カナダから2年ぶりに大切な友人一家が帰ってきました。聞けば「休暇」が取れて、およそ半年この国滞在するそうな・・・
半年もいれば生まれて5ヶ月の弟の「Taisei」もさぞや大きくなるやろね・・・国が違うとはいえ・・・この国じゃ
震災からもう9ヶ月になろうとしてるのに、相も変わらず、つぎはぎの政策を並べて、あげくに自分らの作った「法律」の網に足を取られて
昨日今日の対応ばかりで、一月先のことでさえ、はっきりわからへんし、プランもない。それにくらべるまでもなく彼らの生き方には
時間と人生をちゃんと考えられる選択肢とスケールの大きな視野をもてる、うらやましさを素直に感じることができます。
2年前くりくりの瞳が印象的で生まれたばっかりやった
あのヒューゴが2歳になって、訪ねてくれました。
まるで、「孫」のような彼は、あっという間に「おっちゃん」になれて、ここ一月で覚えた関西弁を流ちょうに操って見せました。
彼は、父のジェラードの話すエイゴにはちゃんとネイティブな英語で返し、僕らには京都弁で返事をする
それをごく当たり前に、自然にやってみせる芸当は、とびきりの笑顔と瞳の愛くるしさとともに
僕らをとりこにしてしまいました。
そのうえ、なんとバターと「納豆」にめがない・・・オドロキ!やね
オッチャンなんか、納豆がどうしても受け入れられなくて、I Can ナットゥ eat Natoh・・・やったんやでぇ~
ほんのこの間からやっと食べられるようになったいうのに・・・もうその味がオイシイとわかったはるやなんて・・・
彼を日本人とカナダ人の「ハーフ」と呼ぶのもそれはそれでいいのでしょうが・・・そもそも
多民族国家を否定しない「カナダ」にあって、ジェラード自体がオランダ系カナダ人ともなると、
日本的発想の「半分半分」という意味でのハーフなどという言葉がおかしくもある。
「ハーフ」を差別的にとらえる向きもあって、
今頃は「ミックス」という言葉のほうが文化や言語を半分ずつではなく、両方を取り入れる意味でよく使われるようですが・・・
けれど彼らはそんな区別や区分けを否定も肯定もしない次元にいます。
混じり合うという意識を超えているのです。純血などというこだわりは、世界にあっては、この国特有の「特別視」で
肌の色で黒人や白人などといっているのも、もはやこの国だけの話でしょう。
「何人?」とか、「我々日本人は・・・」と、ひとりひとりをひとくくりにいいたがるのは、確かに悪い癖です。
アフリカ系の日本人がいてもおかしくないし、もうそろそろ「日本人」などという「枠」自体を超えて物事を考えないと
穴ぐらから世界をのぞいているようで窮屈に見える。
実際ヒューゴは、「大塚飛吾」であり、ヒューゴ・ベーカーでもあって、日本の国籍もカナダの国籍もあり
二重の国籍ではなく、多国籍なのです。
その意味で、近頃の女系天皇の認知だのやたらと、血統を意識するこの国の議論が僕には違和感がある。
天皇家の血筋を、この国の文化そのものと思いたいのなら、そもそも南北朝に分かれたあの時代に血統は保たれたのか
あるいはさかのぼって、この国を統治した権力者そのものが、大陸から渡来したものであるのなら
元々が「ハーフ」なのであって、天皇家などと血筋にこだわる根拠に論理そのものが存在してるのか・・・・
男系であるとか女系という議論も遠くに感じる。家系というものが そもそもどれほどの意味があり、
人の生き方にどれほどの関わらねばならないのか・・・・
であるなら、家族というあり方を従来型の家族制から、今のようなあり方に
選択したのは、今の我々の世代であって、自分の子供に同居や家督の相続を求めてもいない。
なんにしても・・・文化や言語、暮らし方は様々・・・何かを基準に善し悪しを判断するものでもなく
それぞれの生き方を尊重するという意味で、彼らの来訪は今一度僕らの目を覚まさせてくれた。
ひとの生き方を自分の物差しで測る意味もない。
人それぞれの生き方が、ヒトの数だけあっていつも自分らしくあること・・・ヒューゴとタイセイが
その象徴のように生き生きしてて、僕はいえば、つかのま「オジイチャン」の疑似体験して大変満足した時間でしたわ・・・
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