守田です。(20130807 11:30)
今日は広島に原爆が投下されてから68年目の日です。
今宵、僕は京都の三条大橋で追悼のキャンドルビジルに参加してきました。友人たちと、また呼び掛けに応えてくださった方たちと、キャンドルとメッセージボードを持って、静かに橋の上に立ちました。
FACEBOOKに写真を載せたので、よければご覧ください。
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/posts/10200946251876856
ちなみに、8月1日に僕は「今こそ広島・長崎原爆を問いなおそう!」という記事を配信しました。そして冒頭で以下のように述べました。
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8月になりました。私たちは今月6日と9日に、広島・長崎に原爆が投下されてから68年目の日を迎えます。
原爆投下は一般市民を無差別に殺戮し、戦争が終わっても長きにわたって人々を苦し続けてきている許しがたい戦争犯罪です。アメリカはただの一度もこの戦争犯罪を謝罪したことはありません。そればかりかアメリカは朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと無差別殺戮である空襲を繰り返してきました。
にもかかわらず、戦前に「鬼畜米英を倒せ」と国民・住民を戦争に追い立てた日本政府は、戦後、ただの一度も無差別殺戮であった原爆投下にも、沖縄戦にも、都市空襲にも抗議したこともありません。「右翼」を自称する人々など、私たちの国を蹂躙したアメリカの核の力を賞賛し続けてきました。そのどこが「愛国」なのでしょう?
僕はそういうありかたこそ「自虐史観」に浸りきったものだと考え続けてきました。もちろん戦前の日本帝国主義のアジア侵略もまた許しがたき行為であり徹底した反省と賠償が今なお必要です。しかしアメリカの度重なる虐殺もまったくもって許されない行為です。いつか必ずアメリカに謝罪をさせなくてはいけない。それはアメリカの民衆のためでもあります。
明日に向けて(719)今こそ広島・長崎原爆を問いなおそう!・・・講演会とキャンドルビジルに参加します
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/443e742a1bfc100275de05e6d0a43505
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これに対して・・・というわけではないですが、5日の読売新聞に素晴らしい記事が載りました。映画『プラトーン』の監督、オリバー・ストーン氏が「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と、読売新聞のインタビューに応えて語ったというものです。
ブログ記事のタイトルにもこの読売新聞の見出しをそのまま使わせていただいたのですが、ストーン氏の言葉にとても胸を打たれました。記事を紹介しておきます。
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原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督
読売新聞2013年8月5日08時53分
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130804-OYT1T00618.htm
「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。
ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。
インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。
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ストーン氏は6日の広島における追悼式典にも参加されたそうですが、実は過去にもこうしたアメリカ人はいました。僕の師である宇沢弘文先生のさらに師であるシカゴ学派のフランク・ナイト先生などその典型です。彼は米国による広島・長崎への原爆投下に米国人としての責任を感じ、広島の被爆孤児を引き取って育てられたと宇沢先生に聞きました。
ちなみに「シカゴ学派」は、その後に市場原理主義の強固な推進者ミルトン・フルードマンが、後継者を自認したため、あたかも弱肉強食の経済学の拠点のような言い方がされていますが、実はナイト先生はフリードマンに怒りを抱き、破門を通告したのでした。広島・長崎の痛みに心を寄せたナイト先生は、市場原理主義にもきわめて批判的だったのでした。
アメリカの哲学者のジョン・ロールズも、原爆投下に胸を痛めた一人でした。第二次世界大戦に兵士として従軍し、対日占領にもかかわったロールズは、アメリカ軍のすさまじい空襲のもたらしたものに胸を痛めました。そして後年(1995年)にスミソニアン博物館が、原爆の展示を行おうとしながら社会的圧力によって中止に追い込まれたときに、「原子爆弾投下はなぜ不正なのか」との論文を発表したのでした。
ちなみにこのとき、もともと原爆投下や戦略空襲にかかわった立場にいながら、スミソニアン博物館での原爆展示などにかかわろうとした人々が、展示の中止に抗議して分厚い書物を発刊しました。ロールズもその一人。合計で62人が名を連ねましたが、そこに参加した3人の日本人の一人が肥田舜太郎先生でした。
この話は先生のお宅を訪問した時に初めてお聞きしました。実際に出された本を手にとって、そこにロールズの名があることを知りました。残念ながら邦訳されていない本です。岩波書店あたりが出してくれれば・・・と肥田先生はおっしゃっていましたが。
空襲はなぜ戦争犯罪なのか。ロールズは「そもそも倫理的に許される戦争とは何か」という問いから始めます。許される戦争とは、ヒットラーのナチスのようなファシズムの脅威から世界を守るための戦争のみである。その場合、正義の戦争をする側は、独裁者の支配する国の民をも守らなければならない。空襲は無差別殺戮であり、独裁下にある人々に危害を加えるので論外であり、戦争犯罪だというのです。
ロールズは次のように結論づけます。「ヒロシマへの原子爆弾も日本の各都市への焼夷弾攻撃も、すさまじい道徳的な悪行(great evil)であって、危機に基づく免責事由が当てはまらない場合、そうした悪を避けることが政治家たる者の義務として求められる。」
引用は以下の論文、「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」寺田俊郎著から
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/pdf/prime31/01_terada.pdf
「許される戦争」の想定については、同意しかねる面がありますが、それでもロールズが「空襲は悪だ」と言わんとしたことに僕はこのとき、強く共感しました。ただしロールズのような論理を用いなくても、ただ非戦闘員を無差別に殺戮するものであるから、空襲は戦争犯罪だと言えばそれで僕は十分だと思っています。そうです。アメリカの行った1945年以降の日本全土への都市空襲や沖縄戦、原爆投下は、すべて戦争犯罪なのです。
なかでも原子爆弾の投下は、空襲一般の犯罪性を上回ります。なぜか。放射線を使うことで、後々にまで、世代をまたいでまで、無差別な殺戮や健康被害をもたらし続けるからです。このことを何としても歴史に刻まなくてはいけない。そうしないと、人類はいつまでたっても「野蛮」の時代を越えられません。
続く