富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

サークルの2018

2018年02月12日 | パソコンサークル

よくよく考えて、今更やけど・・・

このサークルのブログの記事が、去年の始まりで途絶えてて、ずっとサボっているのに気づく
ログインパスワードさえ、記憶の底に消えてる始末。

・・そもそもサークルの会員さん宛の通信手段としてこのブログを立ち上げ、その都度頭によぎる雑感を加えてきたけど
加齢から来る「くたびれ」というか・・・弁解がましいけど、自分の「目の調子」も良くなくて
「ドクターストップ」がかかってることを言い訳にして、記事を書き込むことをおざなりにしてきた。

そんなことやから、このたび長らく会員として、常に前向きに取り組んで来られた一人が
年頭に「退会」の旨を申し出てこられても、引き留める言葉ももてず、
主宰者の責任の希薄さに反省しながら、残念な思いで2018年をスタートしようとしています。

「パソコンサークル」はサークルで、学校のまねごとした「教室」ごっこはしたくないと
自分は、何度も繰り返して、こだわり続けて、
どうしてもその本意が、サークル全体に伝わりきれないもどかしさも未だに感じてはいます。
そのことが、始まった当初にサークルにあった前向きなエネルギッシュな雰囲気を
変質させていることを率直に感じますし、
それはひとえに自分の「ミスリード」であることを
自覚し、大いに自戒の念にかられてもいます。
サークルの現状を、どうしても変えたいとするのなら、
自分が変わらなければならない面と、自分が引き出さなければならないものが必ずあるはずですので
みんなの理解をえて、みんなの協力がなければなしえません。
一方で、パソコンという道具が、一時ほどプライベートな場面で必要性が薄れてきたことも
身にしみて実感します。
少なくとも、自分らの子供からもっと若い世代には、高機能化したスマホなどが取って代わり
パソコンという道具が、化石化しようとしている現実があります。


・・・この国が持つ国民性を持ちだして、あれやこれや論じようとは思いません が・・・・

パソコンというものはあくまでも「ツール(道具)」でしかありません。
それを使って「何かをしよう」ということこそが、すべてであり
それには人それぞれやり方とあり方があります。目的は多様であり、行き着くとこは別々です。
なにかひとつの正解を追うことでは決してありません。
だからこそ、「出来る」とか「出来ない」などと言うことは
まったく問題ではなく、間違ってるとか正しいとかすら本質でもありません。

とかく、この国では何でもかんでも「せんせー」とか「生徒」を作り、生徒という学などと言う名目で
受け身の立場で、自分のことであるのに物事に立ち向かうことを楽にしようとするやり方が、
とりわけ自分らの世代やそれ以前の人たちのやり方にあるのは正直事実です。
こういうやりかたにあっては、「自己責任」という概念は、大抵他人事になり、
しようとしないことの「いいわけ」にしがちです。・・・自分には誰かに比べて才能がないとかどうとか
誰かが問題ではなく、自分がどうしようとしているのかを隣の人と見比べてしまい納得しようとします。
基本的に自分のことに消化できない事例をたくさん見てきました。
だからこそ、教室ごっこして、パソコンを学ぼうとすると行き詰まるのが自明と思っています。
センセーから学のでありません・・・出来る人に聞くことがあっても
自分がやってみて、わからないことが何かすらわからなければ意味もありません。
とにかくやってみることが必要で、「失敗」をすることが恥ずかしいようでは前には進まないのです。

教室ではないこのサークルでは、出来るとか出来ないなどとそもそも考える必要もないので、
「アシを引っ張ってる」などと妙な気遣いすら不要です。
それより、自分が何をやりたいかを思うことを第一義にとらえなければなりません

2018年・・・よくよく考えれば、自分自身も もうとっくに
デジタルな情報を得るのに、PCを使わなくなっていることに思い知ります。
何かを調べたり、誰かと交信するときは必ず、スマホでありタブレットであって
PCは、仕事場や会計などで「書類」をこしらえるときだけに使ってます


そう遠くない時期に、パソコンなどは時代の遺物になっているのかも知れません。
パソコンはデジタルな「データ」を作るときとちょっとした印刷物をつくるときや
CADなどの特殊な作業だけに使われていくでしょう。
Windowsも、もうこれ以上の開発はありません。
そうした中で、これから先に「パソコンサークル」というものがどれほどの意味があるのかを
見つめて、2018年2月14日(水)奇しくもバレンタインデーにサークルを再開予定です。


2017年幕開けです。

2017年01月30日 | パソコンサークル

2017年・・・の最初の記事になりました。
それぞれに苦心や工夫された年賀状が届いて、ほんわかした気分で見てた「正月」があっという間に過ぎて
平成29年が幕開けました。・・・それはそうと、どうやら「平成」と名乗るのもあと2年だけになりそうな気配です。

余談になりますが、昭和から平成になるときに、年号の候補があったという話をお聞きになったことがありますか?
「平成」「修文」「正化」らしいのですが、必ずしも確かな話ではないのですが・・・・
この中から「平成」が選ばれた経緯というか理由がわかりますでしょうか・・・
それは、「平成」だけがそのイニシャルが「H」であり、あとの候補が「S」であることが落選の理由という話で

というのも、よく和暦の年号を表記するときに明治は「M」、大正は「T」、昭和は「S」と
アルファベットで略すのに、「S」がかぶるのが都合が悪いとの理由です。
これは、エクセルでも大いに意味があって、年月日を「S28/8/21」と入力すると
ちゃんと「1953/8/21」と認識される仕組みがあって、重宝してるので
イニシャルがダブるとめっちゃ困ってしまいます。

はじめから、今回限りの「退位」って言うのがありきの議論であって
退屈な「天皇退位論」でしたが、引き続き年号制を維持するのだとしたら
次の年号は「M/T/S/H」以外のイニシャルになるよう決めていただきたいデスね。

一方、ここらの年明けは、何年ぶりかの積雪からくる雪害で、
集落内の道路という道路がマヒして、役場には苦情の電話が殺到。
それでも、除雪はままなりませんでした・・・・
このパニックに至った真ん中にいて、自分なりにいくつかの感想と実感をもったものでした。

一つにはこの町にこうした「災害」に即時に対応できる「建設業」の数が激減している現状です。
そのことから、除雪できる機械とそのオペレーターの絶対数も同時に足りない状況で
数年前と大きく異なって、たとえ行政が早期に手配し対応しようとしても
到底間に合うはずもないのです。
いわゆるこの町が発揮しうる「公助」のスケールは
ここんとこの公共事業費の締め付けによって、廃業や撤退などがかさむ業界にあわせて縮小しているのです。
そこで、本当には、こうした際に最もあてにすべき隣り合う者たちの「共助」というものが
よりどころになり、頼りになったはずです。
すくなくともその用意のあった区や集落では・・・・

けども現実は、高齢化や世知辛い現実と
あるいは、世代間の格差からくる共通理解の不足もあって
たとえば、大雪のあった月曜日などは、本来なれば
早朝みんなが助け合って本業を休んででも集落内の雪かきを一斉にするなどの
思い切った「助け合い」がはじめにあって当たり前でした。
けども、必ずしもどこかしこもがそうではなく、
一方的に、電話をかけては、時には怒鳴り散らしてでも、自分とこの町道や
道路の除雪作業などの「公助」ばっかりを求め、
遅い対応の行政を批判してばかりだったことも目立ちました。
わからないこともありませんが、行政の対応に限界があることを
知っておくべきでした。

余談ですが、たとえばこういう一面もあります
ある政党活動されている議員さんは、広報誌を各戸にくばり
「困ったら、何でも私に言うてください」と声かけられて回っておられると聞きます。
それが、さも「議員」というありようであるかのように・・・

彼らは今回どうだったのでしょう・・・
出動した際に、雪かきにくたびれた住民の一人に「行政は遅い、
同じ税金払うとるに・・・」
「こういう場合は議員さんにゆうたほうが早いんか?」と詰問されたことがありました。

それでは・・・議員さんに言うと、議員さんが来てくれて
「除雪」してくれはるんかと言うと
そうではありません。想像の域にしか過ぎないけど
議員に助けを求める人の多くは、議員からの行政へのアクセスを期待し
議員は、議員で役場に電話するか、時には自ら、出向いて呼びつける格好で
除雪の順番を変えてでも、自分のクレームを優先させ結果、「公助」の連発となることも
顧みずに、自己満足的にこういうことを、「仕事」としてしまいがちです。

私見ですが、議員とか公的な立場で直接的に行政へのアクセスは
広い意味での「口利き」で、逸脱した法令違反にも見えます。
そもそも区という自治会の活動を頭越しに、
一人の議員が、功名を得るように「公」にいきなりアクセスすることが
ええノか悪いのかわかってもおらず、たかだか町議の選挙目当てだとしたら
なおのこと、本末転倒に見えてきます。それを許容する人もまた意識が低いと言わざるを得ません。
こういう風土自体にも、「共助」が醸成されない要因があります。

高齢化にあわせて、人口減少や経済規模の縮小に見舞われて
この町の財政規模がますます小さくなっていく以上は、「共助」こそが
その核になることは、繰り返される「震災」から学んでいるはずです。

たとえば、各区にある除雪の機械への交付金であったり
全額でないにしても、除雪作業への負担に補助を与える仕組みであったり
そうした「仕組み」作りこそが、
この雪害のパニックからクローズアップされた課題だと感じています。

公助は確かに「楽」に思えても、財政上は、もう容易に期待できるほどの容量もなく
合併したことの特別な「プール金」も、とっくに底をつき、
この町にあふれたインフラへの過剰投資が、維持費と管理費という名で跳ね返って来る日が
間近に迫ってきている現実がここにあります。

よく「自己責任」などという漠然とした「押しつけ」がコイズミ以降のこの国にはびこっていますが
それを言う割に、自己責任を保証する手立てが法令化されたりはしていません。
「もう面倒は見ません」ということが増えたのであって
何人かでやろうとすることに実はバックグランドも支援の仕組みもないのです。

だからこそ、「共助」がこうした当てにできない状況を切り開き、
その支援として、たとえば「クラウドファンディング」などという手立てがあるのであって
公助が期待できない以上、それに代りうる手立てや仕組みをこれからどう作るのかが
実は喫緊の課題だとも思えます。
共助を支援する意識が行政にあったとしたら、
住民側にも従来のように、要望という地元へのおねだりに明け暮れることもなく
たとえば試みをクラウドファンディングを募って実現しようという意気が上がってくるだろうと思えます。

・・・・などとエラソーにも、
思いついた遅い年明けが僕の正月後の感想です。

 

相変わらず前置きばっかりがくどいのですが
2017年のサークルは、とにもかくにも
「エクセル」強化を前面に出して、2月8日(水曜)に起動しようと思っています

この記事に気づかれたら会員相互の連絡お願いします。


改めて思うこと・・・サークルとは

2016年11月12日 | パソコンサークル

ひさしぶりに書き込みたいと思いついたのは、
この間のサークルの冒頭で申し上げた自分の思いからです。
メンバーも新しい人が加わって、またあたらしい感じが生まれるのかしらと
漠然と思っていましたが、何とはなしにモヤモヤした「違和感」っていうのを感じるようになり
サークルに対して自然と自分のモチベーションが維持できないこともあったことを告白します。
・・・けども今一度初心を思い起こして、この際思い切って、
自分の思いを述べておかないと
自分自身は何となく今後はもう続かないかなって思うほどでした・・・ので
意を決していうたつもりですが、時に独りよがりに思いばっかりが先走り、つんのめってて、
何を言うてるのかわからなかったこともあったと思います。そのせいで
中には、通じてないかなって思う返答も帰ってきたので、くどいのはわかって
この投稿に至っています。


パソコンサークルは決して「パソコン教室」ではありません。
パソコンを「勉強ごと」にして考えることは、正直僕には受け入れられません。

パソコンは、道具の一つです。文書や表やウェブサイトを閲覧したり
ものを調べたり、困ったときに料理のレシピを検索したり
時に遠くに出かけて変えない買い物したり、あるいは
遠くに出かけるときに宿を手配したり、その場所を調べたり
離れた家族や友とのコミュニケーションの手段としたり・・・

つまりパソコンとは、いわば木を切る時ののこぎりや、もの書くときのペンと同じ
で、何かを作ったりするときのツール(道具)なのでパソコンそのものが
できるかできないかそのことは全く問題ではありません。
車でもそうでしょう。車の運転を覚えようとするのは
どこかへ行くためであり、運転そのものが目的ではありません。

つまりパソコンの操作が、パソコンの目的ではなく
パソコンを使うことによって、それまでは、できなかったことを
できるようになるためのツール(道具)だということです。

僕自身が、この地でパソコンサークルを主宰しようと
志したのは、まさにそこのところで、世代間に横たわる段差のような
隔たりをパソコンを通じて同じ区にいながら、世代も違いそれまで交わる機会のない人が
交流し、様々な人の新しい一面に触れて、また刺激され新しいことに
チャレンジするような機会にすることでした。

だからこそ、この集まりは「サークル」と呼ぶ集まりであり、あくまでも自分が前向きに
なってそれぞれの個性に向き合うことが重要であって、
この国にありがちな「決まり事」のように
誰かに一方的に学ぶというような「受け身」の姿勢で存在する「教室」のような
ありようでは、パソコンを学び合うような機会と位置づけたとしても、
僕自身は、はじめからアレルギーを持っていましたし
パソコンで教室ごっこするのはいやでしたし、画一的で押しつけがましい
「知ったかぶり」では、誰のためにもならないし
結局そういう形では、長く続かないとも考えていました。
それは今も信念として持ち続けています。
現実に「パソコン教室」に通って継続する人はどれだけいるでしょう。
金を払いながら、インストラクターをセンセイと呼び、次々に出される課題に
わからない自分を卑下していては、できないことばかりが増えるだけで
結局続けるモチベーションがなくなってしまいます。
道具を使うのは、自分の工夫であって、人に技能を強いられるものではありません。
自分なりに使えればいいことで、人に教えを請うのは二の次の話です。
自分が自分のために使わなければ、結構なお金を使って買い込んだパソコンも
無駄遣いに終わります。
「勉強」のための道具ではありません。自分に役立つものでないと意味のないことです。
「脳トレ」のつもりでされるのなら、わからないことにばかり時間を費やすのであれば
むしろストレスでその効果は半減します。

たとえば、この国では僕らの世代でさえも、中学、高校と
6年間も「英語」という勉強をさせられます。好むと好まざるとに関わらず
なぜかこの国の大学を受験するときに、必須科目として「英語」の
勉強を強いられます。
英語を勉強にして、習得されたとする「先生」という人たちに教わって...

ところが、それほど勉強しても
この国の英語力は、現実には世界を見渡しても100位を下るほどの英語力だと評価されます。
いまこの国の首相は実にたどたどしい英語のスピーチに終始します。
アメリカの留学経験があるといいながら、あの程度の英語力でしかありません。
英語とは「言語」であって、人とのコミュニケーションのためのツール(道具)であるのに
勉強してきたはずの人々は、「ディス イズ ア ペン」とは書けても
困ってる外国人を見かけても、「May I help you?」と話しかけようとはしません。
交流するといいながら、何が何でも「作り笑顔」だけで済ましているから
彼らは、日本の中で本当の意味の「トモダチ」を見つけられずにいます。
いったいこれは、何のための「勉強」なんでしょうか・・・・
「勉強ごと」にしてしまうと、ついつい人と比べて自分を比較して、そして
人からの評価に気を巡らせ、時に当てにします。
そこからやたらと「失敗」をすることを恐れて、「間違い」というものに
神経をとがらせてしまいます。
やがて、わかっているくせに、間違うことが恥ずかしくてチャレンジしたり
前向きにいることすら、出しゃばりと決めつけて、困ってる人の前でさえも
能ある鷹は爪を見せようともしないのです。
この国には「謙譲の美徳」なるものが厳然としてあり、謙遜するのが習です。
できるくせにできないということが良いことのように、慎ましやかに装います。
できれば人前でミスをしたくないので、予防線をはっているのです。
こういう断言は一方的ですが、僕らが知ってる「教室」とは
ものが使えるように学び合うのではなく、勉強ごとにしてどれだけ知ってるかの
評価を競い合ってるようにしか見えないのです。
それに反して海外の人たちの多くは、学ぶということを現実的にとらえて見えます。
できなくてもやったことがあることを隠しもしないし、少ししか知らないことでも
たどたどしい有り様でも、物事へチャレンジして見せ、その失敗の繰り返しから
自分の経験値にして、自分のスキルを上げることを小さい頃から教え込まれています。

どちらが正直に自分を表現し、物事に向き合っているか自明の話です。
何事も習い事まで「勉強ごと」というものに目的化してしまう、この国の習性がもたらす
最たる「失敗」だと僕は考えます。
元々、この国の「教育」という本質が、「勉強ごと」に終わってしまってることを
学生時代から思い続けてきました・・・ほんまのこというと、自分が勉強をサボる口実ですが・・・
けれども今となっては、結構的確に真実のような気もしてきます。

一概に国民性を論じるのは、はばかれますが・・・・・
人をむやみに「先生」と呼ぶのも、僕には大いに抵抗があります。
中学の時に、僕は自分の家族との関係や家族への不信感を感じて
思い悩んで、職員室の教師をしてる人に相談に行きました・・・・
そして、僕の悩みに対する彼の返答のはじめの言葉が「先生はな・・・」ということに
ものすごい嫌悪感を感じたものでした。自分は自分なりに随分思い悩んで
それでも一念発起して、自分をさらけ出したのに、彼はあくまでも
職員室というか学校側として意見を述べるように、人格のない「先生」と自分を称したのです。
その瞬間に、ものすごく距離感を感じて、「先生」という言葉にも嫌悪感に似たものを
感じたものです。

欧米かぶれの自分ですので、それが正しいことだという意味で述べるのではありませんが
彼らはスクールであろうが、ましてプライベートであって
教師を職業としてる人を「先生」などという呼称で呼ぶことはありません。
ちゃんと名前を呼んでその個性をこそ親しみます。そして
ためらわず、臆せず彼らに問いかけ、自分のスキルを自分で磨こうとします。
そしてチャレンジして犯す間違いを決して笑うこともありません。彼らの話す
日本語などおおよそ、片言で日本人が気にしすぎる「文法」などに照らせば
「間違い」だらけの日本語です。
けれども彼らはひるまずに「オイシイ」「オオキニ」ぐらいの日本語力でも
話しかけること、交流することの道具として懲りずにカタコトの日本語使い続けます。
ここに何のために学んでいるのかの本質があります。
失敗を「恥」とするのか、チャレンジする一歩として、失敗を糧にするのかは
大きな違いです。パソコンに置き変えれば、失敗やミスを恐れて
何もしなければ、道具がさび付くだけで得るものは何一つないでしょう。
ただ、何のためにパソコンを動かそうとするのかを見失うことがなければ
失敗を恐れずに、チャレンジを繰り返します。
そういう雰囲気は、従来の「学校」や「教室」をなぞった有り様からは
残念ながら決して生まれないと断言できます。みんながのびのびとパソコンという
道具を使いこなすのに、サークルという「よってたかる」場所が必要だと思います。
わかることは、すすんで教え合い、わからんことを気軽に聞き合う場所でないといけません。
だからこそ、そこに「センセイ」などというものは必要ありません。
努めてこういう雰囲気を作るのには皆が横に並んでいて醸し出されると思うのです。

それによくよく考えてみれば、この国で「せんせい」などと呼ばれている人の、
結構多数の人が怪しいものでしかありません ・・・センセイ呼ばわりの
最たるものが政治家で、医者を「センセイ」呼ばわりすることにも僕には抵抗があります。

わざわざこのことを持ち出すのも、10年を超えるほど続いてきたこのサークルに対する思いからです。
ずっと長い間、はじめからどちらかというと操作の仕方を「聞かれる」立場にあり
会員のみんなに「課題」を作ってみてといわれてきた経緯からでしょうか・・・・
センセイと呼ばれる方もおられました
その都度、僕は「先生」ではないと言い続けてきました。
けどもパソコンができるということは、仕事をしていれば誰もが仕方なくこなせることであり
自宅で使っておられる方とは、大いにそのスキルに違いがあるのは当たり前のことですし
エクセルやワードができて仕事になるのですから、
それを尊称のように「先生」などと呼ばれると
むしろ違った意味にさえ聞こえてしまうほど、内心ひねくれてもいました。
僕は交流の場であると考えているので僕を勝手に「センセイ」などと持ち上げて
区別されてしまうことも大いに心外なのです。

だからこそ、これを機にサークルのすべての人に改めて
自覚してほしい。サークルは「パソコン教室」ではありません。
パソコンはツール(道具)であって、できるようになったことが目的ではありません
パソコンで何をやったかということがすべてです。
英語のように「勉強ごと」にしてみても、話すことに使わなければ
本来の意味をなしません。
だからこそ、僕自身は僕が「課題」などというものを出すこと自体にも違和感があります。
課題は、できてもできなくても、僕には興味がないのです。
だから作ったとしてもみんながやろうと取り組むきっかけになればいいことで
できたかできなかったかということでもなく、サークルの時間をそのことに使う意味をあまり感じないのです。
それよりか、それぞれの人がまちまちでも、何か新しいことができたとか、こういうことがしたいと思ったとか
聞くことが何より楽しいことだと思います。

サークルが始まった頃は、僕を含めてみんなが、できようができまいが
同じ視線で集って、あぁでもないこうでもないというやりとりがあり、
たとえば運動会でバザーしてみよう、ついでにパソコンでTシャツにプリント
して、とかアイデアが伸びやかに飛び交って
できまいが何かをやってみようと気分が充満してた気がします。

パソコンがツール(道具)である以上、集まった人の目的は
十人十色で違います。それぞれの目的のために手伝いができたらなと考えています。

くどいようですが、僕は「センセイ」などと呼ばれても
心外ですし、僕ではなかったとしても、誰かを「センセイ」として
従来のこの国の習わしを引きずるように「勉強ごと」にして
パソコンサークルを「パソコン教室化」してしまうと本来の意味を見失うどころか
パソコンの操作を覚えることの障害になってしまうと考えます。
みんなが同じことがやりたいわけでないので、同じことを覚える必要もないし
自分ができないということが、誰かの足を引っ張っているなどいう発想に
陥る意味すらありません。

「センセイ」というのが、呼びやすいという人もいるかもしれませんけど
それは結局できない自分を自ら作り上げて、しまっていることでもあります。
何度も繰り返しますがパソコンができないことは、恥ずかしいことでも何でもないんです。
以上の理由で、この際改めて、これらのことを心して
みんなをお互いに名前で呼んで今一度初心に立ち返るように
それぞれの個性に目を向け自分なりのパソコンを使いこなしましょう


地震国2016.04.16

2016年04月16日 | 震災

40年も前、僕自身は1年間熊本に住んでいて、始終見上げた「熊本城」と
阿蘇に広がる草千里の眺望と雄大な自然に心洗われ、心地よい人とのふれあいとともに
その期間が短くとも、今ある自分の中に形作られた精神的な核心のようなものが
ここで作られたことを感じている。
その愛すべき熊本や阿蘇に連なる風景が、巨大地震に引き裂かれ
おびただしい被害の状況をテレビを通して目の当たりにするとき、言葉を呑み込んでしまう。
それはまさに21年前神戸で見た惨状を思い起こさせた。

この国の風土は、入り組んだ渓谷や連なる山々と変化を極める風景と
四季の移ろいを愛でて、自然というものに畏敬の念を抱きながら暮らしをつむぐ風情で
形成されている。
しかし、こうした自然の圧倒的な脅威を目の当たりにするときに
あらためて思い知らされる。

連なる山々のでこぼことした地形や変化がおおきな渓谷こそ
もとはといえば、地殻変動のたまものであり、プレートが衝突してねじれて山脈が形成され
そこに生まれた亀裂に川が流れている。 それがこの国の美しいジオラマの本質でもあるのだ。

阿蘇に連なる草原は、どんな屈曲した気持ちさえも小さくしてしまうほど
その圧倒的な風景が雄大やけど、それも幾たびかの火山の噴火でもたらされた
折り重なる地層がかたどるものの「表面」に見えるものでしかない。

およそ、人類の知恵はいまだに自然の摂理には及ばないものの
この国が幾重かのプレート上に形成された地形と地層で象られたものであり
あわせて多くの火山活動とともに、いたるところに地溝帯とよばれる断層の塊があり
この国のどこにも亀裂のない地層など存在しないことはわかっているつもりでいる。
けれど、結局阪神淡路のときも、東日本の震災ですら、起こったときにだけそのことを肝に銘じて
いずれの時にか「他人事」にしてしまう。

今は、一瞬の地震で命を奪われた人々、その遺族の方々に思いを寄せるとともに
そんな国土に原発を稼働させることの恐怖を思い知る。

ただ、救難の指示をまことしやかに発する総理大臣こそが、「フクシマはコントロールされている」
と世界に嘘をついた張本人であることが、空々しく
また相も変わらぬ懲りない知恵のなさに、寒々しくテレビから流れている。


パソコンの掃除。

2015年12月23日 | パソコン

今日コータの講演があるので、亀岡の「烟河」にご近所の人数人と出かけて、
うかつにも、うるっとくる瞬間にまぶたをあつくしてしまいました。思惑も自分の都合もあって
距離を詰められずにいましたが、あらためて今後の「くろまめプロジェクト」に関わって果たすべき
使命を実感させられました。

が、どんなに感傷にひたっていても、時は人を待ちません。あっという間に年末になり
ものの一週間ちょっとでまた新しい年が明けます。年賀状も一通り終えて、あとは身の回りの掃除が待っています。

パソコンもまた同じで、掃除をしとかんとあきません。というても物理的にキーボードや液晶画面を磨くとかいう話だけではなく
むしろ、パソコンの中身にたまったものをちゃんと片付けて処理する「掃除」の話です。
それは、ちょうど料理を作って、食器に盛りつけて、食べた後は当たり前のことですが、残り物の片付けや食器を洗わねばなりません。

同じようにパソコンを起動させて、あれやこれや、コピペしたりページを閲覧すれば、
たとえば「キャッシュ」というようなものが貯まっていきます。・・・・えっ「現金が・・・」と思いたいのですが
パソコンでいうキャッシュとは、残念ながら・・・
一時的に保存(ほぞん)するデータ」や、「データを保存(ほぞん)する場所」のことをいいます。

これはパソコンで作業する際の基本的な仕組みなので、何もしなければ、こうしたいわば不要なファイルがたまっていき、
コピペするたびに「クリップボード」に保存されたデータが蓄積される仕組みです。
キャッシュとは一度したことを覚えておいて、次に素早く起動させようというような仕組みですが
実は、重なると重荷になって、むしろパソコンの「足かせ」になってしまうものでもあります。
だからこそ、掃除が必要になるのです。

あんまり、こうした基本的な扱い方をサークルでは説明してきていないことに、今更気づいているのですが
僕自身は、実は結構習慣づいていて、気づくたびにこうした一時ファイルをクリーニングしています。
・・・・リクエストくれたボクの大切な友達からすれば、なんとなく、ずるい気のする話でしょうが・・・

パソコンの中身をきれいにするためには、本当はちゃんとした知識がいるとは思います。
ですが、僕自身も丁寧に説明できるほどの知識もありませんので、
手っ取り早くクリーニングする方法を紹介しておきましょう。

ボクはとっておきのフリーソフト(無料ソフト) CCleaner(シークリーナー)を愛用しています。
もしも今パソコンに入っていなければ、是非ダウンロードしてみてください。
それほどこのソフトは有名で大きな評価を受けています。

ダウンロード先→ccleaner 
で、「最新バージョンをダウンロードする」というボタンを押して、ダウンロードしてください。

ダウンロードできたら、そのファイルをWクリックしてインストールし、画面上のCcleanerのアイコンを

index

クリックして起動します。
すると、下のような画面が現れ、見ると、画面左側には「Windows」と「アプリケーション」の二つのタブで
クリーニングする対象が、構成されています。

2015-12-23 16-06-00
細かく削除する対象の項目が並んでおり、チェックする欄があります。
このうち、たとえば保存しておきたいパスワードなど以外、消したい項目をチェックしておきます。

さらに、カーソルを下げると
2015-12-23 16-06-56

案の定、「システム」のところに一時ファイルやクリップボードの項目があるので
迷いなくチェックを入れたら、右側の画面の左下の「解析」ボタンを押します。

すると、ゴミの量だけ時間がかかりますが、やがて消し去る対象のファイルがリストアップされて表示されます。

2015-12-23 16-08-24

上の緑色のメータが100%に達したら、右下の「クリーンアップ開始」ボタンをクリックします。
※このボタン何回か繰り返し押してください。・・・気のせいか一度でクリーンアップできた試しが
ボクにはありません。
これが一番手っ取り早い気がして、パソコンの電源を落とす前に
ほぼ毎日ボクは、この作業をしています。

顔に似ず、なぜかこんなとこだけは、きれい好きなんでわ。


「音声検索」 Google Chrome(グーグル・クローム)

2015年11月21日 | インターネット

インターネットの環境で、Webサイトを見聞きするのは、「Internet Explorer(インターネット・エクスプローラ)」に
限ると考えている人が意外に多いことに今更ながらに気づきます。
これは、多分にパソコンの「入門書」などというもの影響かとも思いますが・・・それは明らかに「思い込み」だと思います。

Webサイトの「閲覧」ソフトを、一般に「ブラウザ」と称しますが、 Windowsのパソコンには、はじめから付きものとして
この長ったらしい名前のブラウザであるインターネットエクスプローラ「略称:IE]が備わっています。
だからこそ、このオマケのソフトでなければと考える向きがあるのでしょう。
とはいっても、今度のWindows10では、もうすでに「Microsoft Edge(マイクロソフト・エッジ)」
という新しいブラウザにとって代わられています。
過去、幾度となくIEには、アップデートが繰り返され、改良が施されてきました。それは、何よりもこのIEの持つ
欠陥(セキュリティのほころび)に対して、悪意をもつものの攻撃が加えられ、ウィルス感染の入り口にされてきた経緯があり、
さらに、このブラウザは、いつも「重い」というアプリケーションそのものの問題をいつも指摘されてきました。

こうした実情から、Microsoft社以外からも、IEに代わるブラウザが、いくつも開発され、無償で提供されてたのです。
もともと、天の邪鬼で、人と違ったことを好む・・・ひねくれ者のこの僕は、
ずっと以前から、どことなく使いにくいIEよりも、「FireFox(ファイアーフォックス)」とか「Sleipnir(スレイプニル)」とかを
好んで、利用してきました。

その中で、今回は、おなじみの「Google」が提供している「Google Chrome(グーグル・クローム)」というブラウザを
紹介したいと思います。
このブラウザの特徴は、いくつものWebサイトを同時に起動してそれを「タブ」で切り替えるタブブラウザという機能は もとより、
以前からその「速さ」に定評があり、事実、世界というくくりでのユーザーは、IEに次ぐシェアを誇っています。
何よりも「Google」が開発したというブランドが多くの支持を獲得した要因であると思います。

加えて、もう一つおススメな、訳があります。
それが「音声検索」です。
スマホを使っておられる方や、iPad(アイパッド)などのタブレット端末を使って
おられる方にとっては、もう珍しくもない機能ですが・・・・調べたい事柄を画面に向かって話しかけると
音声を解析して、「検索」してくれる機能です。これが出来るといちいちキーボードをたたかなくても
検索できるという便利な技で、重宝します。

これをWindowsパソコンで、通常の使い方で簡単に実現できるとしたら・・・

今のところ「Google Chrome」の導入しか思い当たりません。だからこのブラウザのインストールを
試してみる価値もあると思うのです。
(ただ、パソコンにマイクがあるのが前提ですが・・・今時は、たいていモニターにカメラとマイクが
PCには、付属しています。もしも、そうした機能がなければあらかじめ、マイクを用意しなければなりません。)


Google Chromeの入手は、ネットにつながっていれば比較的簡単で、無料でダウンロード可能で、
ダウンロードできたら、そのファイルをクリックするだけで短時間にパソコンにインストールすることが出来ます。

1. Chromeのダウンロード先は下記のリンクをクリックします。
「Google Chrome」

2. サイトが開けば・・・・下記のような画面になりますので
「Chromeのダウンロード」というボタンをクリックして、ダウンロードし
適当な場所に保存しておき、ダウンロード完了後にそのファイルをダブルクリックすると
自動的にインストールが開始されます。
google chrome download

3. Chromeが無事にインストールが出来たら、早速起動し
URLが表示される欄に「Google」と入力して検索します。
(実は、Chromeには、別に「検索だけのバー」が用意されていません。Chromeの場合はURLの表示欄は
検索バーも兼ねていますので、ここに検索の言葉も入力することが出来ます。)
いつものGoogleの検索画面が現れたら・・・その検索バーに「マイク」のアイコンが加わっていることに気づきます。


google search

これが「音声検索ボタン」です。
このマイクのアイコンをクリックすると・・・「音声」での入力が出来ますので
パソコンに向かって言葉を発すると・・・賢いことにパソコンが調べはじめてくれるのです。

※やってみたけど・・・できひんわ・・・という方は、パソコンのマイクの音量が止められていたり
マイクの調子が悪かったのかもわかりません。原因は意外に単純なところにあります。

 

 




エクセルの応用と活用:サンプルです。

2015年09月07日 | エクセル

長らく、投稿をサボっていました。

ずいぶん、サークルも人が減り寂しくなった感はありますが・・・少数とはいえ
現在、VLOOKUPとかSUMIFとか結構小難しい関数に取り組んでいます。
そういう意味では、「やる気まんまん」てとこでしょうか・・・・

考えてみたら、こんな関数使いこなせれば、一般的なExcelの活用など
いわば卒業レベルで、あんまり近所で出来る人を見かけることもないとは思います。

そこで、これは「課題」というわけではありません。
が、活用例として今までサークルで自分なりに説明してきものを紹介します。

オリジナルもあれば、あるいはサンプルをどこかしらから持ってきたもの(・・・佐野ナントカさんみたいに)
・・・・けど、これはエンブレムの話とは違って、
公開されているもので多少加工したり、編集の上使用しても著作権には触れないと思います。

余談ですが・・・こう失態の続くオリンピックって、一切の責任を感じないでいるあの森ナントカとか
財務省の天下りの事務総長とか・・・およそスポーツに縁のない連中が責任をとって、とっとと辞めない限り
国民は、中止もやむ無しと盛り上がらなくなってしまうでしょうね・・・東京だけの話やもん・・

エクセルを万能のものとは決して言いませんが
杓子定規にエクセルは表だけなどと言い切らずに、文書やアルバムめいた写真整理のようなものも、
その気になりさえすれば、作れますのでチャレンジする材料として活用下さい。

 

ページの最後に作ったデータやシートを参考資料として保存しておきました
ダウンロードは、矢印のところのリンクから出来ます。

 

 

バインダー1_ページ_2バインダー1_ページ_4医療費

バインダー1_ページ_1収支報告書バインダー1_ページ_6

バインダー1_ページ_3バインダー1_ページ_7「摩訶般若波羅蜜多心経」(EXCEL版)

「エクセルのサンプル・いろいろ」


ダウンロードのパスワード・・・・・・・96edamame


課題の途中ですが・・・VLOOKUPとSUMIFという関数。

2015年07月23日 | パソコンサークル

松木さんが亡くなったことを、ミサに参列させてもらいながら
実はまだどこかに「実感」として感じとれない何かがあります。
彼女の死は、それが、神が決め求めた運命だとしても、
やっぱり思い返すたびに、あまりに早く、道半ばに倒れられた断ち切れない無念さを
他人でありながらもこの僕がどことなく 松木さんの死に感じているからだと思います。
彼女ならもっといろんなことが出来たはずだと確信できるからです。
その上で、僕自身、今度の松木さんの死をこれまでサークルに関わってきていただいた多くの人たち
すべてにお知らせできなかったことの悔いがあって、申し訳ない気持ちもあります。

※ブログのカバーの草木は松木さんを偲んでハーブの一種の「レモングラス」の葉を飾りました。
かって不眠を苦にしていた僕に、「松木さん」がレモングラスでこしらえた枕元用の香りのアイテムをいただいたことがあります。
その匂いのそこはかとなく、それでいて根強さが感じられるところが彼女を偲ばせてくれます。

そんな感傷にひたりながら、中途半端な気分のまま昨夜のサークルに出向いたせいか
会員の皆さんに、エクセルの関数の段になって
うまいこと説明が出来ないままに時間を過ごしました。
(・・・それはことさらこういう日に限らず 僕自身の常ではあるけれど・・・・)

実のところ、昨夜のくだりは、今回設定した課題のクライマックスだと考えていたのですが・・・
にもかかわらず、説明が不十分で、みんなに迷惑かけたと思っています。 言い訳にはなりそうないんですが・・・

それは、別表からある条件(検索値)で、該当するデータを探し出してくるVLOOKUP(ヴィルックアップ)という関数と
できあがった表から、特定の条件や検索値をあたえると、その条件に該当するものだけの集計をしてくれる
SUMIF(サムイフ)という関数です。
この二つの関数は、手に入れれば、実は結構「出来た」気になれる代物です。

ここのところは、丁寧に説明したいと思っていますが、とりあえず横着で申し訳なくはあるけれど
とりあえず、このブログで以前に書き込んだ「過去記事」を下記に取り上げておきますので、
参考までに文字をクリックしてして、あわせて読んでいただければ幸いです。

 

VLOOKUP関数:EXCEL(エクセル)

 

エクセルで決算書:「SUMIF(サムイフ)」が決め手


ついでに 

エクセルの極意:IF(イフ:もしも・・・だったら)を極める

 

 

記事は、出来れば新たに再考のうえ、作りたいと考えているには、いるのですが・・・

 



【追悼】・・・「松木妙子」さんを偲んで

2015年07月22日 | パソコンサークル

また大事な「仲間」である人が、逝かれました。
7月19日、サークルの仲間である松木妙子さんは、「間質性肺炎」という病魔と懸命に闘いながらも
治療の甲斐もなく、ついにその人生を閉じられました。
思えば、「富田」のこの地に越されてきて、第2の人生を彼女の思うままに過ごされるはずでした。
美術の先生であった彼女の2つめの人生は「農業」であるとかハーブとか
土に根ざした生き物への憧憬や深い思い入れとともに、そのライフスタイルが築かれはずであり
ゆっくりとして生き生きした生活がそこにあるはずでした。彼女が病にとりつかれなければ・・・・・・・
いずれにしても73歳という生涯は、道の半ばに終わった口惜しさが、この僕をしてこみ上げます。

 

彼女は、群馬の桐生の生まれであり、教職の道を進まれ美術の先生として大阪に赴任されていたと聞きます。
退職後に縁あって、この地に住まいを得られて、我々とサークルでの時間を共有することが出来ました。

思えば彼女は、いつも凜として、そして前向きでおられました。
世の中への視線は、僕自身ともたびたび重なるところもあって、彼女の颯爽とした精神性は
いつも尊敬に値したものでした。

田舎に住むと・・・どうしても視野を狭くして、あの人がどうたら、こうたら
自分を棚に上げて、人のことばかりを口にしてしまうことがあるようです。最近特に思うのは
集落に増え続ける空き家のありようで、それは便利と引き替えに田舎を捨てていくと
都合よく考えがちですが、一方でどうしても「ひとのこと」を口にして、世間を狭くする風土も人を
遠ざける一因ではないのかと、田舎慣れして気づかされるのです。

その意味で、彼女の口からはそうした言葉の一つも耳にすることはなく
僕のお手本でもありました。
彼女の人生を深く知りません。知らなくても彼女は、十分に僕らの仲間でしたし、時には
道を指し示す人でもありました。人への思いやりは決して、ずけずけと立ち入らず今ある人の生き方を
正当に見て、評価する人でした。

けれどもそんな彼女が遠く群馬の桐生から大阪、そして丹波と
変わる人生で、最果ての地となった富田で、こともあろうにこんな難病にみまわれた彼女の人生の不運は、
何も・・・何一つ として彼女の力になり得なかったこの僕を、悲嘆させます。

病院に見舞ったときに、彼女が発した言葉を忘れません。
彼女は死を覚悟してたというよりも、むしろ信仰をよりどころにさらに強く「死と向き合って」おられたことを
思います。時には強がりではなくありのままに、運命の一つとして受け入れているかのように・・・
僕らの哀れみや同情などはるかに超えていると感じて
そのありようは、僕らがマネのしようがないほど気高く、そして強いものでした。

7月21日、園部のカソリック教会で、彼女の子供や孫たちに囲まれ彼女の送別のミサが営まれました。

マリア・ベルナデッタ 松木妙子さん」僕らは決してあなたを忘れません。
あなたは、とても強い人でした。

 


2015サークルの課題(その2):Excel 「ドロップダウン・リスト」

2015年06月14日 | エクセル

list0

課題から・・・
曜日の入力と仕組みの次は、「品目」の欄にある仕掛けの説明に移ります。
上の図は、品目を入力しようとして、セルをクリックするとセルの右端に「▼」の印が現われ、
さらにその印をクリックすると
図のように、あらかじめ設定された「品目」のリストが表示され、その中から選択すれば、いちいちキーボードを使って
入力する手間も省けますし、間違って入力するミスも防げます。
たとえば氏名など、その都度入力する中身が変わりうるようなセル内容なら仕方がありませんが、
入力するものが、あらかじめ決まっている場合には、この仕掛けはとても便利な方法だと言えます。

さらに、後で集計する場合などリストの中から選ぶ仕組みは、誤入力などのミスから生まれる混乱を未然に防ぎます。
たとえば、「リンゴ」とカタカナ入力しても「りんご」とひらがなでインプットしても、人間ならそれが同じ「品目」だと
おおよその判断をしてくれますが、コンピュータの中では、全く違うものとして区別されます。
また、家計簿の費目などを入力する際に、あるときは「交通費」としたけど、
セル内で、字をそろえる意味で時には気まぐれで、「交  通  費」などとスペースをいれて、
文字間を調整して入力したというような場合では、使う文字は同じでも「スペース」もまた一つの文字として
カウントされますので、同じ費目としてはとらえられません。
こうした人間的な「気まぐれな」不統一な入力も、この仕組みなら、防ぐこともできます。

エクセルでは、この仕掛けを「ドロップダウンリスト」とか時には「プルダウンリスト」と呼んでいます。

これは、それほどの高度な技能を必要としませんし、実際に前回のサークルでも意外なほどに簡単にクリアできた(?)
気もしないではありません。

その基本的なやり方は、まずはじめに「ドロップダウンリスト」を設定したいセルをクリックして「選択します。」
次に、「データ」というタブを選択し、そのリボンの中から下図のように
データの入力規則」という「コマンド・ボタン」を探します。

nyuryokukisoku

すると、下図のようなダイヤログが現われますので、「設定」というタブを選択し、
条件の設定である「入力値の種類」のところで、まさに「ドロップダウン」する項目の中から
リスト」を選びます。

 

nyuryokukisoku2

次に、その下にある「元の値」という欄をクリックして、設定したいリストの中身をここに入力します。

nyuryokukisoku3

 

ここで、例として作りたいリストの中身を「○×▲」とするとします。
この場合は、「元の値」欄に「○×▲」と直接入力します。ただし、それぞれを区分するために
文字ごとに「半角英数」の「,」(カンマ)で区切る必要があります。
「男と女」のような場合は、「男,女」のようにカンマで区切らねばなりません。

nyuryokukisoku4

というのが、基本的な仕組みですが、いくつもの項目がある場合に、
項目を直接入力することも、またその一つ一つを「」で区切るのもなかなか骨が折れます。

実は、「課題」のように、同じシートやブックの別のシートでもかまいませんが、いわゆる別表のように
あらかじめどこかのセルに、リストにできる入力されたデータがすでにあるのなら、
それを丸ごと、リストアップすることもできます。

listup



先ほどの、「元の値」を入力する手順のところで、
元の値」欄をクリックして選択した状態(アクティブにする)
にしたところで、下図のように
別表の項目欄を、ドラッグすると、「どこからどこまで」とした範囲を
元の値」に自動的にリストアップしてくれます。


2015-06-11 17-55-19

こうすることによって、入力済みのデータを利用すると、
冒頭に紹介した「ドロップダウンリスト」が意外にも簡単に作ることができます。

list0

あとは、仕掛けができたこの「セル」を他の範囲にコピーすれば、
ドロップダウンリストを使った入力欄が完成します。


2015サークルの課題(その1):Excel 日付と曜日の★コツ

2015年06月04日 | エクセル

2015-06-013

エクセルでは、たとえば「5月1日」と 「日付」を入力するときに、
ワードなどのワープロと同じように、キーボードで「5月1日」とそのまま「文字列」として入力せずに
半角英数モードで、数値として「5/1」とか「5-1」として入力すると、自動的にエクセルの方で
日付と解釈して、セル上の見かけでちゃんと「5月1日」という風に表示してくれると、これまでに
このブログでも繰り返し説明してきました。

Excelの基本的な原則として、
日付データの扱いについて、基本的には1900年1月1日を起算日として、
1から始まる
シリアル値(連続値)で持っている。・・・・・となっています。

この小難しい文言と理屈の説明をあえてすれば・・・・
(ただし「エクセルのオプション」の
詳細設定に「1904年から計算する」のチェックボックスが用意されていて、このチェックがされていない場合)

パソコンの時計の設定が、正しく行われているという前提で
2015年の今、エクセル上で、セルに「5/1」「5-1」と入力すると、「5月1日」と表示されます。
ただし、見た目は「5月1日」と表示されていても 、実際は数値が入力されております。
それが証拠に、あえて入力したセルの書式設定で、書式を「数値」としてみると、     
「42125」と入力されていることに気づかされます。 この万を超える数値とは・・・・・
まさにこれは、2015年5月1日が「1900年1月1日」から数えて42,125日目にあたると言うことを示しています。
「5/1」とか「5-1」というルールで入力すると、エクセルが今日が何日目と自動的に換算してくれています。
このことは、非常に重要なことで、日付に数値としての意味を持たせて日付というものの差引や検索・比較などを可能にしてくれます。
これが「5月1日」という月日までご丁寧に文字列と入力したのでは、こうした演算ができないばかりか
その日のデータ」という根本的な扱いができなくなるのです。 日付はそれだけで数値データなのです。
    
この原則を頭にたたき込んだら・・・・

サークルの「課題」に話を移して、特に日付とその曜日のところに着目しましょう。

2015-06-01 2
ぱっと見ると当たり前のように思えますが、この表では日付とその右側のセルにある曜日の表示は、実は連動していて
日付のところは、先ほどのように「5/1」とか「5-1」という規則に沿って、入力していますが、「曜日」のセルには何も入力したりしていません。
日付が図のように「A列」であったら、曜日は同じ行の「B列」に連動して表示される仕掛けになっています。
ここんとこの、「コツ」は、A列に「入力」したら、B列に自動的に反映されるということです。

Excelでは、それを「数式」という仕掛けで表します。
「すうぅしきぃ~」って聞くだけで「ぎょっ」となって、体中に「サブイボ」出る人もいるかもしれませんが、 それほどの数字アレルギーなら
仕方ありませんが、こういう場合、エクセルでは「数式」という仕掛けが、どうしても必要になります。

ただ、数式といっても、あのキライな「数学」で言うところの数式ほどには、エクセルが言う数式は、取っつきにくくはありません。

まず、キーボードから「」・・・イコールキーを入力すれば、数式が始まります。
算数や数学アレルギーの人にとっては、イコールキー)は、「等しい」という単一の意味にだけ使われていますが
コンピュータの世界では、必ずしも等しいという意味に使われません。
中には、「A=A+1」というような記述で表されることもあります。こんな表示されると、「等しい」などという
理屈が全く成り立たないし、式としてあり得なくなってしまいます。ですからコンピュータの世界では、
イコールは等しいという意味ではなくむしろ「代入する」 という意味であり・・・
・・・というのも堅苦しい言い回しですが、
どこかのセルの「「値」を持ってくるというような意味合いに捉えていいでしょう。

では早速、A列に入力したデータを元に、その右横のB列に「曜日」を表示させる仕組みを作ることにします。
口が酸っぱくなるほど、「日付」は実際は数値のデータと繰り返してきました。
であれば、それを「7」で割れば、曜日は求められるわけですから意外に簡単に求められます。
これも日付がデータとして入力されていれば、セルの書式設定で、表示できるのです。
これは、まぁ一つの覚えごととして、丸覚えしとくのが一番ですが
日付を曜日で表示させる書式は、「
aaa」で月、火、水 ・・・・「aaaa」と四つにすると月曜日、火曜日、水曜日
という表示になり(aaa) とすると、(月)、(火)、(水)・・・・と表すことができます。

2015-06-01 5
で、上の図のように書式設定のダイヤログの「表示形式」タブ上で設定すればいいのです。

となると、B列は、A列そのものをコピーして、セルの表示の書式を変えればいいということになりますが・・・
単純なコピーだと、A列に変更があった場合には、面倒でも同じようにコピーして修正しなけれならなくなります。
それは、最もミスが起こりやすく、間違いの元になりやすいパターンの一つです。
そこで、B列にはあえて、「数式」というカタチで、隣のセルを指定しておくと自動的B列も連動して変化するので
修正や訂正したセルは、入力セルだけにとどまり、いちいち他のセルまで修正しなくてすむという理屈になるのです。

例題に戻ると、B1に左横のA1のセルの値を、持ってきたい時には、B1のセルに「=A1」という数式を設定すればいいので、
下図のように、B1のセルを選択し、「=」キーを入力したらその後に「A1」とすると
数式バーにも、「=A1」と表されます。・・・これで、B1のセルには「A1の値を持ってくる」ということになります。

2015-06-04 0-01-44

実は・・・エクセルで言う「数式」は、数学でいう「式」というよりも
むしろ「何がどうして、どうなる」という文章に近いものだということに気づかれたともいます。
  
ただ、こうした数式をそれぞれのセルに、いちいちキーボードから入力しなければならないとしたら気が重くなりそうですが
エクセルには、さらに便利な仕組みがあらかじめ用意されています。
まず、数式の入力の方法ですが、実際の数式を入力する手順は、
セルの数式を「=A1」したいときには、まず「イコールキー」をセルに入力したら、次にA1をセルをクリックします。
そうすると自動的に「=A1」という数式を作ってくれます。

さらに、後に続く、B列のセルも今の手順で、一つ一つ数式を作っていくのか、というと今度もまたそんなことをしなくてすみます。

この場合、数式を入力できて完成したB1のセルを選択し、セルの右下角に黒十字の「コピーマーク」が現われたら
そのまま、そのマークを、同じ数式を設定したいセル範囲までドラッグすると
ものの見事に、いとも簡単に「数式」を自動的に、コピーしてくれます。

しかも賢いことに、単にA列のコピーしたのではなく、セルの中身の数式をそれぞれのセルの位置どりに対応して
数式という仕掛けをコピーしてくれる優れた機能が潜んでいます。
つまり、たとえて言うとB2には「=A1」というそのまんまのコピーではなくて、
その真横のA2の値でないと意味がないので、数式は「=A2」となっていなければなりません。
こうなってさえいれば、 もしもAの列のデータに訂正があったときに、B列の曜日も連動して、変化させることができるのです。
これこそが「相対参照」というエクセルが持つ極めつけの機能です。
ちなみに、B5のセルをクリックして、数式バーの表示を確認すると・・・下図のように
「=A5」とちゃんと数式がコピーされていることに気づきます。

2015-06-01 4

がしかし、このままでは見た目はA列もB列もおんなじなので、
B列の表示を「曜日」の表示に替えてみましょう。
これも、セルの一つだけを書式設定して、表示形式をかえておき、その「書式設定」だけを
後のセルにコピーするという手順で修正することにします。

さっきの話を思い出して・・・・
それでは、一番上のセルを右クリックして、「セルの書式設定」と進み、
表示形式」というタブを開きます。そして、下図のように「種類」という欄で
表示のカタチを (aaa) として、OKとします。

2015-06-01 5

すると、B1のセルの表示形式が、「曜日」に変更できました。
そこで、下図のように出来上がったB1のセルを「右クリック」して、コピーし
その書式を反映させたいB2からB14の範囲をドラッグします。そこでまた「右クリック」します。

2015-06-01 6

ただ、そこで単純には「貼り付け」とはしません!
単純にコピーとしてしまうと、B1のセルを書式どころか
値や数式など全部丸ごとコピーしてしまいます。
そこで、下図のようなダイヤログが出てきたら、貼り付けする「要素」を選んで貼り付けられること
形式を選択して貼り付け)を覚えておきましょう。
この場合は、あくまでコピーしたい目的が「書式」だけですので
下図のように「書式だけをコピーする」アイコンをクリックして選択します。

2015-06-01 8

これで、下の図のようにB列がA列の日付に連動して、曜日が表示される仕掛けが
完成です。

2015-06-01 9 

これは、あらゆるエクセルで作る「表」で応用の利くやり口です。   


2015サークルの課題:Excelのエッセンス

2015年06月03日 | エクセル

集まる人が少なくなって、長らく続けてきたパソコンサークルにも寂しさを感じ始めてる今日この頃ですが
一方で、「Windows 10 」のリリースがこの夏に近づいてきて、パソコン周りにとっては、
大きなイベントであり、変わり目になる気がします。
そのときには、パソコンサークルでも大きな変化がやってきます。

そんなこんなの思いの中で・・・・
ふと思い直してブログを再開し、
そしてサークルに「課題」というような テーマを設けて、この一年の取り組みの柱にしていこうと
下図のような「Excelでつくる売上表」を題材にしてみました。

2015-01

一見、どうってことのない、どこにもあるような表ですが・・・・
たとえば日付に連動した曜日の表示とか同じ日の日付をあえて伏せてしまう工夫とか
品目を選ぶと、設定した単価を「別表」の単価表から自動的に引用できる仕組みや
さらに売り上げの品目ごとの集計や分析果てはグラフの表示などが売上表に入力すると
自動的に連動して、表が完成するという代物です。

慣れているものにとっては、これしきのことと一蹴されそうな「課題」ですが ・・・・
一般的にExcelといえば、SUMを使った「集計」とその表作りぐらいに思い込んでる人にとっては
いささか難関にも思えてくる「題材」です。

セルにほどこす、書式設定は言うに及ばず、 この表作りの過程では
条件付き書式であるとか、VLOOKUPやSUMIFという関数が出てきたりします。

ただ、これぐらいは、できてしまえば、
正直なところ一般的にExcelを使う場面のほとんどをこなせる 気がします。
ここから先に、これ以上進むのなら、それはそれで相当の知識も必要となるでしょう。

Excelを使いこなす・・・などというレベルは、どこに基準を置くかによりますが
お金を取って人に教えるぐらいのスキルとなると、VBAというプログラム言語はもちろん
パソコン自体の知識を相当量に必要とします。 そこまでくるとごく一般的な仕事や
日常を超えていますし、
この「Excelの道のり」をたとえば山登りにたとえたら 、
マクロを自在に操れるほどのレベルともなると、
エベレストに無酸素で登頂を目指すほどの技量を求められるのかもしれません。
しかし、パソコンをする人がみんなそんなところを目指しているわけではありません。

今度の課題は、たとえて言うと「長老山」の登頂ぐらいにあたると思います。
なんや・・・っていう声も聞こえなくはありませんが、
長老を上るのは結構骨が折れるし それほどかんたんではありません。
普段の生活では、メッタにないことですし、がんばって長老を上ることができれば
運が良ければ日本海も目にすることができるし、ここらの話とはいえども
最高峰に立つと視界が開けるものです。
その経験さえあれば、そこかしこの山歩きなど苦もなくできることでしょう。

ただし、「課題」はあくまで目標設定の一つです。
できなくてもいいし、わからなくても悔やむ必要もありません。
やらなければならないもんとも思ってもいません。
この一年をかけて、どこまで上っていけるか、それを試してみるぐらいの心がけで十分です。

ここでは、一気に行かずに徐々に歩を進める感じでぼちぼち説明していこうかなと思っています。
3歩進んで2歩下がるとも言いますが・・4歩下がっても
一度は3歩進んだという経験に意味があるんです。

 


見上げる景色・・・縦貫道の開通と今更のサービスエリア

2015年05月16日 | Weblog

P5160058

想像力の問題ですが・・・・・・・・・
この7月には縦貫自動車道が開通し供用開始になります。
車列は遮音壁に視界が遮られながら、
この町のありようやたたずまいなど気にもとめないような速さで、
橋脚のうえや山間の高所ばかりをあっという間に通り過ぎていくのです。
・・・やがてみんなのあたまの中の地図からは、この地の地名やその位置的な情報も、薄らいでいくのでしょう。

そんな見離されて思うある種の恐怖感や切迫感にせきたてられ・・・
写真に見えるように、我々はかくも大量の土を盛って
「通り過ぎる人」のための一時的な休憩施設を作り上げ完成間近になりました。

一方で、わざわざてんこ盛りに盛った土の毎年毎時の沈下を計測し、
そのたびに特別な地盤の強化剤を注入しながら・・・・

構想の際に、気まぐれな縦貫道の通行人たちは、我々の住む場所の高さまでは、降りてはこないと、ふんだのでしょう。
こんな盛り土のてっぺんにある店頭スペースまで物売りに行くための道にもまた大量の盛り土が必要でした。
そもそも今更、京都市内から30分もかからない位置にあって、サービスエリアが
機能するのか、普段の縦貫道の利用状況を思うときにどれだけ利用者が見込まれるのか
あるいは、そのことよりも3つも現存する「道の駅」の行き先が見えているのか・・・
姿を現し始めた大げさな建物は、その疑問を倍加させる。

ここには、もうすでに景色の中に、見つけにくくなったけど
塩谷古墳群があり、かっては田園の風景に 融合して見えた古代の遺跡が・・・
今となっては盛り土の現況の一部に消え入るようにたたずみ、
かっての景観は記憶の中の話になってしまいました。
古びた郷愁や、物憂げなセンチメンタリズムでいうわけではありません・・・
道行く通り過ぎるものたちの思惑など、所詮一過性のもの・・・
我々の町の施策が こんな見慣れない場所にばかり集中して、
これをもって将来への町作りなどとでも、言われても
どう見ても、この施設は、住民のためのものではなく、「お客さま扱い」の通行人のためにある投資に過ぎないと思え、
彼らのお気に召さなければ、この図体の大きな施設の哀しい末路が見えてきます。
ここに住む人の期待は、縦貫道の開通によって、もたらされる空洞化のようなもっと足下の問題解消にあり、
トレーニングセンターもまた、自らの生活に直結して、根本の町の再生につながらないのなら
深刻に時間がこの町を時代から置き去ってしまう未来が予感されてならない。

だからこそ、僕らは僕らの手で自らの居場所を自らの手で再構築するんやと、もがこうとします。
何かを自分からしないと、自分がどこにいるのか見失いそうですから・・・


種も仕掛けもちょぼっと・・・(2)「テキストボックス」の妙

2015年05月14日 | パソコン

実は、これもまた、知ったはる人にとっては、何を今更・・・・的な指摘を受けるかもわかりませんが
ある文書を作成中に、出くわしたテキストボックスの便利な仕組みです。

その仕掛けは、要するに「テキストボックス」のリンクというもので、
複数のテキストボックスがある場合に、あるテキストボックスに入力したデータやテキスト(文字列)が
その枠をは超えた場合に、テキストボックスを「リンク」させておくと、はみ出た分だけ
自動的に、リンクさせた次のテキストボックスに反映させるという仕掛けなのです。

言葉だけでは、あんまり実感できませんが、実際に見てみるとちょっとした手品風で
「おやっ?」って思える小技です。
ただし、これはワードやパブリッシャーでできてもエクセルのテキストボックスではできませんでした。
エクセルのテキストボックスで、「リンク」という仕組みは、どうやらセルの値とリンクさせるという機能に
特化されてしまってるみたいです。

ここに5月12日の京都新聞の第1面の「凡語」に取り上げられた
我らがコータの記事があります。

Text

これを題材に、説明しましょう。
ここでは、ワードを起動し、テキストボックスを画面上に挿入します。

TB作成

とりあえず、説明文はいずれにしても必要ないので、削除して、あとはCtrlキーを押しながら
テキストボックスのコピーを図のように、配置してみます。

TBCopy
ここまでできたら、
とりあえず、左端のテキストボックスに、先ほどのコータの記事全部をコピーして貼り付けます。

Link設定
当然ながら、この枠には収まり切りません・・・というよりコピーできたとしても
枠が小さいために、折角の文全体を表現しきれないでいるのです。そこで、図のように
このテキストボックスをクリックして「選択した状態」にすると、リボンの外に書式ツールの特別なメニューが現われ
その中に「リンクの作成」というボタンを見つけます。

Link作成

Link設定2
そのままこのボタンをクリックして、現われた水をこぼした「壺」のようなアイコンを右隣の
テキストボックスにスライドして、「Enter」を押すと
はみ出した部分が、リンクを作成したテキストボックスに自動的に、移るんです。
同じ手順で、その次のテキストボックスに設定すると、実に3つのテキストボックスが見事に連動して
入力したテキストを表現することができます。

仕上げ

それほど、頻繁に使うことはないかもしれませんが、知っておくと
ちょっと自慢のできそうな小技のような気がします。


種も仕掛けもちょぼっと・・・(1)   「最大化で開く」

2015年05月12日 | パソコン

久しぶりというてるどころやなく、「もうブログはやめたんか」って聞かれるぐらいに
忘れかけていたブログをようやく再開する投稿になってしまいました。

・・・正直なところ、Facebookとかに、かまけてブログの更新に気がいかへんしサボるに任せていました。

今日、一つの気がかりでもあった「プロジェクト」の
起動ボタンが押されるようなイベントがあって自分自身の気分も高揚するし、
これからは何ごとにつけても、自らの意見を発信し、あるいはそれに対する反論に背を向けることなく
向き合う姿勢が大切やとしみじみ思ったものですから・・・久々に
その上で、放置していたブログも今一度立ち上げたからには
その責任を全うせねばと一念発起したのです。

ところが、そんだけの決心というのには、少々ショボいし、中には「今更?」っていう方もおられるはずですが
知らなかった人にとっては、多少の利益があるかもしれない・・・パソコンの「種も仕掛けも・・・」ある話です。

サークルのような場所やたまにはパソコンを使うたはる姿を目にすると
いかにも人それぞれがそれぞれのやり方でやっておられます。が、時々目にするのが
いくつかのアプリケーション(ソフト)を同時に使用したはるせいでしょうか・・・作業画面を小さく縮小して
いかにも窮屈に作業されている方を目にします。
パソコンの長所にいくつもソフトを同時に起動させて、切り替えて時には、こっちからあっちにコピペする
ことが可能です。インターネットで調べたことをワードやエクセルに貼り付けるようなことも、同時に起動していれば
意外に簡単にやれることが実感できます。
ただそうであるときに、それぞれのソフトの作業画面を縮小して使おうとするのは
・・きっとWindowsXPやその前の98とかのある種の習性からくるもんなんでしょう。

作業画面を小さくして使うと、結局「メニュー」が消えたり、レイアウトの全体や文書の区切りを見えなくしてしまう
不便が生じます。その上、ソフトをそのまま閉じると
次に起動するときは、その前に「閉じた」ときのサイズで起動してしまいます。
結局その都度、最大化にするボタンをおして画面を拡大しなければなりません。

実のところ、Windows7からは、画面下にあるタスクバー(作業バー)を活用して、タスクバーにある各ソフトの
アイコンをクリックして作業を切り替えるというやり方を「推奨」しています。
このやり方だと確かにいくつものソフトを最大化して起動していても
タスクバーのアイコンをクリックするだけで、それぞれのソフトの作業画面を切り替えてくれます。
人それぞれで好きなやり方でええんちゃうんと言えば、それまでですが
やはりパソコンの作業画面はフルサイズの画面でするにこしたことはと僕自身は思います。

そこで、 常にアプリケーションをフルサイズの最大化画面で開く設定 をする方法です。
それは、パソコンの画面上やスタートメニューにあるソフトのアイコンを右クリックして現われる
「プロパティ」を選択し、「ショートカット」というタブの中に
実行時の大きさという欄がありますので、下図のように右端のスピンを開いて
「最大化」を選択して、「OK」を押して閉じます。
これだけで今後このアプリケーションのアイコンをクリックして起動するときは、必ず最大化して画面が開きます。

・・・今更ですが・・・・・・・

最大化で開く