明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2042)アメリカは原爆による被曝実態を隠した、実際の被害はずっと大きかったーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー1

2022年01月10日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220110 23:00)

NHKBS1スペシャル「原爆初動捜査 隠された真実」をご紹介します。

2021年12月29日、NHKBS1スペシャルで「原爆初動調査 隠された真実」という番組が放映されました。もともと同じタイトルで同年8月9日に放映されたものの拡大版です。(8月のものは1時間15分、今回は1時間40分)

広島・長崎への原爆攻撃後、初動調査に入ったアメリカ軍が、黒い雨などがもたらした残留放射線による深刻な被曝実態を把握していたながら、握り潰していた事実を掘りだした大スクープでした。

調査に入った米軍兵士の証言、遺稿などにも取材した秀逸な番組ですが、とくに隠されてきた長崎の被曝実態が明らかにされています。
8月に観たときに、「かなり画期的だ」と考えて文字起こしし、さらに12月の放映時も事前に「明日に向けて」で宣伝しました。するとFacebookの投稿が123件もシェアされるなど、かなり大きな反響がありました。この点を踏まえて、この拡大版も文字起こしすることにしました。8月のものに新たに放映された部分を付け足しました。

番組が明らかにしたのは、被曝被害がかなり矮小に報告されていたこと。とくに長崎の被爆実態が、これまで考えられてきたよりも圧倒的に酷かったことが示されました。西山地区など、大量の「黒い雨」が降り、高濃度な汚染を被りながら、まったく補償も援護も行われて来なかった地域があることがクローズアップされました。

国は「黒い雨」広島高裁判決を真摯に受け入れ、この新たな事実も認め、長年の原爆被害者の放置を謝罪し、いまなお生き延びられているみなさんに即刻、被爆者健康手帳を発行すべきですが、すでに年末に「黒い雨」被爆者認定から「長崎の方たちを外す」ことを表明しています。許しがたいです。

この番組の告発は、黒い雨裁判に続いて、これまで放射線被爆に対する被害が大きく過小評価されてきたことを明らかにしたもの。重要なのは、ここから「放射線防護学」の書き換えもまた絶対に必要だということが結論付けられることです。被曝影響がいま思われているよりももっと深刻だったのですから、一般市民の被曝許容量とされている年間1ミリシーベルトだって見直すべきです。
さらにこの事実が、米軍によって隠されてきたこと。日本政府がそれに追従してきた、これはもう手酷い犯罪です。この罪を米国・日本両政府に償わせなくてはいけません。

このためこの番組の拡大版の文字起こしをこれから4回にわたって掲載します。
なおこの文字起こしは、もともとは京都市在住の諸留能興さんが8月の番組を起こして下さったものを守田が編集したもので、今回拡大版部分を加えてあります。
さらに、8月の時にはできなかったのですが、今回は4回の文字起こしの紹介のそれぞれに、新たに明らかになった事実から何を学ぶべきなのかも書き加えるつもりです。

重要な番組を作って下さったNHKのスタッフのみなさんに深く感謝いたします。


深刻な被曝事実が握りつぶされていた!

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」
2021年12月29日放送 以下、文字起こしをお届けします。

今回初めて見つかった、76年前の被爆直後の長崎を撮影した映像です。
アメリカ軍の原爆に関する最初の調査を兵士が撮影した、極めて貴重なものです。

米軍元兵士
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。」

アメリカ兵が測定していたのは被爆地に残る放射線、残留放射線でした。

米軍元兵士
「51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

原爆の爆発によって発生した放射性物質が、雨や塵と共に降り注ぐことなどで発生する残留放射線。
その影響に関しては、未だ意見が対立しており、最大の謎とされてきました。
調査に参加した94歳の元兵士です。当時、被爆地に残る残留放射線の調査は、トップシークレットだったと言います。

アメリカ原爆調査員 マイカス・オーンスタッド(94)
「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」

今回私たちは、原爆投下直後に、アメリカ軍が行っていた原爆初動調査に関する膨大な資料を入手しました。そこからは残留放射線についての、知られざる真実が浮かび上がってきました。
アメリカ軍は、秘密裏に残留放射線を測定。極めて高い値を測定していました。さらに、それが人体にどのような影響を及ぼすかまで、研究していたのです。

原爆調査報告書
「この地に残る放射性物質に人がさらされ続けると、危険を伴う可能性がある。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性がある。人間がどうなるか特に興味深い。」

しかし、アメリカ政府はこの事実を隠蔽。科学者達に圧力をかけて残留放射線も無かったことにしようとしていたことも、明らかになりました。

マイカス・オーンスタッド
「私は上官に呼ばれて『報告書に関係する文書やデータは廃棄し全てを忘れろ』と命令された。」

日米両政府は原爆の残留放射線による健康被害を認めてきませんでした。

しかしヒロシマ、ナガサキの人々は「その影響で多くの人が苦しんでいる」と訴えています。

岩﨑精一郎さん(44歳没)の妻岩﨑恒子さん
「骨髄性白血病。脾臓も取ったんですよ、手術して。原爆にあったからこんな病気になったってはっきりしたらいいんですけど。それも分からないまま。」

なぜ、残留放射線の影響は隠蔽されることになったのか。
核による被害と、国家の思惑が交錯した原爆初動調査。真実が隠されていた過程を辿り、その全貌を明らかにします。

タイトル
原爆初動調査 隠された真実
前編 ”科学”を握り潰した”国家の思惑”

原爆が投下された市街地から3キロ。

山間にある長崎市の西山地区です。

戦前は貯水池を中心に小さな集落が点在。多くが農業を営んでいました。この地区で原爆投下後しばらくして、住民の体調不良や原因不明の死が相次ぎました。

松尾トミ子さんです。この地区で育った義理の妹を亡くしました。
「これはねぇ、成人式の写真です。成人式の時はこんなに元気だったんですよね。」

松尾幸子さん。23歳の若さで白血病で命を落としました。
「ひとつも怒ったところを見たことはないです。人の嫌がることは絶対言わない子だったですもんね。うん・・。」

76年前の8月9日。西山地区は爆心地から山を隔てているため、原爆の熱線や爆風は届かず、直接の被害はほとんど無かったとされています。
しかしこの日、地区には灰や雨が降り注ぎました。1歳だった幸子さんは、貯水池の近くにいた兄の背中でそれを浴びたといいます。

「なにしろ灰が落ちてきて・・・『この灰は何』という感じで、何も知らずに受けてたみたいですね。」

幼い頃は、何の異常も感じなかった幸子さん。突然体調を崩し、17歳の時に「白血病」と診断されます。

「血の塊が口から出たり、鼻から出たり。もう、それを取ってやるのが大変だったって。
一番いい時に亡くなっているから、何とも言えないです・・・やっぱりいろいろ考えたら、涙が出るんですよ。」

幸子さんの死と、残留放射線との関係は、当時の詳細なデータが存在せず、分からないとされています。

ヒロシマ、ナガサキで、その年だけで21万の命を奪ったとされる原爆。
実はアメリカは、その被害や影響の詳細なデータを収集する為、調査団を派遣していました。

最初の(マンハッタン管区)調査団が広島に入ったのは9月8日。原爆を開発した科学者たちでした。続いて陸軍と海軍の、それぞれの調査団が(10月12日)。
更に戦略爆撃調査団も加わり(10月14日)、およそ4ケ月にわたって、大規模な調査を行いました。



調査には軍人だけでなく、物理学者や医師を始め、様々な分野の専門家が参加。日本人の科学者も協力しました。
地表温度を3000度以上に上げた熱線や、秒速440メートルの爆風がどのように建物を破壊したのか、原爆が被爆者にどんな影響を与えたかなどが詳しく調べられたのです。

調査を統括したアメリカ陸軍のグローブス少将です。
原爆開発計画「マンハッタン計画」の総責任者だったグローブスは、ある事に頭を悩ませていました。それは被爆地に残る残留放射線の影響でした。

実は、日本は、被爆直後から、その被害を世界に訴えていました。日本が世界に向けて行っていたラジオ放送です。
ラジオ東京
「原爆は今や世界の批判の的となっている。この死の兵器を使い続ければ、すべての人類と文明は破滅するだろう。」

各国が特に問題視したのは、終戦後もその地に放射線が残り、人体に影響を与えているのではないかということでした。
ディリー・エクスプレス
「広島では原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない。」

アメリカ国内でも、ヒロシマは70年間草木も生えないと報道され、「原爆は国際法に違反した兵器ではないか」という世論が高まったのです。



これはグローブスにとって不都合な状況でした。当時、アメリカは占領のため、日本に兵士を駐留させようとしていたからです。
原爆投下後に自国の兵士が被爆することになれば、議会や世論の反発は避けられない。こうした中で初動調査は行われていたのです。

大きな焦点となっていた残留放射線の存在。今回、初動調査についても新たな事実が明らかになりました。
76年前の調査に参加した科学者の遺族です。当時、父親が被爆地で使っていたという遺品を保管していました。


被爆地調査員ドナルド・コリンズの女性遺族

「これは父ドナルド・コリンズのカメラです。長崎で調査で使っていたんだと思います。」

ドナルド・コリンズ。放射線の研究者として、原爆開発に携わってきた人物です。
1945年9月。調査団の一員として、ヒロシマ、ナガサキを訪れていました。
コリンズが被爆地で撮影したプライベート・フィルムと証言テープが見つかりました。映像には、長崎市内で残留放射線を測定するコリンズの姿が映っていました。

ドナルド・コリンズ
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。ジープに乗って、どこまで残留放射線が広がっているのかを確認しました。」



アメリカ軍が神経を尖らせていたという残留放射線の値。

「我々は風下51km地点まで追跡しました。51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

コリンズらは残留放射線が人体に与える影響にも注目、多数の写真を残していました。

ドナルド・コリンズ
「我々はどのくらい放射能を浴びると吐き気を引き起こすのか。どのくらいで脱毛が起こるかを分かっていました。我々は住民がどこにいたのかを聞いて、受けた放射線量を予測していました。」


同じ時期、被爆者への聞き取りなどを行った元調査員が今も健在でした。
マイカス・オーンスタッドさん。94歳です。

被爆地に残留放射線がどの程度残っているか、不安を感じていたといいます。
しかしその情報は厳重に管理され、一部の科学者しか知ることはできませんでした。

「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」
「私は科学者ではありませんし、詳しいことは何も知らされず、こちらから何も問いかけることはできませんでした。」

当時、トップシークレットの指定を受けていた残留放射線の記録。

今回、海軍が4か月に渡って、被爆地の残留放射線を測定していたデータも入手しました。
報告書を作成した海軍のネロ・ペース少佐です。生理学の研究者だったペースも、また、残留放射線に関する証言を残していました。

「私たちは4か月の間、長崎で残留放射線を測定。人々から血液を採取し、広島でも同じことをした。私たちが収集したデータは”機密事項”だった。」

ペースは4か月かけて長崎で900カ所、広島で100カ所もの地点で残留放射線を測定していました。
報告書の中で、ある地域で非常に高い残留放射線が確認されたことが記されていました。長崎、西山地区。23歳で亡くなった、松尾幸子さんが住んでいた場所でした。


「西山地区は山の陰にあり、初期放射線を受けなかったにもかかわらず、爆心地より高い残留放射線が認められた。
放射線測定器を地上1mのところから地上5cmへ移動させると、測定器の針は倍増した。西山地区ではかなりの放射線があることを示した。
この地区の放射線量の最高値は1080μr/hr(マイクロ・レントゲン・パー・アワー)を示し、人間の最大許容量に近かった。」


現在の値に直すと1時間当たり およそ11μSv/hr(マイクロ・シーベルト)。一般人の年間線量の限度を4日で超えることになります。
報告書では西山地区で残留放射線量が高い理由を「その地形にある」と分析していました。

海軍報告書
「8月9日の長崎は風速3mの微風が吹いていた。西山地区では、爆発後に雲が上空を通過し雨が降った。爆心地と貯水池の間には山が連なっており、谷間となっている西山に放射性物質が堆積したと考えられる。

続く

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昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

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