守田です。(20140906 09:00)
泥憲和さんの訴えの考察の後半をお送りします。
自衛隊という軍隊の存在そのものを、憲法9条にそってなくしたいと思っていることを前提にですが、以下の泥さんの訴えは胸に響きました。
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いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。
売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。
売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。
それが集団的自衛権なんです。
なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。
縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、
安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。
君たち自衛官も殺されて来いというのです。
冗談ではありません。
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確かにこうした声がもっとたくさんの自衛官の中に広がって欲しいし、さしあたっては自衛官を戦場に送らないために努力することが必要ですね。
ただそれに続く次の個所に僕は共感できないものがありました。
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みなさん、軍隊はテロを防げないんです。
世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。
自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。
みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。
自衛隊はテロから市民を守れないんです。
テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。
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ここが「うーん」なんですね。
同時にここにもいろいろと深いものが横たわっていると思います。
まず第一に「軍隊はテロを防げない」と泥さんが語られているのは全く正しい。
「テロ」というよりも、軍隊、とくに正規軍はゲリラ攻撃に弱いのです。これは戦争全般が持っている特質です。
なぜならゲリラ戦との闘いにおいて、正規軍は守勢に立たされるからです。ゲリラ側は攻撃側になります。
イギリスの軍事戦略家のリデル・ハートが、これを「非対称的戦争」と名付けました。
正規軍側は365日、守り通してこそ勝利。一方でゲリラ軍側は、そのうちの1日でも襲撃に成功すれば勝利なのです。まさに非対称です。
正規軍の側の方が常に防衛に力を割かねばならず手を抜けない。攻撃側は364日休んでいても1日だけ奮戦すれば良いわけです。
実例はたくさんあります。中国大陸に攻め込んだ旧日本陸軍と、中国共産党の労農紅軍、のちの八路軍との関係など典型です。
リデル・ハート自身は、ベトナム戦争で軍事力では圧倒的に強かったはずの米軍が、ベトナム側のゲリラ戦略に敗北していった例をあげています。
このため軍隊は町の安全を守ることは実は非常に苦手なのです。攻め込むことこそ軍隊の特質です。
では町の安全を守るためには何が一番大事なのか。町が攻撃されるような関係性を作らないことなのです。
そこで昨日の論議に戻るのですが、まず泥さんの言うように集団的自衛権の行使で、攻撃されるような関係性を新たに作るのが愚の骨頂であることはその通りです。
しかしそれは他のことにも拡張できます。自衛隊の存在で、他国の人々の私たちの町への攻撃を抑止できるという考え方も同じように誤りなのです。
第二の論点に移ります。僕が一番気になるのは「軍隊はテロを防げない」と、何かしら世界の人々が日本に「テロ」を仕掛けてくるかのように泥さんが語られていることです。
僕は「テロ」という言葉は慎重に使う必要があると思います。なぜなら「テロ」には、「卑劣で卑怯、非合法」というようなイメージが入っているからです。
でもこの観点から言うと、アメリカのイラク戦争とて「テロ」に含まれます。「イラクが大量破壊兵器を持っている」という事実に反した理由で全面攻撃を行ったからです。
イスラム圏の人々は、実際に何の大義性もなく、とんでもない「誤解」で行われたアメリカの戦争をそれこそ国家的なテロとして捉えています。
ものすごく大量の人々が殺されたのです。アフガニスタンでも同様です。いやイスラム圏の人々がアメリカが行った一番ひどいこととして記憶しているのは広島・長崎への原爆投下です。
アフガンで人々と共に運河を作っているペシャワール会の中村哲さんによると、アフガンのどんなに奥深くの谷の中の村でも、人々は原爆投下のことを知っているといいます。
アメリカに法的根拠もなく処刑されてしまった「オサマ・ビン・ラディン氏」も、実は何度も広島・長崎への原爆投下に言及していました。
アメリカは戦闘員だけではなく、一般の人々を大量に殺してきた。女性や子どもたちを殺害してきた。その戦争が最近でもアフガン、イラクに行われた。だからわれわれもアメリカ人を殺すのだという主張がなされていました
僕はいかなる理由であっても殺人は止めて欲しいと思っています。だからこうした訴えには与しはしません。しかしアメリカが国際法上違法な大量殺人を繰り返してきたのは事実です。原爆投下も全面的に謝罪すべきです。
大事なことは集団的自衛権は、アメリカ軍と行動を共にすることをこそ主要な目的としたものだということです。つまりアメリカの国家テロに与するのです。
そうなれば私たちの国もまた報復の対象になります。それは「逆恨み」とは言えないと思います。少なくとも相手側にとっては正当な反撃と思っての行動になります。
私たちはその前にアフガン戦争やイラク戦争でのアメリカの国際法違反と戦争犯罪を世界に告発しなくてはいけません。同盟国=友人だというのなら、友を諫めるべきではないでしょうか。
さらにアフガニスタンや中東、アラブの人々は、アメリカに原爆まで落とされながら、戦後、平和産業によって復興してきた日本にとても良いイメージを持ってくれています。
だからすでに日本は何度もアメリカの戦争に協力してしまっているにも関わらず、これまで報復の対象となってこなかったのです。
むしろイスラム圏の人々は、日本が原爆投下された痛み、悲しみを共有してきてくれたのです。その後に軍隊の力で威張ってこなかったことをとても高く評価してくれているのです。
このため日本のアニメやテレビ番組がイスラム圏で繰り返しメガヒットを記録しています。中でも戦前、戦後の日本庶民の苦しい中での奮闘を描いた「おしん」はイランで大変なブームを巻き起こしました。人気投票で「おしん」がホメイニ師を抜いてしまい、「イスラム教育がなってない」と師が激怒した逸話すら残っています。
友人の「イラクの子どもたちと仲良くする会」の方は子どもたちが「一休さん」が大好きだと言っていました。「一休さんは元気ですか?」と問われ「もう今は生きてないのよ」と答えると「一休さん、子どもなのにもう死んじゃったのですか」と子どもたちが悲しんだそうです。
そんな子どもたちの上に、雨あられと爆弾を落としたのがアメリカなのです。ぜひともそのことをしっかりと胸に刻んでいただきたいです。
中村哲さんはイスラム圏の方たちの日本評を「美しい誤解」と言われました。そうなのです。私たちの国の戦後復興は、朝鮮戦争への経済協力、アメリカ軍の戦争物資調達を担ったことで成し遂げられたのでした。
高度経済成長も、ベトナム戦争があってこそ、成し遂げられました。私たちの国の軍隊は出撃しなかったけれども、沖縄嘉手納基地から何度もB52がベトナム空襲に向かっていきました。
しかもです。実は私たちの国を焦土と化し、原爆を投下したのと同じ将軍がこれらを指揮したのです。カーチス・ルメイ将軍です。私たちの国は自らが受けた悲劇の再生産に手を貸したのです。こういうことこそ「国辱」というのだと僕には思えます。
私たちの国がずっと平和だったというのは確かに誤解です。私たちの今ある経済的豊かさの中には血塗られた愚かで悲しい過去が詰まっています。
しかし私たちの国は、北朝鮮からもベトナムからも一度も軍事的な報復攻撃など受けたことはありませんでした。これまでも相手の側にその権利はあったのでした。何せ米軍の出撃拠点が日本にあったのですから。
なぜ私たちの国は報復を受けなかったのか。それはアメリカ軍より、アメリカ軍が攻撃した相手の側がモラルが高かったからです。アフガニスタン、イラク戦争でも同じことが言えます。
中村哲さんは「美しい誤解があるのなら、瓢箪から駒というように、これを本物にすることが大事だ」と語られました。その通りだと思います。私たちは平和国家としてこそ世界に貢献すべきです。
ところが集団的自衛権を行使し、自衛隊がアメリカ軍と肩を並べて、イスラム圏の人々を殺害するようになったら、この「美しい誤解」は完全に崩壊します。
僕は報復を受けることの恐ろしさより前に、人々の信頼を裏切ることの悲しさをこそ強調したいです。この信頼こそが今、私たちを守ってくれているのに、その幸せを、人に愛され大事にされる得難い恩恵を自ら手放し、憎しみの対象になってしまうからです。
僕が強調したいのは、憲法前文の理念、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という観点は、イスラム圏との関係では一定、成立してきたということです。
この「美しい誤解」の中で成立してきた信用を本物に変えるべき時こそが今なのです。そのために僕は自衛隊派遣ではなく、災害救助隊、復興隊をこそ組織し、派遣すべきだと思います。自衛隊の一部がそれをなすのではだめです。軍隊に平和は作れないからです。
僕が中村哲さんの言葉を何度も引き合いに出すのは、ペシャワール会と中村さんが、まさにそれを実践しているからです。あのような行いを国家プロジェクトにすれば良い。災害救助隊の総司令官に中村哲さんになってもらえば良いとも思います。(いやそれでは先生に、ご苦労ばかりを増やしてしまうかもしれませんが・・・)
その中でこそ、日本の安全も格段に高まります。それだけではないです。その事の中でこそ、人類が本当に長い間、越えることのできなかった戦争に次ぐ戦争の歴史に終止符を打つ可能性が生まれます。
そうすれば日本の安全ばかりではない。世界の安全を高めることができる。世界のどの国の子どもたちも戦乱に巻き込まれずに済むようになります。
私たちが守るべき対象を日本人と日本の住民ばかりにしていてはいけません。というかそんな狭い心でいるのは嫌なのです。世界の人々を守りたい。そのために本気になって戦争を無くす道を探りたいのです。
繰り返しますが、そのためにも「日本がテロを受ける」という言い方は止めましょう。「アメリカの国家テロに与するのは止めよう」と言いましょう。
報復を受ける恐怖よりも、人々の信頼を失う悲しみを強調しましょう。さらにどうすれば信頼をもっと強めることができるのかを考え、発案し、行動に移していきましょう。
そのためにもまずは集団的自衛権に反対し、自衛隊があっても、これまでのように誰も殺したことのない位置にとどめ置くことが大事です。
その点では泥憲和さんは、アジアの人々との信頼を取り戻すために、軍隊「慰安婦」問題への謝罪をきちんとなすべことを主張され、さらにヘイトクライムと身体をはって闘うことで、実は日本人への信用も守ろうとされています。
こうした点には深く共感しますし、とっさの泥さんのスピーチにこれほどの批判点を書いてしまって申し訳ないとも思います。
いつかどこかでお逢いして話すことができれば、きっともっとたくさんの共感を積み上げられると確信しています。そのためにもここで泥さんのすべての奮闘にあつい感謝を捧げたいと思います。
平和のためにみんなで話し合いながら歩んで行きましょう!
終わり