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中之院軍人像

2010年06月28日 | ぷらり
岩屋寺の道向こうにある小さな民家風のお寺「中之院」 通称 「たぬき寺」

道標にもそう書いてあります。



山門をくぐると、早速 やきもののタヌキがお出迎え、タヌキとカエルが腕を組み、何やら

難しい話をしていました。



大小のタヌキが潜む庭園を抜けると、視界が開け。。 群衆の視線を浴びてしまいます。   



知多「中之院」の「軍人像」です。

怖いもの見たさというより、コンクリート造りのアートを見たいという目的で来ましたが、

もちろん「悲惨な戦争」の犠牲者に対する慰霊の気持ちは忘れていません。 合掌。



全部 顔立ちから、服装、ポーズなどそれぞれ違っていて、服の皺や、階級を示す勲章など

リアルな出来栄えに驚き。

軍刀を携え、双眼鏡を片手の軍人は、指揮官でしょうか。

昔を知っている人が見れば、それぞれの階級とか分かるかもしれません。 それ位リアル。



軍人像の謂れが書かれた案内板がありました。

■中之院軍人像について

ここの軍人像のほとんどは昭和十二年上海上陸作戦における呉淞の敵前上陸で戦死された
名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。

緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋港まで夜間十三キロの徒歩行軍の後、艀で野間
沖に待機していた巡洋艦、駆逐艦の乗りこみ、わずか二十六時間で揚子江河口付近に到着
後の昭和十二年八月二十三日の敵前上陸でしたが、上陸後半月足らずでほとんど全滅して
しまいました。

軍人像そのものはめいめいのご遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ建立した
ものです。
昭和十二年から十八年のことと言います。

また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶が、「国のために死ぬということはアメリカ
も日本も変わりはない。あれを日本人の手で壊すことはできない。どうしても壊すという
のなら我々をこの場で銃殺した上であなた方が行って壊せばいいだろう」と頑張った。

おかげで像は壊されずに済んだということです。

建立当時より名古屋市千種区月が丘にあったもので、当山には御縁により平成七年十一月に
お移しし、この地で安住いただいております。

現在も良く、御遺族御縁者の方が御参りにいらっしゃっています。

天台宗 大慈山 中之院



この軍人さんは、犬好きだったんでしょう。。 それぞれの個性が良く出ています。


この像はすべてコンクリート造り

作者は、岐阜県出身の「浅野祥雲」で、犬山・桃太郎神社の桃太郎や、関ヶ原ウォーランドの

合戦を再現した人形もそうです。

リアル 凄い腕前です。



今日も新しい花が手向けられていました。

戦死した軍人さんと人生を共にした遺族の方、戦争を知っている人は だんだん少なくなって。。

ここに訪れる人は減って行くのかな。。


コンクリート像が風化して行くスピードで、いつしか戦争という意識も消えて行けば、それで

いいと思います。



軍人像を面と向かって見る事はできなかった。。

それくらいに生気に満ちた像

今日は晴れてて良かったと思う 

雨降りだと偲び泣いているような気がして。。。




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