富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

課題の途中ですが・・・VLOOKUPとSUMIFという関数。

2015年07月23日 | パソコンサークル

松木さんが亡くなったことを、ミサに参列させてもらいながら
実はまだどこかに「実感」として感じとれない何かがあります。
彼女の死は、それが、神が決め求めた運命だとしても、
やっぱり思い返すたびに、あまりに早く、道半ばに倒れられた断ち切れない無念さを
他人でありながらもこの僕がどことなく 松木さんの死に感じているからだと思います。
彼女ならもっといろんなことが出来たはずだと確信できるからです。
その上で、僕自身、今度の松木さんの死をこれまでサークルに関わってきていただいた多くの人たち
すべてにお知らせできなかったことの悔いがあって、申し訳ない気持ちもあります。

※ブログのカバーの草木は松木さんを偲んでハーブの一種の「レモングラス」の葉を飾りました。
かって不眠を苦にしていた僕に、「松木さん」がレモングラスでこしらえた枕元用の香りのアイテムをいただいたことがあります。
その匂いのそこはかとなく、それでいて根強さが感じられるところが彼女を偲ばせてくれます。

そんな感傷にひたりながら、中途半端な気分のまま昨夜のサークルに出向いたせいか
会員の皆さんに、エクセルの関数の段になって
うまいこと説明が出来ないままに時間を過ごしました。
(・・・それはことさらこういう日に限らず 僕自身の常ではあるけれど・・・・)

実のところ、昨夜のくだりは、今回設定した課題のクライマックスだと考えていたのですが・・・
にもかかわらず、説明が不十分で、みんなに迷惑かけたと思っています。 言い訳にはなりそうないんですが・・・

それは、別表からある条件(検索値)で、該当するデータを探し出してくるVLOOKUP(ヴィルックアップ)という関数と
できあがった表から、特定の条件や検索値をあたえると、その条件に該当するものだけの集計をしてくれる
SUMIF(サムイフ)という関数です。
この二つの関数は、手に入れれば、実は結構「出来た」気になれる代物です。

ここのところは、丁寧に説明したいと思っていますが、とりあえず横着で申し訳なくはあるけれど
とりあえず、このブログで以前に書き込んだ「過去記事」を下記に取り上げておきますので、
参考までに文字をクリックしてして、あわせて読んでいただければ幸いです。

 

VLOOKUP関数:EXCEL(エクセル)

 

エクセルで決算書:「SUMIF(サムイフ)」が決め手


ついでに 

エクセルの極意:IF(イフ:もしも・・・だったら)を極める

 

 

記事は、出来れば新たに再考のうえ、作りたいと考えているには、いるのですが・・・

 



【追悼】・・・「松木妙子」さんを偲んで

2015年07月22日 | パソコンサークル

また大事な「仲間」である人が、逝かれました。
7月19日、サークルの仲間である松木妙子さんは、「間質性肺炎」という病魔と懸命に闘いながらも
治療の甲斐もなく、ついにその人生を閉じられました。
思えば、「富田」のこの地に越されてきて、第2の人生を彼女の思うままに過ごされるはずでした。
美術の先生であった彼女の2つめの人生は「農業」であるとかハーブとか
土に根ざした生き物への憧憬や深い思い入れとともに、そのライフスタイルが築かれはずであり
ゆっくりとして生き生きした生活がそこにあるはずでした。彼女が病にとりつかれなければ・・・・・・・
いずれにしても73歳という生涯は、道の半ばに終わった口惜しさが、この僕をしてこみ上げます。

 

彼女は、群馬の桐生の生まれであり、教職の道を進まれ美術の先生として大阪に赴任されていたと聞きます。
退職後に縁あって、この地に住まいを得られて、我々とサークルでの時間を共有することが出来ました。

思えば彼女は、いつも凜として、そして前向きでおられました。
世の中への視線は、僕自身ともたびたび重なるところもあって、彼女の颯爽とした精神性は
いつも尊敬に値したものでした。

田舎に住むと・・・どうしても視野を狭くして、あの人がどうたら、こうたら
自分を棚に上げて、人のことばかりを口にしてしまうことがあるようです。最近特に思うのは
集落に増え続ける空き家のありようで、それは便利と引き替えに田舎を捨てていくと
都合よく考えがちですが、一方でどうしても「ひとのこと」を口にして、世間を狭くする風土も人を
遠ざける一因ではないのかと、田舎慣れして気づかされるのです。

その意味で、彼女の口からはそうした言葉の一つも耳にすることはなく
僕のお手本でもありました。
彼女の人生を深く知りません。知らなくても彼女は、十分に僕らの仲間でしたし、時には
道を指し示す人でもありました。人への思いやりは決して、ずけずけと立ち入らず今ある人の生き方を
正当に見て、評価する人でした。

けれどもそんな彼女が遠く群馬の桐生から大阪、そして丹波と
変わる人生で、最果ての地となった富田で、こともあろうにこんな難病にみまわれた彼女の人生の不運は、
何も・・・何一つ として彼女の力になり得なかったこの僕を、悲嘆させます。

病院に見舞ったときに、彼女が発した言葉を忘れません。
彼女は死を覚悟してたというよりも、むしろ信仰をよりどころにさらに強く「死と向き合って」おられたことを
思います。時には強がりではなくありのままに、運命の一つとして受け入れているかのように・・・
僕らの哀れみや同情などはるかに超えていると感じて
そのありようは、僕らがマネのしようがないほど気高く、そして強いものでした。

7月21日、園部のカソリック教会で、彼女の子供や孫たちに囲まれ彼女の送別のミサが営まれました。

マリア・ベルナデッタ 松木妙子さん」僕らは決してあなたを忘れません。
あなたは、とても強い人でした。