明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1762)今なぜ、社会的共通資本なのか!・・・今日(12月1日)に京都ダイアローグに参加します!(下)

2019年12月01日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20191201 11:00)

本日、以下の催しに参加します!

京都ダイアローグ vol.3 「今こそ、社会的共通資本を考える」 https://www.facebook.com/events/1129690760560205/

日時:12月1日(日)12:30〜17:00
場所:mumokuteki ホール 〒604-8061 京都市中京区式部町261 ヒューマンフォーラムビル3F
参加費:2000円 定員:70名
予約サイト:https://00m.in/Foog3
予約なしの当日参加も可能ですのでぜひお越しください!

今こそ社会的共通資本を考える

前回、宇沢さんが「社会的共通資本」の考えに目覚められた時までをお伝えしましたが、その後宇沢さんは自らが手掛けてきた近代経済学を批判的に再検討する道に歩み始められました。かつての同僚を批判することでもあり苦しい道だったそうです。
その中から最初に宇沢さんが編み出したのが『自動車の社会的費用』(1974)です。自動車は町の主人公である人を道の片隅においやってしまいました。自動車を走らせるために人を迂回させる「歩道橋」なども生まれ町が自動車優先で変えられていきました。 宇
沢さんはこのあり方を日本の非人間的な成長の象徴と捉え、本来、自動車はこのような社会に与えている負担を費用として計上しなくてはいけない。そうすると当時の金額で1台1400万円は見積もる必要があると主張されました。

この「自動車の社会的費用」の導出の中で宇沢さんははじめて「社会的共通資本」の考え方を語られ、さらに進んで『近代経済学の再検討』(1977)という本を出版され、歪んだ経済成長の根拠となってきた近代経済学を正そうとされました。
しかし社会は正反対の方向に流れていきました。ベトナム戦争で経済的に疲弊したアメリカが「ドル本位制」を維持できなくなり、変動相場制に移る中でそれまで経済学の主流だったケインズ経済学が批判され「新自由主義」が台頭したからでした。
中心になったのはシカゴ大学で宇沢先生の論敵だったミルトン・フリードマンでした。フリードマンは政府の経済への介入を批判し、社会保障制度を無くしてむき出しの自由競争=弱肉強食の経済戦争に戻すことを主張されました。

この流れと1980年代末に進んだ旧ソ連をはじめとする社会主義国家の行き詰まり=崩壊が重なり、新自由主義は世界のメインストリームになってしまいました。
公共サービスがどんどん削られ、公務員が激減させられ、公共物が切り売りされていく。日本でも「日本国有鉄道」が解体され、私企業のJRに変えられてしまいました。それは国鉄が所有していた駅前の一等地のもぎ取り合戦でもありました。
こうした弊害は様々な領域に及んでいます。なかでも酷いのは社会のごく一部で認められていた非正規雇用が常態化されるなどして世界中で貧富の差が拡大していることです。だから今こそ社会的共通資本を考える必要があるのです!

大事なポイントは社会的共通資本を運営・管理するのは現場の当事者だということ!

この新自由主義の流れ、とくに社会保障政策をどんどん壊し、緊縮財政を呼号する各国政府の政策に対して、いま「反緊縮」という声があちこちで大きくなっています。
確かに私たちはいまの流れを逆転する必要があります。公共の場への投資を増やし、公共サービスの充実のために公務員をもう一度増やしていく必要がある。財源がないなどという騙しをひっくり返す必要があります。
でもそれで新自由主義の前、ケインズ経済学に戻れば良いのかと言うととてもそうは言えません。

大事なのは今の経済はすべてを市場で考えていることにあります。しかし海も空も「社会的共通資本」です。いや医療・教育・金融などの社会的システムもそうです。それらはけして市場の儲け主義にさらしてはいけない。
同時に大事なのはそれらを国家官僚の恣意的な差配のもとにおいてもいけないのです。例えば教育投資を増やすといっても、それが森友学園は加計大学に流れていたようなあり方は、資源を国家官僚が一元的に集約し差配しているがゆえに出てくる歪みです。
そうではない。社会的共通資本は現場の当事者、住民・市民が主体となり、そこに専門家が参加して管理していく必要があります。国家官僚による一元的管理ではなく、地域での自治的な自律的な管理に任せる必要があるのです。

この点でのエピソードをご紹介します。2006年ごろのことだったでしょうか。熊本日日新聞が「水俣病・識者座談会」という企画を立ち上げられ、宇沢さんが呼ばれました。僕もアシスタントしてついていき、外野席に座らせてもらいました。
座談会は熊本日日新聞編集長が座長となり、宇沢先生の他、医師の原田正純さん、県庁のお役人、元水俣市長、弁護士さん・・・などなどが参加されていました。そのとき宇沢さんは開口一番、編集長に対してこう言われたのです。
「君ね、どうしてここに漁民の方がおられないの?バカ言っちゃいけないよ。ここにいる誰が海の専門家なの?」・・・宇沢さん、怒る怒るでしたが、これが宇沢さんの社会的共通資本を誰が管理するかの発想なのです。

そうです。あくまでもその場にいる当事者が主体になること。水俣は海の町です。だから水俣のことを語るなら漁師さんたちがいなければ話にならない。
同じように社会的共通資本はそこに住まい、何らかの営みを行っている人々が中心になって管理される必要があるのです。医療・教育も同じ。地域の人々が参加し、地域の特性や知恵に合わせた運営や管理がなされていく必要がある。
だから社会的共通資本の考え方は自治の拡大、民衆の権限の強化・拡大とこそセットなのです。それがなくして財源を増やしても官僚やそれに群がる人々によって恣意的に運営されてしまう。いやそもそもその場にいない人々に決定権があるのがおかしい。

宇沢さんとドイツの公共交通のあり方を視察 右におられるのは同行した経済学者の間宮陽介さん

みんなで社会的共通資本について、自治的で民衆本意の社会の創造について語り合いたい!

以上、駆け足で社会的共通資本の説明をしてきました。 以下、今日の集まりの案内の詳細を貼り付けます。とにかくいろんな立場の方が参加されます。とても楽しみです。 みなさま、可能な方はぜひお集まりください!

*****

異なるジャンルで活躍する方々を招き語り合うダイアローグ。 社会的共通資本について対話し考え知ること、現状を理解することで、私たちのつながりや役割がより明確化するのではないでしょうか? (株)ヒューマンフォーラムでは、一昨年から信頼資本財団の「HOSP月間」の賛同イベントを12月に開催してきました。 今年の第3回は「今こそ、社会的共通資本を考える」をテーマに、様々なジャンルの登壇者をお呼びしてダイアログを進めてまいります。 好評のシリーズ企画です。是非、御参集下さい。

登壇者
・中野桂(なかのかつら/滋賀大学経済学部教授/経済学博士)
・平賀緑(ひらがみどり/食料政策研究家/大学非常勤講師)
・熊野 英介(くまのえいすけ/信頼資本財団代表/アミタホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長)
・Tseng Feilang : 曽 緋蘭(つぇんふぇいらん/株式会社ROOTS/ツクル森)
・堤 卓也(つつみたくや/一般社団法人パースペクティブ/堤淺吉漆店 専務)
・風かおる(かぜかおる/有限会社ガイアコミュニティ~ふうどこむら~主宰)
・守田敏也(もりたとしや/ジャーナリスト)
・丹下紘希(たんげこうき/人間ときどき映像作家/たまにアートディレクター)
・仲西 祐介(なかにしゆうすけ/KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭 共同ディレクター)

司会(ソーシャルメイトキュレーター)
・廣海 緑朗(ひろみろくろう/NPO法人みんなの地球のくらしかた/mumokuteki/京都オーガニックアクション)

懇親会 17:30〜19:30 終了後に懇親会を同会場で開催します。予約は必要ありません。当日自己申告でお願い致します。 お飲み物の用意をします。親交を深め、歓談の場として下さい。 参加費:1000円(ドリンク代別途) ※懇親会のみの御参加も可能です。

連載終わり


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