。
13日は桐生市で10時半からと13時半から。ともにレンタルホール れんが蔵で開催です。
11,12日のお話と13日のお話は内容を変える部分もありますので、可能なら両方ともお越しください。
群馬のみなさん、近隣のみなさんのご参加をお待ちしています!

群馬でのお話を終えて14日に東京に赴きます。
午後にかつて東芝で格納容器を設計され、福島原発事故以降、誰よりも的確に原子炉の中で起こっていることを推論し、的中させつつ、問題点を明らかにしてきたくださった後藤政志さんとお会いし、ユーストリームで対談させていただきます。
後藤さんに呼び掛けていただいて実現の運びとなりました。なんとも光栄なことです。期日が近付いたらユーストリームのチャンネルなどをお知らせします。

その後、緑の党グリーンズジャパン東京事務所(高円寺)に赴いてお話することになりました。
午後6時からの開催です。
これを終えて、最終の新幹線で京都に戻るつもりです。

当面する講演予定は以上ですが、講演を行いながら可能な限り「明日に向けて」で「戦争と原爆と原発と放射線被曝の太い関係性」について発信をし続けたいと思います。
ぜひ戦後70年、アメリカと日本政府に騙され続けた歴史を打ち破り、核の時代を終わらせる道をこの夏にこそ大きく切り開きましょう。
僕はそれでこそ、戦争を繰り返してきた野蛮な人類前史を閉じ、友愛を基調とする人類後史へと移行する大きな転換点を開きうると思うのです。

以下、群馬と東京でのスケジュールをお知らせします。

*****

3世代先の未来を考えよう!~楽しく健康に生きるためには~
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/events

アースディ群馬inまえばしで京都からお呼びしたフリーライターの守田敏也さんによるお話し会ツアーを開催します。

今年はちょうど原爆から70年の節目の年になります。
そもそもの内部曝問題は、原爆投下からつながっている為、集団的自衛権や戦争の問題もからめてのお話し会なっております。


8月13日(木)
【レンタルホール れんが蔵】
〒376-0007 群馬県桐生市浜松町1-14-23
OPEN10:00 1回目 START10:30 2回目 START13:30 資料/¥300
FOODやDRINK、雑貨などマーケットもございます。

ima
natural care Baume
Yammy's Chicken
チャイ屋 ヨギー
セーフティショップまなべ
ともくさ農園
HAND
MIRUKA
popin
火ノ鳥
kiosuki
nanaco candle
LIVE PAINT
なまけもの
 
 ========================
      
群馬ツアーとなっております。その他、開催場所になります♪

8月11日(火)
【玉村ベース】
〒370-1124 群馬県佐波郡玉村町角渕2035
TEL 080-3557-6464
OPEN12:30  START13:00  ¥500/1ドリンク

【SLOW TIME】
〒370-0827 群馬県高崎市鞘町82番地-2F
TEL&FAX 027-325-3790
http://slowtime-cafe.com/
OPEN18:30 START19:00   ¥500/1ドリンク
*お食事もできます!
       
8月12日(水)
【はるな山麓 農cafe】
〒370-3501 群馬県北群馬郡榛東村長344
TEL&FAX 0279-55-0788
http://noucafe.wp.xdomain.jp/
OPEN14:00 START15:00 1オーダーをお願いします。

【YeS,ToRino cafe】
〒377-0004 群馬県渋川市半田1834-137
TEL 0279-51-9249
https://www.facebook.com/yestorinocafe?pnref=lhc
OPEN18:30 START19:30 1オーダーをお願いします。
*お食事もできます。

*****

戦争と原爆と原発と放射線被曝のつながりを「内部被曝」から捉えよう!―守田敏也さんに聞く
https://www.facebook.com/events/1684456815108496/

日 時 8月14日(金)18:00〜20:00
場 所 緑の党グリーンズジャパン事務所(JR高円寺駅北口1分)
参加費 1000円
共催  緑の党東京都本部&社会運動部

戦争法案が強行可決され、私たちは今、戦争への流れとの全面対決が問われる地点に立っています。
同時に原発が再稼働されようとしています。川内原発にはすでに核燃料が装填されました。私たちは再稼働を止めるためにさらに奮闘することが問われています。
広島・長崎原爆で内部被曝の影響は徹底して隠され、人体への放射線被曝の影響を限りなく小さく見せることで、その後の相次ぐ核実験と原発の運転を可能にしてきました。
福島原発事故以降の放射線被曝の影響の過小評価の大合唱も、核戦略と核産業全体の防衛的対処でもあります。
被爆70年のこの夏、戦争法案が強行可決されたこの夏にこそ、内部被曝をキーワードに「戦争と原爆と原発と放射線被曝」の太いつながりを自覚し、二つの運動を一つにして奮闘する必要があります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1120)広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪!アメリカは謝罪すべきだ!

2015年08月06日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150806 22:30)

本日2015年8月6日、私たちは被爆70年の日を迎えました。
原爆で亡くなられたすべての方の魂に対して心から哀悼の意を述べたいと思います。また被爆によって苦しみ続けた来たすべてのみなさんに心からのお見舞いを述べたいと思います。

70年前の今朝8時15分、アメリカは広島市に原爆を投下し一瞬のうちにたくさんの人々を熱戦、放射線、爆風によって殺害しました。
被害は長期におよびその年の暮れまでに14万人が殺害され、以降、原爆の被害によって本当にたくさんの人々が次々と殺されてきました。殺されずとも病を被った人、心身の傷を被った人は数え切れません。
中には被ばくの事実を認められずに来た人、そのまま亡くなった人、またそもそも被ばくに気付かないままに苦しみ続けて亡くなった人、今なお、苦しんでいる人もいます。
この被爆70年の日に、私たちはあらためて広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪であること、アメリカは全面的に謝罪すべきであることを声を大にして訴えましょう!

もちろん戦争犯罪は広島・長崎への原爆投下にとどまりません。東京大空襲をはじめ200以上の都市に対して行われた無差別空襲もすべて戦争犯罪です。
沖縄への空襲と艦砲射撃、その後の上陸作戦による第殺りくも、軍隊を民間人を分けずに攻撃したことによって明白な戦争犯罪です。
およそアメリカは日米戦争の末期、1945年に戦争犯罪を重ねつづけたのであり、そのすべてを謝罪し、真摯に反省すべきです。
私たちもまた真の隣人として、アメリカという国が犯した人道的な罪を告発し、謝らせるためのあらゆる努力を傾けるべきです。

最も大事なことは、この民間人の大量虐殺、しかも長期に影響がおよび、次世代にすら影響のおよぶ可能性のある放射線を使い、人々を長期にわたって痛め続け、殺し続けた罪を捉え返さないことで、アメリカが悪くなり続けてきたことです。
まずアメリカ軍は戦争直後に核実験を頻繁に行い、広島・長崎をはるかに凌駕する放射能を撒きちらし、南太平洋の島々の人々を中心に、世界中にヒバクシャを拡大させてしまいました。
さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などで、核兵器以外の最新鋭兵器をふんだんに使い、無差別爆撃を繰り返し、世界中で虐殺を繰り返しました。猛毒のダイオキシンを撒いたり劣化ウラン弾も使いました。
この殺りくの連鎖は、第二次世界大戦におけるアメリカの戦争犯罪が裁かれず、アメリカ民衆が反省の時を持てなかったことによってこそ拡大してきました。だからこそ今、広島・長崎に戻ってアメリカの戦争犯罪を止める必要があります。

広島・長崎原爆のことに戻りましょう。そもそもアメリカ軍はなぜ2つの原爆を投下したのでしょうか。
理由は2つのタイプの原爆を作ったからでした。広島に落としたのは濃縮ウランによって作った原爆、長崎に落としたのはプルトニウムによって作った原爆でした。
はじめて原爆を作ったアメリカは、ウランの濃縮によって作った方が効率が良いのか、ウランからプルトニウムを生成して作った方が効率が良いのか、どちらか判断できずに2つの計画を同時並行で走らせました。
その結果、2つのタイプが完成したためにどうしても2つ落としたかったのでした。そして投下の結果として原爆製造はプルトニウム型に絞られることとなりました。その意味で2回投下したのは新型兵器のための性能比較テストをするためでした。

さらに犯罪的なことがあります。アメリカ軍は広島に8時15分に原爆を投下しましたが、この時間を狙ったことにも明確な理由がありました。ちょうど朝の通勤時間にあたり、人が最も建物の外に出ている時間だったからでした。
この時間帯にアメリカは効率よく熱戦や放射線を人々に浴びせることを狙ったのでした。人間がどれだけの被害を受けるかを知りたかったからでした。
その意味で原爆投下は明確な人体実験でした。最も犯すことが許されない戦争犯罪でした。
これを証拠づけているのはアメリカのエネルギー庁が1991年12月まで、公文書に広島・長崎への原爆投下を「実験」と分類していたことです。この反映か、いまでもネットで「核実験」を検索すると広島・長崎が繰り込まれていることがあります。

アメリカの戦争犯罪はそれだけにとどまりません。原爆投下に次ぐ犯罪として行われたのが、戦争終結後にアメリカ軍が大量に広島・長崎に乗り込み、被爆者調査を排他的に行ったことでした。
アメリカ軍はなぜこのようなことをしたのか。一つには原爆の威力を独占的に知るためでした。とくに爆心地からの距離の死亡者数から得られる「死亡率曲線」に着目し、そこから原爆の殺傷力を測っていきました。
もう一つ。重大なことがありました。原爆を落としたアメリカ軍が人体実験の対象とした被爆者の調査を独占することで、放射線の人体への影響のデータをとりつつも、他方でその実相を隠してしまうことでした。
なぜか。原爆投下直後にヨーロッパの科学者たちなどから「原爆は次世代にも影響を与える非人道的兵器であり、即刻使用を中止すべきだ」という声が上がっていたからでした。

とくにアメリカ軍が驚愕したのは、イギリスとアメリカの新聞記者が広島に潜航取材し、以下のような記事を配信したことでした。
「広島では・・・人々は『原爆病』としか言いようのない未知の理由によって、いまだに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている」(『ロンドン・デイリー・エクスプレス』1945・9・5)
「原子爆弾は、いまだに日に100人の割合で殺している」(『ニューヨーク・タイムズ』1945・9・5)
ファシズムの国に対する民主主義の国の勝利を信じていたイギリス、アメリカの民衆の中にこれらの記事で胸を痛めた人々が表れつつありました。

これに対してアメリカ軍は翌日にはすぐに対応。9月6日に原爆製造計画=マンハッタン計画副責任者ファーレル准将が東京で記者会見し、「原爆で死すべき人は死んでしまい、9月上旬において、原爆で苦しんでいる者は皆無だ」と大嘘の会見をしました。
さらに9月19日にはプレスコードによって原爆報道を全面的に禁止し、原爆被害の全資料を占領軍の管轄下においてしまいました。
広島・長崎から日本人を含む各国の記者たちが追い出され、以降、1952年サンフランシスコ講和による日本の独立まで、被爆者の状態はまったく報道されることはありませんでした。
加害者が被害者の状態を世界から完全に隠してしまったのでした。これ自身が被爆者に対してアメリカが行った追加的な重大迫害でした。

アメリカ軍がその後に行ったのは、人体に対する放射線被曝の影響を徹底して小さく見せることでした。それでなければ核兵器が維持できず、その後に何回も行うことになる核実験ができなくなってしまうからでした。
その際、アメリカが用いたテクニックが被曝の影響を外部被曝に限ってしまうことでした。このため爆心地からどれだけの距離にいて放射線を浴びたのかということと、どれだけの量を浴びたのかだけが被曝の目安とされました。
内部被曝の被害を切り落としてしまうためでした。なぜなら内部被曝は放射能の雲の届いたところのすべてて起こっていたのであり、爆心地からの距離だけでは測れないものだからでした。
またたくさんの核種の体内への摂り込みによって生じる内部被曝の影響は、それぞれに具体的であり個性的であって、本来、数直線化して測ることなどできないものであるにもかかわらず、この点を誤魔化すために量への還元がなされたのでした。

かくして内部被曝の影響を極端に低く見積もったものが被爆者調査データとして発表され、その上に「放射線防護学」という名の学問ならぬ学問が作りだされ、全世界に発信されました。
アメリカはこの中にあってこそ、核戦略は維持したのですが、それは後に、より核戦力を生き延びさせるための「原子力平和利用」につながり、世界中に原子力発電と被曝を広げることにもつながっていきました。
この広島・長崎で行った内部被曝隠しこそアメリカが戦後に行った最大の戦争犯罪であり、それが核実験の度重なる強行と連なっていきました。いやそれは戦後70年にわたって正されないままに続けられ、現在もなお私たちを苦しめ続けています。
この夏、私たちはアメリカの「隠された核戦争」=被曝隠しや極端な過小評価のカラクリを表に出し、核の世の中からの訣別の道を切り開いていく必要があります。被爆70年の本日8月6日、このことを決意も新たに訴えたいと思います。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(1119)自民党武藤貴也議員が民主主義と基本的人権を完全否定!即刻議員を辞任すべきだ!

2015年08月04日 06時00分00秒 | 明日に向けて(1101~1200)

守田です。(20150804 06:00)

とんでもない情報が飛び込んできました。
自民党の36歳の武藤貴也議員(滋賀4区)がSEALDsの学生たちのまっとうな主張を「だって戦争に行きたくないじゃん、という自分中心、極端な利己的考えだ」とツイッターに書き込み、戦後教育が利己的個人主義を蔓延させたと結んだというのです。
より具体的に事態を知っていただくために、滋賀県にも展開している京都新聞の記事を貼り付けます。学生たちの反論も載せている毎日新聞の記事のアドレスも示しておきます。

*****

 「戦争行きたくないは利己的」 自民・武藤氏ツイート炎上
 京都新聞 2015年8月4日 5時30分更新
 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150803000071

 安全保障関連法案をめぐる学生らの反対集会について、自民党の武藤貴也衆院議員(滋賀4区)が「戦争に行きたくないという考えは極端な利己的考え」と自身のツイッターに書き込んでいたことが3日、分かった。
 自発的に戦争に行く姿勢を求めたとも受け止められる表現で、ネット上で反論が相次ぎ、野党も批判を始めた。
 武藤議員は先月30日、法案反対を訴える学生らのSEALDs(シールズ)の主張を、「だって戦争に行きたくないじゃん、という自分中心、極端な利己的考えだ」と書き込み、戦後教育が利己的個人主義をまん延させたと結んだ。
 これに対し、ネット上では「自衛隊を戦場に送り込むわけでない、との国会答弁とも矛盾する」などと批判が相次ぎ、民主党の枝野幸男幹事長は同日「自民党の強権的な姿勢が総裁から若手議員まで徹底している」と述べて批判。今後追及する姿勢を示した。
 武藤氏は自身のフェイスブック上で、「世界各国が平和を願って努力する現代において、日本だけがそれに関わらない利己的態度をとり続けることは国家の責任放棄だ」としている。

 自民党:武藤貴也議員、安保反対学生をツイッターで非難
 毎日新聞 2015年08月03日 19時17分(最終更新 08月03日 22時12分)
 http://mainichi.jp/select/news/20150804k0000m010048000c.html

*****

京都新聞の記事の中にもあるように、武藤議員の主張は、安倍首相の戦争法案に対する説明とも明確に食い違っています。
安倍首相は「戦争法案という言い方は誤解だ。これは日本をより戦争に巻き込まれなくするためのものだ」と繰り返しているからです。
もちろん安倍首相の主張は嘘です。嘘であるため他ならぬ自民党の議員がまったくそう考えていない。戦争に国民を動員するための法案であると考え、反対する学生たちを「利己的個人主義」だと罵倒したのです。
このあまりに露骨な戦争賛美発言を許してはならないと考えて、武藤貴也議員のブログを参照してみたら、もっとひどいことが平然と語られていることを知りました。これはひどい。本当にひどい。参照したのは以下のページです。

 日本国憲法によって破壊された日本人的価値観
 武藤貴也 2015年7月23日
 http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html

ポイントを述べます。まず「主権在民、基本的人権、平和主義」という憲法の理念を完全否定しています。
「この三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」「民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていない」と明言しています。
民主主義についても「人間に理性を使わせないシステム」と断じています。

さらに基本的人権については、戦前の滅私奉公を美化し、以下のように断言しています。
「「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。」
「従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。
だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。」

これはもう完全なる軍国主義日本の賛美です。
そしてそうである以上、はっきりしていることは武藤議員は即刻、国会議員を辞めるべきだということです。なぜならば国会議員には憲法順守義務があるからです。

 「憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

そもそも武藤議員はこんなことすら知らないのではないでしょうか。彼の暴言は国会議員としての完全なる自己否定です。
自由民主党も辞めるべきではないでしょうか。なぜって自民党は自由主義と民主主義の政党を標ぼうしているのですから。このような議員がいることは自民党としても完全な自己否定です。

この問題はSEALDsの学生たちへの暴言の域を完全に超えています。
主権在民、基本的人権、平和主義を愛するすべての人に対して向けられた悪罵です。
武藤議員は「民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていない」とまで言い切っており、自分に投票した人々までをも愚弄しきっています。
現行憲法のもとでの選挙制度のもとでの己の当選まで否定しているのですから、繰り返しますが、即刻議員を辞任すべきですし、辞任させるべきです。

とくに滋賀県のみなさん。
この議員の暴言を放置してしまうならば民主主義が窒息してしまいます。
環境や人権、民主主義への深い配慮を示してきた滋賀のみなさんのこれまでの努力に悪罵を投げつけたこの自民党若手議員の暴言を許してはなりません。
なんとしても滋賀の人々の力で、こんな暴言を吐いたら、国会議員はすぐにも辞職しなければならないのだという実績をきちんと作りましょう。

この自民党若手議員の暴言には、安倍政権の本音が如実に反映していることも指摘しておきたいと思います。
小選挙区制のもと、安易に当選できるようになってしまった若手議員たちは、選挙民のことなどまったく考えていません。
だから自ら「民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていない」などと言えてしまうのです。教養にも理性にも訴えずに当選できてしまったからです。
これは自民党の根底的な劣化を反映するものです。内側から崩れきっているのです。建前としての「自由主義と民主主義」が保てなくなってしまっているのです。

これまでも折に触れて安倍政権は戦後自民党政権の中で最弱であることを述べてきました。民衆の合意をとることができない政権だからです。だからこそ最も狂暴化しているのでもあります。
それは自民党の、金のバラマキによって常に政治的争点をずらし、実際にはアメリカの戦争に全面的に協力し、大儲けしながら、その非道性を民衆に十分に悟られずにきた保守本流路線が抜本的に行き詰ったことを意味してもいます。
同時に私たちは今こそ大きく覚醒すべき時にいることを強く自覚しましょう。日本はこれまでもけして本当の意味で平和ではなかったのです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などの戦争犯罪に常に加担してきたのです。
進めてきたのは歴代の自民党政権です。その意味で安倍政権が戦後最悪なのではありません。各政権が最悪の戦争協力を続けてきたのです。だから沖縄をはじめ日本中に米軍基地があり続けているのです。

その意味では主権在民も、基本的人権も、平和主義も、実はまだ確立などしていません。今こそ、私たちが確立すべき時なのです。そのために歴代自民党政府の戦争協力の本性を全面化させている安倍政権を民衆の力で倒しましょう!
最後にこの点を述べている憲法12条を示しておきます。

 「第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

ともに不断の努力を重ねて、平和と人権を守り発展させましょう!それが戦後70年、被爆70年の今、私たちがなすべきことです!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする